第5話

ベアタ公国の置かれた状況的に、マイエル将軍の出した提案は実に効果のある内容である。


 現在、ベアタ公国は危機に瀕している。二国より侵略行為を受け、首都を抑えられている状況なのだ。そして首都にいた公女が捕らえられたと全ベアタの民が知り、反抗する気力を失いつつある。もうダメだ、私達は負けたんだ。――と。


 いいや。その情報は間違いだ、私はここにいる。だから戦いなさい、国を守る為に。そうベアタ公国中に伝えなければならないのだ。しかし、それを行えば。影武者として捕まったルーヌの命は、保証されたものではない。


「……ヨーセフ。よろしいのですか?」


 控え室で待つ最中、ミカエラは側に居続ける男性にそう問いかけた。長い付き合いだからわかる。マイエル将軍の提案を聞いた後、じっと黙っていた彼が考えているのは、自分が巻き込んだ友の事だ。


「……後悔は、しておりません。友を巻き込んだ時から、覚悟をしています。友は――このような事態になる事を覚悟しておりました。ですから、私も覚悟の上です」


 公室補佐主任官はそう述べる。だけど、その言葉にはいつものキレはなかった。まるで水中の中で呼吸困難になっているかのように。なんとか発したような、そんな苦しさがあった。


「……いつか。こうなる日が来るとは思っていました。でも、本当に来てしまうなんて」


ミカエラも同じように、苦しみに満ちた姿を見せた。そんなミカエラを見たのか、ヨーセフが希望を述べる。


「……仮にも、一国の姫として認識されています。丁重には扱われていると思います」


「でも、私が演説をすれば。ルーヌの安全は消えてしまいます。そうでしょう?」


 だけど、ヨーセフが述べた希望は気休め程度にしかならなかった。だからミカエラの言葉にヨーセフが暗い顔を浮かべながら、それを振り払おうと首を大きく振った。


「……はい。しかしミカエラ様。この状況を考えますとあなたの演説は必須です。もうかつてのようにマイクの前で震えてしまうあなたはいない。あなたはルーヌのおかげで外の世界に出る事が出来るようになったお方です。あなたはもう、この国の指導者なのですよ」


「……それは、ルーヌのおかげです。ルーヌがあの時の約束を果たしてくれたからです。私がここにいられるのは、先ほどマイエル将軍にきちんと向き合えたのは、ルーヌがいたからです」


 ミカエラはそう言い、大きな吐息をした。頭の中で、ルーヌと出会い、過ごした日々が蘇り。何度も何度も遡り続けていく。


「ヨーセフ。ルーヌは私に約束をさせました。必ず私の後を引き継ぎなさいと」

「はい」

「ルーヌは覚悟していたのでしょうか? その上で、私の為に側にいてくれたのでしょうか?」


 短いけれど、同じ時間を共に過ごした友に、返ってこない回答を求めてしまう。


「ルーヌは、あえて捕まったのでしょうか?」

「は?」

「だって、ルーヌは逃げれたのではありませんか? 自分がミカエラである事を放棄すればよかったのですよ。なのに、彼女はミカエラとして捕まったのですよ?」


 ミカエラは友が逃げなかった理由を述べる。公室補佐主任官が目を瞑った。


「……ありえます。友であれば」

「……ヨーセフ。もし、私が演説をすれば。ルーヌも聞きますか?」


 ミカエラは確認するように、公室補佐主任官に問うた。

 国を守ろうとする男は頷く。


「はい。きっとお聞きになると思います」

「――なら。決断せねばなりませんね。だってルーヌが聞くんですから」


 公室補佐主任官の言葉を聞いたミカエラは、顔を上げた。

 そして、彼女は決意を見せる。


「……参りましょう。このベアタ公国の為に、私は自分の成すべき事を致します」

 


              ☆☆☆




ルーヌによる指導を受けて半年。振り返れば、彼女の指導の中で一番熱があったのはスピーチの指導だったな、とミカエラは思い返した。それもそのはずだ、ルーヌの得意分野は『声』による演技表現だったのだから。


 演劇世界でベアタ公国一と呼ばれた女優。その女優が有名になったのは、舞台の上で観客を魅了させる美声と自信に満ちた演技表現だった。特にルーヌが発する台詞はとても力があり、彼女が演じた登場人物は皆、まるで『すぐそこにいて、本当に存在している』ように思わせた。


『ルーヌは、あの演技をどうやって行っているのですか?』


 そんなルーヌに指導を受けたミカエラは、彼女の秘密について尋ねた事があった。

 すると、返ってきたのは腕を組んだルーヌの姿と。


『そんなのね。自信を持って、前に進むつもりでやればいいのよ。気持ちが悪い方に向けば、それは表現世界では現れてしまうの。だから、自分が正しいと思って。自分の全力を出すつもりでやればいいの。気持ちを全力で出せばいいのよ』


 誰にでも簡単にできると言わんばかりの発言であった。

 勿論、その時は口を大きく開けた。


「ミカエラ様。準備が出来ました、お部屋へお連れ致します」


 そんなルーヌとの思い出を振り返っていると、演説の準備をしていたヨーセフがそう声をかけてきた。頷いて返事をすると、車椅子が移動する。コツン、コツンと足音が響いていく。


 数分後、ドアが開く音がミカエラの耳に入った。そしてすぐに車椅子が停止し。


「ミカエラ様。それではお願い致します。ランプの付く音がしましたら、演説開始です」


 彼女をここまで連れてきたヨーセフがそう囁き、この場を去った。残されたミカエラは顔を上げ。自分の目の前にあるであろうマイクを見つめる。


 何も。何も見えない。けれど、マイクがそこにあるとわかった時、何度も体が震えた。何度も、何度も思った。二年前の事件以来、立ち直れずにいた私が『王』としてベアタを引っ張る権利が。その立場があるのかと。一〇〇年以上の歴史のある小国家を、自分のような小娘が。世界に怯えてしまう私に、そんな力があるのかと。


「――」


 思考をする公女の耳に、ランプの付く音が届けられた。その音を耳にした公女は深呼吸をし。そして、覚悟を決める。さあ、言の葉を放つ時が来た。もう、かつての自分はいないはずだ。いるのは、もう一人のミカエラ。この国の為、友の為に立ち上がった新しいミカエラだ。


「――我が愛するベアタ公国の全国民に告げます。私の名はミカエラ。ミカエラ・オーセ・ベアタ・トルンクヴェスト。このベアタ公国の公女であり、あなた方の女公となる女です」


 ミカエラ様は一言一句。丁寧に言の葉を紡いだ。そこで一度呼吸を整えてから。


「突然の事で、皆様。混乱している事でしょう。しかし、どうか私の言葉を聞いてください」


 と。願いを愛するベアタ公国で生きる民に告げる。

 もう一度、呼吸を整えてから、言う。


「現在、我が公国は危機に瀕しています。我が公国の東より、ルクセン公国が突如。軍を差し向けました。これにより我が領内は敵の毒牙によって傷を負い。首都は陥落致しました」


 起きてしまった現実。その現実によって奪われた物を、ミカエラは語る。


 ミカエラは胸に手を添えた。何度も、何度も自分に言い聞かせる。大丈夫、私は言えている。私はルーヌのように語りかける事が出来ている。私はルーヌの後を引き継げている。


「敵は、敵は宣戦布告もせず。我が公国の領土を我が物顔で侵攻しています。突然の事で大勢の民が混乱したでしょう。動揺したでしょう。多くの哀しみに遭った事でしょう。そして、私が捕らえられたと聞き、絶望なさったはずです。しかしどうか、私の声を聞いてください。私はここにいます。敵に捕らえられてなどいません。捕らえられたのは――私の影武者です」


 ミカエラは民に伝えなければならない事を、確かにそう発した。

 直後、彼女の中で過去がよぎった。これまで生きてきた過去。このベアタ公国で生まれ、公女として育った日々。そして側にいた大事な人達の姿……。


「……思えば、この国の危機は二年前より忍び寄っていました」


 だからミカエラは予定にない話を切り出した。

 感情に身を任せて、ミカエラは思いの丈をぶつける。


「二年前、我が公国は大事なお人を失いました。健在であれば、この場にて民に言葉を掛け。前に進むように促したであろう人物。我が父と母は、かのエストニア帝国の謀略によってこの世を去りました。そして私は目を失い、我がベアタ公国の民は希望を失いました。この二年間は、ベアタ公国にとって暗い時代。暗黒の時代でした」


 ミカエラは、この二年間をその言葉で表現した。そして、首を振った彼女は言う。


「しかしどうかベアタの民よ。悲劇を迎えたからと言って立ち止まってはなりません」


 前を向く時が来たのです。――そうミカエラはマイクに向けて訴えかけた。

 感情に身を任せた彼女は、ベアタ公国の全国民に告げる。


「今こそ、立ち上がりなさい。敵は人類の持つ最大の力。言葉を無視して武力行使を行いました。ならば我々は武器を手に、侵略者を打破しなければなりません。そして奴らに教えてやりなさい。このベアタ公国は簡単には渡さない、ここは私達の国だと」


 それは徹底抗戦を意味していた。侵攻を開始した敵を徹底的に撃滅。祖国を守る為にありとあらゆる手を打てという指示である。


「勿論、私も戦います。私が戦うのは、政治分野です。既に私はアークロ王国と交渉を進めております。間もなく、我が公国を救うべく海の向こうより屈強な兵士達が参る事でしょう。そして私の夫となるイーデン王子の下、その兵士達は私達を救ってくれます。皆様、希望を捨ててはなりません。戦う時が来たのです。男達よ、勇気を持って立ち上がりなさい。今こそベアタ公国の為、戦う時が来たのです。女達よ、愛を持って立ち上がりなさい。戦う男達を支える時が来たのです。これより私達は反撃に出ます」


 ミカエラは公女として。一国の指導者として全ての民にそう語りかけた。

 そして、次の言葉を持って、彼女の演説は終わりを迎える。


「お約束致しましょう。私、ミカエラ・ベアタ・オーセ・トルンクヴェストはこのベアタ公国を守り抜き。この国から自由を奪おうとする愚か者達を追い払ってみせると。必ずあなた方が愛したベアタ公国を守り通して見せると。今、ここでお約束致します」


 それが、後に世界大戦へと発展していく戦争での、小さな小国家で行われたスピーチ。ベアタ公国の公女。ミカエラが発した、反撃の一手だった。

 


            ☆☆☆




「それが、母上の真実なのですか?」


母の語った話を最後まで聞き届けたアディエルは、驚きの眼を目の前の母に向けた。その母は、静かに頷いて。


「はい。私が三〇年以上、女公として君臨出来た理由であり。あの戦争で戦い続けられた理由です。ルーヌがいなければ、私はイーデンを夫に迎える事も。女公として将軍に命令を下す事も出来なかったと思います。全ては、ルーヌのおかげなのですよ」


 ベアタ公国を導き続けた女公はそう確かに告げた。三〇年前に起きた戦争。世界大戦にまで発展したと言われたあの戦争を戦い抜いた女性の――秘密。


 アディエルは額に手を置き、首を振ってしまう。目の前にいる母、ずっと側にいた偉大なるベアタ公国の母。その母が完璧なお人だと思い続けていた。だけど違った。


 母も。母であるミカエラも最初は何も出来なかったのだ。何よりも母は、誰よりも弱い人だったのだ。目の見えない、世界に怯えてしまう生娘。そんな女性だったのだ。


「……知りませんでした。まさか母上にそのようなお話があったとは」

「ふふ。誰だって最初から完璧じゃありませんよ、アディエル」


 アディエルの反応に、ミカエラは優しく微笑みかけた。だけどアディエルは知っている。かの三〇年前の戦争を戦い抜いたミカエラはその後、二度とベアタ公国が攻め込まれないよう様々な政策を打ち出した。ベアタ公国はアークロ王国との同盟関係を結び続け。さらには富国強兵の名の下、軍部の強化。ベアタ公国の持つ産業を用いて国の経済面をも豊かにしてきた。


 この三〇年近くの間、ベアタ国民はよくわかっているだろう。

 彼女こそ、ベアタ公国で最も最高に素晴らしい指導者であった。――と。


「それで母上。ルーヌはその後いったいどうなったのですか?」


母の過去を知ったアディエルは、その中で語られなかった『もう一人のミカエラ』について尋ねた。するとミカエラが見せたのは目を伏せるという行為だった。


「……残念ながら。ルーヌのその後はわかりません」

「わからない?」


「はい。首都が陥落した後、ルーヌはミカエラとしてエストニア帝国に連れ去られているのはわかっています。ですが、私の放送で捕らえたミカエラは偽物だとエストニア帝国もわかっているはずです。ルザ連邦と戦ったエストニア帝国が滅びた後、彼女の消息を辿ったのですが」


 その後の消息は、わからないままなのです。――とミカエラは哀しみに暮れた顔をする。その顔を見たアディエルは驚愕の眼を浮かべ、やがて母と同じように哀しみを抱いた。


「……そんな。この国で最も功績を上げた人物なのに。そんな結末など」


 若き公子は胸に手を添え、肖像画に描かれたもう一人のミカエラを想った。


「アディエル、あなたは今日からこの国の公王となります」


 そんなアディエルに、先代の女公が声を掛けた。

 先の『王』に現の『王』が答える。


「はい、母上」

「きっと、あなたは不安で胸の中がいっぱいだと思います。でも、どうかしっかりと胸を張りなさい。あなたはこの国の王様。一〇〇年以上発展を続けてきたベアタ公国の公王なのです。何度でも失敗なさい。何度でも悩みなさい。でも、決して一人で抱え込んではいけません」


女公はこれからの王にそう助言をした。そして、彼女はこう微笑みかける。


「あなたの側には、あなたを支える者がいます。それを忘れず、前に進みなさい」


それが、長年ベアタ公国を守り続けてきた女公が発した、次代の王の背中を押す言葉だった。その言葉を聞いた次の王は瞳を閉じた。一度、深呼吸をする。そして、瞳を開ける。もう、そこに迷い続けた彼の姿はない。あるのは、先代を含めた歴代の王が守り続けたこの国を守り続けると誓った男の姿。


「ここにいらしたのですね、アディエル様。そろそろお時間です。皆が探していましたよ」


 そんな二人に、一人の女性が声を掛けた。背丈の高い六〇代になる女性だ。どこか品のある物腰の女性で、長年アディエルの乳母としてアディエルを見守り続けてきた人物。


「わかった、エーリク。今行くよ」


 乳母にそう言うと、アディエルは先代の女公に頭を垂れた。


「母上。行って参ります」

「はい、行ってらっしゃい」


 そうして、未来の公王はその場を後にした。

 残されたミカエラは静かに吐息をした。そして、乳母の方を見て微笑みかける。


「ふう。これで肩の荷が下りました。長い日々でしたね、ルーヌ」

「ええ。でも、私を行方不明扱いするのは止めてくれないかしら?」


 乳母の言葉に、ミカエラは小さく笑い声を発した。

 肩を振るわせながら彼女が言う。


「だって、アディエルったら完全に私の嘘を信じているんですもの。ふふ、この国の英雄が次の公王の乳母だったなんて、面白いお話でしょう?」


 ふふふ。――とミカエラは笑い続けた。

 そんなミカエラの様子を見てルーヌは肩をすかした。


 そう。エストニア帝国とルクセン公国による侵攻作戦によって、ルーヌは捕らえられた。その後、ルーヌはルクセン公国軍によってルクセン公国首都に護送。ルクセン公王の保護下に置かれた。勿論、ミカエラが発した演説によってルーヌの正体はバレてしまい。ルーヌの命は危機に瀕した。


 だが、ベアタ公国がアークロ王国と同盟を結び。ベアタ公国にアークロ王国軍が入った事が影武者を始末しようとするルクセン公室を引き留めた。そして、それを知ったミカエラは秘密裏にルクセン公王と会談を行い、このような条約を結んだ。


『もし、私の愛する友を返して頂けるのであれば。この戦争でエストニア帝国が負け、その保護下が消えた際。我が公国は貴国に攻め込む事は致しません』


 つまり。侵攻を受けた報復をしないという条約である。この話をした頃、エストニア帝国がルザ連邦と開戦。もはや暴走的と言えるエストニア帝国の動きに未来を読み取ったルクセン公室は、その条件を呑んだ。 


 その後、ルーヌは偽名を持ち。

 ミカエラと共に次代の公王を育てる事に専念したのである。


「どうですか? 乳母として育てた立場としては、思うところがあるのでは?」

「もちろんあるわ。私にとって、あの子は息子みたいなものだもの。だから心配なのよ、あの子あがり症だから、スピーチで失敗しないかしら」


「大丈夫ですよ、何せこの国で最も優秀な女優が指導したのですから。きっと、良いスピーチをなさいますよ」


「それもそうね。何せあなたの指導をしたのも私だったからね」

「あら、言いますね」


  二人のミカエラは静かに笑い合った。やがて、二人のミカエラは前に進み出した。そうして、かつて国を守り続けた二人のミカエラは未来の王の就任式へと向かった。その日の二人は、最後まで笑い続けたという。

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とある公女のスピーチ 神崎裕一 @kanzaki85

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