後編
数日後。
仕事がたまっていたため会社に長く残り、またも二十三時過ぎに電車を降りた。
そしたら、またいた。あの二人組の女性だ。先日の一件を思い出すとばつが悪いし、今日は季節どおりに相当暑い夜なのだから二度目のお節介はいらないだろう。俺は、女性たちからなるべく離れた場所を歩き過ぎようとした。
すると、
「あの人じゃない?」
「ほんとだ。ちょっと、待って下さい!」の声。
ヤバい雰囲気を感じた。宗教団体の本部から指示が出たのだろうか。わけのわからない説法を行った奴に注意をしろと。布教の邪魔を二度とするんじゃないって。
だけど違った。
長髪の女性が小走りに自販機へと向かい、二本ほど飲料を買った。二人は俺を交点とする形で直線的に近づいてくる。まったく思考が追いつかない俺に、長髪の女性は二本の缶を差し出してきた。
受けとる。はたしてそれは、ホットコーヒーだった。
「私たちの信じる神は、与えられたものを返すよう教えます。だから私たちは、あなたにコーヒーをお返ししなくてはなりません」
俺はキョトンとして、それから笑いを噛みつぶした。
そうだったか。そうであったか。だから律儀にも、この暑い夜に『ホットコーヒー』を買って渡してくれた。彼女たちは、温度すらも返してくれようとしたのか。
「ありがとう。家に帰って、冷やしてからいただきます」
「かまいません。そのコーヒーはもうあなたのもの。どうしようがあなたの自由です」
彼女たちはアシンメトリーに笑って、目を小さな弓形とした。
「でも悔しいですね」
「悔しい、ですか?」
「ええ。コーヒーは返せましたが、恩義は返せませんでした」
「俺ならありがたく恩義を受けとりますが、あなた方はそうされなかったのですね」
「私たちの信じるものを、曲げてはいけませんから」
「そうですね。きっとお互い、そうなのでしょう」
俺たち三人は見えない握手を交わしたのではないか、と思う。
なにをどこまで信じるか。それはその人間の個性となりえるのだろう。個性だらけの世の中で、正解などという蜃気楼を求めても仕方がない。ただ俺は彼女たちの道に、彼女たちは俺の道に合わなかっただけ。
それでも、別の道から「おーい」と手を振り合っただけ。
それで、いいじゃないか。
それから三ヶ月ほどの間、たびたび彼女たちの姿を見た。お互いに話しかけることも、目線を合わせることもいっさいなかった。やがて彼女たちは最寄りの駅前からいなくなってしまった。駅から注意をされたのか、教団から指示があったのかはわからない。
夏が去っていくように。彼女たちも透明のウインクを残して、去ってしまったのだ。
ビルの間を抜けるバカ風だけが、相変わらず強いままだった。
了
野ばらの道の向こう側 木野かなめ @kinokaname
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