10:琥珀の花と緋色の眼

 夜と朝の間みたいに真っ青な景色の夢を見る。

 宵闇色の髪をしたザハラの瞳は、もう琥珀色に輝いていない。どうしたんだと聞いてみると「あんたの思い人へ譲ったよ」と悪戯っぽく微笑まれた。


「あんたのことだって忘れちゃいない」


 魂が同じだから、ザハラとラディが同じだなんて思っていない。あんたのことだってちゃんと忘れていない。ずっとずっとあんたに会いたかった。

 会いたかったのは嘘じゃ無いんだ。そう言葉を続けようとして、鈍色の雲から聞き覚えのある声が微かに聞こえて上を向く。


「ちゃんと知ってるさ。でも、あの子が呼んでるよ、いっておいで」


 柔らかく微笑んだザハラの声だけが耳に残ったまま、俺は天から伸びてきた細くて華奢な手に腕を掴まれてグイッと引き上げられた。


光を見逃さぬ者アイン・ゾハル、あなたの血を飲みました。血の対価として、隷の契約を交わします」


 声が聞こえる。今度ははっきりとした声が。

 ああ、ラディ……そうだ。お前が俺の真名魂の名を呼んでくれたのか。


「その契約を受け入れよう、俺の愛しい花ラディアータよ。……俺の力、君に預ける」


 パチパチと薪が燃える音がする。熱風が頬を撫でる。心地よい温かさが離れたと思って目を開くと、炎が俺の体に纏わり付いていた。太陽が俺の体を照らしているのに、いつのまにか体の痛みは消えている。

 目の前には真紅に輝く髪の女性が一人立っている。俺と同じ真紅の瞳をそっと細めた彼女は俺が目を覚ましたのを見て微笑むと、くるりと背中を向けた。

 彼女がラディだということに、少し遅れて気が付いて、彼女が無事に祝福ギフトの力を操れたのだと安堵する。

 長い髪を、燃える炎のようにゆらゆらと逆立てたラディが、目の前にある格子に向かって腕を振り下ろす。

 風の唸る音と共に、それなりに頑丈そうな檻が一瞬で黒い炭になる。驚いていたのはどうやら俺だけではないようだ。

 呆然とした表情で固まっていた司祭と老人が慌てて手にしていた聖水を彼女に投げた。

 しかし、聖水は彼女が体に纏っている業火に当たり、空しい音を立てて白い湯気に変わる。


「化物め!」


 張り付けていた笑顔が剥がれた司祭が、醜く顔を歪めてラディを指差した。彼女は冷たい視線を送ると地面を軽く蹴る。

 あっと言う間に銀の杭を構えていた老人と、周りにいた大男たちを打ちのめしたラディは無表情のまま腕を伸ばして、司祭の喉元を細い指で掴んだ。

 まるで猫が唸るような声を上げて、彼女は司祭を睨み付ける。


「たす……たのむ……」


 息も絶え絶えに命乞いをする祭司を、ラディは地面に叩き付けるように放り投げると、彼女は大きな声で叫んだ。

 ビリビリと空気が震えて、彼女が体に纏っていた赤い炎が天へ伸びる柱のように伸びていく。

 彼女の炎は教会を一瞬のうちに焼き払うと、そのまま音も無く消えた。


 地面に横たわる男達と、孤児達の死体、灰になった教会跡……異様な光景を静寂が包んでいる。それを破ったのは、ラディだった。


「アイン」


 いつものあどけなさの残る表情でこちらに駆け寄ってきた彼女の瞳は、琥珀色だった。

 逆立った髪の毛も光を失って綺麗なあかがね色へ戻っていく。

 ラディに抱きしめられた俺の顔を彼女は自分の口元へ持っていく。血を失いすぎた。彼女の首元から漂ってくる甘い芳香にクラクラしながらも、俺は顔を首筋から逸らす。


私の最愛の人アイン・ゾハル、血を対価に願います。私が望む限り、ずっとそばにいること」


「……俺の最愛の人ラディアータ、その契約を、受け入れよう」


 彼女の白い肌に牙を立てる。じわりと甘い味が広がって体の中が満たされていく。

 太陽が肌を照らしているというのに、失ったはずの四肢が戻り、体中に魔力が満ちている。今ならなんでも出来そうな気がする……と立ち上がったが、少しフラついて隣にいる彼女にそっと脇を支えられてしまった。

 辺りが静まったのを不思議に思ったからか、そろりそろりと村人達が家の扉を開け始めた。


「面倒なことになる前に、一度俺たちの家へ戻ろう。それから……どうするか決めようか」


 彼女を抱き上げて地面を蹴った。空が青く雲が白いのに、夜みたいに体が軽い。

 川と丘を越えて、森を駆ける。そのまま屋敷の門を潜ったところで体が重みを取り戻す。血を飲んだことで一時的に彼女が持っていた祝福ギフトの影響を受けていたらしい。

 踊るような足取りのラディに手を引かれて屋敷の扉を開くと、申し訳なさそうな表情を浮かべたしもべたちに出迎えられた。


「ねえ、アイン……私、旅がしたいの! あなたと色々なものを見て、もっともっと外のことを知りたいわ」


 かつてザハラとした約束を思い出す。見た目も、立ち振る舞いも、性格も違う彼女もそれを望むのなら……しばらくの間、彷徨ってみるのもいいのかもしれない。

 広間で髪を靡かせて振り向いたラディの腰を抱き寄せて、顔を近付ける。

 悪戯っぽく微笑んだ彼女は、そのままゆっくりと目を閉じた。


「そうだな……でもまずは、この気持ちを分かち合わせてくれ」


 目を閉じて、そっと長いキスをした。


愛してる愛してるわ


 それから、唇を離すなり、同時に愛の言葉を口に出した俺たちは、額をくっつけて子供みたいに声を上げて笑い合う。


「ねえ、凌霄花アルギリア・ラディアータ、私の名前にしてくれたお花が見たいの」


「ああ、その契約を受け入れよう。では、お嬢様、旅の準備を始めましょう」


 恭しくお辞儀をしながら差し出した俺の手に、ラディが小さな手を重ねる。

 なんだか懐かしい気持ちになりながら、顔をあげた。

 綺麗に光る琥珀色の瞳が優しく俺を捕らえて放さない。


「……約束だよ、私の両目アイン・ゾハル


 俺の名を呼んだラディの手を引いて、俺は自室の扉を閉めた。

 琥珀色の花を見たら、それからなにをしようか。

 ザハラにそっと礼を言う。あなたを愛してよかった。そして、ラディに会わせてくれてありがとう……と。


「ああ、一緒に……たくさんのものを見よう。約束だ」



―Fin―

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琥珀の花と緋色の眼 こむらさき @violetsnake206

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