8:忍び寄る影

「そういえば、さっき珍しいことがあったの」


 俺の隣に座るなりラディが少々興奮したように話し出す。


「あのね、お客様が来たのよ! こんな森の奥にあるお屋敷だから、他の人なんてしばらく見なかったけど、こんなこと初めて」


「客人?」


 おかしい。ここは幻惑ミミクリーの魔法で普通の人間は辿り着けないようにしてあるはず。

 ラディを怯えさせないように、わざと呑気な口調で彼女からの報告に耳を傾ける。


「あのね、魔物が最近悪さをしてる噂を聞いたから仕事を探しに来たんだって」


「ほう……。だから、ヒイラギの枝を焼べてくれたのか、ありがとう」


 手を伸ばすと、彼女は嬉しそうに微笑んで頭を俺の方へ差し出す素振りを見せた。

 髪を撫でられると心地よさそうに目を閉じる彼女を見て、先ほどの煙の件をそこまで引きずっていないことがわかり、内心ホッとする。


「屋敷には特別なおまじないをしているから、魔物は来ないんだ」


「よかった。でも……あのね、アインは嫌かも知れないけど、私、母さまや姉さまが心配なの」


 もじもじと人差し指同士を付き合わせながら、そう告げた彼女は眉尻を下げて不安そうな表情を浮かべる。

 魔物退治の仕事を探す訪問者も気になるが……彼女が村の状況に心を砕くのが意外だった。ここに寄ったと言うことは、相手が旅人であれ、魔物狩人ハンターであれラディが住んでいた村へ向かうのだろう。

 ここのところ食事の後始末を雑に放っておいたことを後悔したが、それを顔に出さないように努めながら、目の前のラディの両肩に手を置いた。


「わかった。誰かを村に行かせて様子を見て貰う。それでいいか?」


 夜にでも出向いて、村の様子を窺おうと思っていたところだ。

 ラディが素直に頷いたので、俺はようやく安堵する。村の様子を直接確かめたいと言い出したら……と内心ハラハラしていた。

 彼女が俺から離れて、あの村で暮らしたいと言い出すなんて思っていない。ただ、あの村で彼女がまた手酷く扱われるのが嫌なだけだ。

 最近は俺が頭に翳す手を怖がらなくなったし、こんなに朗らかに笑うようになった。それに、悲しいときに涙を見せても謝らなくなったし、不満な時は頬を膨らませて拗ねた顔まで見せてくれる。だが……あの村に一日でも滞在すれば、彼女の表情は僅かに不安そうに眉を顰めるか、悲しみを耐えながら怯えるしかない出会ったばかりの頃に戻ってしまいそうで……それが嫌だった。


 村に遣いをやると伝えて落ち着きを取り戻した彼女に文字を教えながら、本を読んでやる。午後はしもべにダンスを教えさせている間に、俺は自室へ閉じこもっていくつかの荷物を整理することにした。

 村人や魔物狩人ハンターが屋敷を狙っているようなら、ここから出て都市で暮らそう。ヒトの流れが多い場所なら金さえ積めば学舎にも通えるかもしれない。

 金目の物と幾つかの魔道具、それに彼女が気に入っている何着かのドレスと外套をまとめて、窓の外を見る。

 外はすっかり日が暮れていた。自室の扉を開くと、そこにはゆったりとした淡い若草色の筒衣ワンピースを纏い、首に貂の襟巻きを巻いたラディがやってきたところだった。


「おやすみの挨拶をしようと思って……。アインったらずっと部屋から出てこないんだもの」


 拗ねたように頬を膨らませてから、彼女は照れくさそうに笑う。


「ごめん、少し仕事をしていてね」


 彼女は俺の手を取ると、自室の前まで引っ張っていく。首筋から香る甘い芳香は、空腹を満たせない。だが、体の中の大切な部分が満たされていくような気持ちになる。

 気が強く、自由奔放でなんでも知っていたザハラとは全然違う。ずっと、ラディを見つけるまではザハラがあのまま生まれ変わっていると信じていた部分もあった。だから、彼女と違う部分を嫌いになるのではないかと不安だった。

 だが、そうではない。ザハラではなくこの子に笑って欲しい……この子が俺と共に生きることを望んで欲しい。そう思っていた。


「元気がないようだったから、心配していたの。アイン、私はあまり役に立てないだろうけど、出来ることならなんでもするわ」


「ラディ、君がこうして可愛らしい両手で俺に触れてくれるだけで疲れが癒える」


 彼女の華奢な肩と膝の裏を支えて抱き上げて、そのままラディの寝室へと向かう。

 まだ自分に自信が持てないところは変わっていない。時折、切なげな表情を浮かべて曖昧に微笑む。だから、その度に「いてくれるだけで十分だ」と伝えるのだが、彼女は物憂げに目を伏せて口角を僅かに持ち上げるだけで終わる。

 俺もザハラと出会うまでは化物として疎まれていたからわからなくもない。生まれてからずっと虐げられてきた者が、自分が役立たずだとか負担だと感じなくなるには時間が掛かる。


「悪魔の力がなければ、母さまたちにもそう思ってもらえたのかな」


「ラディ……夢の世界へ落ちる前に、君に素敵な話をしてあげよう」


 小さな声で呟いた彼女の耳元に口を寄せて囁いた。銀の首輪チョーカーを外さないのは、魔法を悪魔の力だと思い込んでいるせいもあるだろう。

 機会が無くて教えてやれていなかったな。

 俺は彼女を寝具に横たわらせて、キルトのシーツをかけてやってから彼女の寝具へ腰掛ける。

 マットが沈み、ラディが布団で口元を隠しながら俺の顔を見上げている。その目は不安と期待が入り交じっているように思えた。


「あかがね色の髪は、古くからいる妖精たちからの祝福ギフトなんだ」


 灯り代わりに部屋へ置いた夜光花の黄色い光がぼんやりと俺たちを照らす。話し始めた俺は、ラディの薔薇色に染まる頬をそっと撫でてから胸辺りまで伸びたあかがね色の髪に指を通した。


「大地の底を流れる色、生き物の体を巡る色、朝と夜どちらの訪れも教えてくれる生命の色、ヒトを獣から守る炎の色」


 炎、と聞いて彼女の喉が鳴る音が聞こえる。僅かに不安の宿る瞳。ああ、まだ自分の母親を傷つけたことを気にしているのだとわかる。

 それは、仕方の無い事故だっていうのに。しかし、そんな言葉は届かないというのを俺も知っている。だから、気にするなと言う言葉を飲み込んで、彼女のしっかりと結ばれた薄い唇を指で撫でて微笑んで言葉を続けた。


「君が望むのなら、その力との付き合い方を教えられる」


「でも、その……まだ怖いの。信じてないわけじゃないわ! ただ」


 慌てたように上半身を起こしたラディの肩に手を置いて、もう一度寝具に横たわらせながら俺は彼女の額に唇を落とす。


「大丈夫、ゆっくりでいい。俺は君が拒絶しない限りいつまでもそばにいる」


「拒絶なんてしないわ! だって、私を大切にしてくれてるって……わかるもの」


 顔をシーツで隠しながら、そう言ってくれた彼女の腕を取って手の甲に触れるようなキスをした。牙を立てたいという気持ちが一瞬だけ頭を過る。

 彼女を同族に変えてしまえば、永遠に近い時を共に歩める。けれど……ヒトの気持ちは移ろいやすいことも、永遠という時の長さはニンゲンを狂わせやすいということも俺は知ってしまった。


「ありがとう、可憐な花の子ラディアータ。ゆっくりおやすみ」


 邪な気持ちを追いやって、俺は彼女の頭を撫でて手を握る。

 スースーという可愛らしい寝息が聞こえて、俺の手を握りしめていたラディの手が解けてから彼女の寝室を後にした。

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