9:銀の枷・木の檻

 急いで身支度を調えて、屋敷を抜け出す。やけに獣たちが騒いでいることを不思議に思いながら村へ向かってみると、ヒイラギの木を焼べた篝火が道中に燃やされていた。煙を吸わないように大きく迂回をして、やっとの思いで村に到着すると、村でもあちこちに篝火が焚かれている。喉の奥が酷く痛む。咳き込みたくなるのを抑えながら、村を探るために丸太を打ち付けた塀の内側へ忍び込む。

 魔物退治の仕事を探しに来たという奴の差し金だろうか。クソ……思ったよりも時間がかかった。朝になるまでに帰らなきゃならないってのに。白み始めそうな空を見て気ばかり焦る。軽く村を一周してみるが、ヒイラギの煙を吸ったせいもあってよくわからない。

 ただ教会近くの孤児院からだけは、灯りと共に悲鳴にも嬌声にもとれる声が漏れていた。近くに篝火も無い。見慣れない木製の檻が設置されているのも気になる。とりあえず手掛かりがあるかもしれないと思い、覗いてみるために近付いてみると、やけに甘ったるい香りがまとわりついてくるような感覚に襲われた。

 誘菫シトリーの粉を蜜蝋に混ぜたものを大量に焚いているようだ。嫌な予想をしながら中を見ると、そこには悍ましい光景が広がっていた。

 口に出すことも憚られるような行為の中心にいたのは、太陽の実マールス教の司祭だ。卑しく笑いながら、柔らかな子供の白い肌に鞭をふるうその姿を見て、ラディに出会った日、彼女が頬を腫らして教会から出てきたことを思い出す。

 ぐつぐつと腹の底が煮えるような思いを抱えながら、窓枠を強く握る。一瞬、司祭の視線がこちらへ向いた気がして体を反らすと頬がチリリと刺すように痛んだ。

 顔のすぐ横の壁に刺さった飛来物に気が付いて、大きく上に跳ぶ。俺がいた場所に、軽快な音を立てて深々と刺さったのは太い銀の杭だった。明確な攻撃を受けてから、ようやくこれが罠だと悟る。


 舌打ちをしながら銀の杭が発射されたであろう方向へ視線を向けると、獣の生皮を着た老人がこちらを鋭い眼光で睨み付けていた。

 周りはヒイラギの木が焼べられた篝火だらけ。相手の手には、透明な液体の入ったガラス瓶が握られている。恐らく聖水だろう。

 一度撤退をしようと、孤児院の屋根の上で後退りをすると老人が、乾ききってひびわれている唇を大きく動かす。


「……なっても……らんぞ」


 しわがれた声はよく聞こえなくとも、唇を読めばなんと言っているかくらいわかる。わかるからこそ怒りを抑えきれずに大きな声を出した。

 あいつは確かに「あの娘がどうなっても知らんぞ」といいやがった。


「あの子に手出しをしてみろ! 首だけになっても貴様の息の根を止めてやる」


「手下の目を借りて見るがいい。わかってもらったほうが、お互い無用な傷を負わなくて済みそうだ」


 愉快そうに肩を揺すった老人が、しわがれた声を張り上げる。先ほどの小声は俺が動揺するのを見たくてわざとやったということに更に苛立ちながら、俺はしもべの目を借りた。

 ヒイラギの煙を吸って動けないのか、地面が真横に見える。次々としもべたちの目を移り変わっていくと、ラディが見つかった。

 見たことが無い部屋……恐らく馬車か? 酷く揺れているのにぐっすりと眠っていて起きる気配の無いラディの隣には、下卑た笑みを浮かべた斧を持つ男が佇んでいる。

 転がされていたしもべの頭が持ち上げられて、にたにたした男が「薬で寝ているだけだ。あんたが大人しくしてりゃ、このガキは死なずに済む」と言ったのが聞こえた。

 視界を元に戻し、老人の顔を睨み付ける。


「目的を言え」


 死んだ魚のように濁った目をした老人は、俺を見下ろしながら口を歪めて不気味に笑った。

 銀の手かせを怯えた表情を浮かべた孤児が持ってくる。ああ、こいつらは趣味がどこまでも悪い。

 両手を差し出すと、孤児は震える手で手かせを嵌めた。肌が焼けて白い煙が出る。呻き声を上げると孤児は一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、すぐに目を逸らして老人の後ろへ駆けて戻っていく。

 老人に地面を指差され、両膝を地面に付くと、懐から出した葉巻をふかした老人の後ろからゆっくりと司祭が現れた。

 司祭が引き連れてきた体格の良い男たちは、担いでいたラディを木で組んだ檻の中心へ放り投げた。彼女が身につけていた筒衣ワンピースはすっかり泥にまみれて汚れてしまっている。

 頬と膝を強くぶつけたせいか、ラディのまぶたがゆっくりと持ち上がり、それから彼女の小さな口から「ひ」と恐怖で震える声が漏れた。


「君は不死の吸血鬼だと、そこの宿老から伺ってね。君が大人しく飼われてくれるのなら、そこの蛭女ブデラと共に可愛がってやろうと思っているのだよ」


「その穢らわしい名で彼女を呼ぶな」


「アイン!」


 思わず声を荒げると、俺の頭を司祭が踏みつける。俺を見下ろしながら、司祭は張り付けたような笑顔を浮かべて檻の中にいるラディへ目を向けた。


「憐れな娘よ。悪魔の力を得たい化物に、お前は騙されていたのだよ。そこの老人から君の居場所を聞いて、助け出してあげたんだ」


 演劇じみた大袈裟な言い回しをしながら、司祭が両手を広げると、男たちが大きなずた袋を担いできて中身をぶちまけた。

 腐った血の匂いが広がると同時に、ヒッとラディが小さな悲鳴を上げた。

 木の檻の前に無造作に投げられたのは子供の死体だった。思わず顔を顰めると司祭が「この吸血鬼は夜な夜な村で孤児を襲っていた」と言ってのけた。

 ラディの怯えた瞳が、大きく見開かれて、地面に伏せっている俺を見る。

 ちがうと言おうとした俺の背中を聖水が焼いていき、呻き声に変わっていく。

 太陽が目覚めて、俺の肌を照らし始める。きっと、これは彼女に嘘を吐いた罰なのだ。

 たかが一人の人間が飽きるまで飼われるくらいなら……それで、彼女が死なずに済むのなら安い取引なのかもしれない……。


「ラディ……」


 彼女に謝ろうとする声さえも許されないのか、俺の両膝を銀の杭が貫いた。足元から頭を貫くような鮮烈な痛みで、濁った声の情けない悲鳴が漏れる。

 ああ、せめて……彼女を逃がせないだろうか。きっとこの村にいれば彼女は虐げ続けられてしまう。


「アイン! きっと誤解です。だから司祭様、やめてください!」


 ああ、俺が悍ましい化物だとわかっても、彼女は俺の名を呼んでくれるのか。

 檻のきわに駆け寄った彼女が、格子状になっている隙間に手を掛けた。

 あかがね色の髪が、目覚めたばかりの太陽に照らされて炎のように輝いている。


太陽の実マールスを崇める者よ……貴様の、願いを……聞いてやる。代わりに、一つ願いを……叶えてくれないか」


 太陽が昇り始めても村人達は外へ出てこない。家にいるように言いつけられ出もしているのだろうか。

 俺の言葉を聞いた司祭が、顔からようやく足をどけた。相変わらず気持ち悪い笑顔を浮かべたままの司祭に俺は取引を持ちかける。

 少しでいい。ラディが俺を化物だと知った今も求めてくれるのなら……出来ることがある。


「檻の中で構わない。……そこの、篝火が消えるまでの間……赤い髪をした娘と……言葉を交わしたい」


 火が弱まってきた篝火を顎で指した。司祭に視線を向けられた老人が「もう朝だ。強力な吸血鬼だろうと恐るるに足りんだろう」と応えて紫煙を吐く。

 それを聞いた司祭はゆったりとした動きで何かを取りに行ってから俺の目の前へ戻ってきた。


「言葉遣いは、後で教えるとして……まあ良いでしょう。わたくしも神に仕える身。魔に属する者に与える慈悲はあります」


 銀の手かせが外されたと思ったら、祭司が大きく腕を振りかぶった。

 刃の部分を銀で加工した大斧が俺の肩に叩き付けられる。ラディの悲鳴が聞こえる中、俺は悲鳴を漏らさないように歯を食いしばる。

 四度、斧が振り下ろされて、俺の四肢は切り落とされた。苦笑いを浮かべた老人が、俺を担ぎ上げて木の檻へ放り込む。


「ああ、アイン……ねえ……大丈夫?」


 彼女の温かい手が頬に触れる。泥だらけの彼女の頬に、大粒の涙が幾つも筋を作っていく。

 大丈夫だと応えようとして、咳き込んだ俺を彼女は抱きしめた。

 銀の首輪チョーカーを外して、地面に投げつけたラディが俺に頬ずりをして耳元で囁く。


「私がいなければ……あんな人たちに、あなたは負けないのでしょう?」


「……ラディ、聞いておくれ」


 彼女の涙を拭うための腕が、今ここにないのがもどかしい。


「ごめんなさい……私がいたから」


「ちがうんだ。なあ、俺の愛しい花。君にしか出来ないことがある」


 次から次へと俺の顔に落ちてくるラディの涙を受け止めながら、なるべく優しい声で彼女に語りかける。

 ズキズキして傷は痛むし、血を失いすぎて意識が飛びそうだ。


「なんでもするわ。私は、貴方に助けて貰ったんだもの」


「俺の名を呼べ。あとは……自らの心に従うだけでいい」


 伝えたいことは一つだった。あの忌々しい鉄と銀の枷を捨てた今なら、きっと祝福ギフトが彼女を導いてくれるだろう。


「あなたの名? アイン……でしょう?」


「俺の魂の名。俺と繋がることが許された者だけが知る名前……俺の名は……」


 魂の名を彼女の耳元で囁くと視界がぐらりと大きく揺れた。意識が混沌として歪む。唇に柔らかく甘い感触がして、琥珀色の瞳に、ゆらりと炎が灯ったのが見えた。俺は、安心して意識を手放す。

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