そのFMが聴こえる者に災いあれ
わんにゃん
そのFMが聴こえる者に災いあれ
僕は一人でFM無意味チャンネルを聴くのが好きだ。
いつも無意味な音が流れている。
ホワイトノイズをずっと流していた時は、人気が高かったのだろう、24時間×半年間流し続けていた。その間、解説や無駄なおしゃべり、CMも一切なしである。
音は正確にいうと100%のホワイトノイズではなく、ゆったりしたゆらぎを入れていて、それが心地よいのだった。まぁ普通は雑音にしか聞こえないだろうが。
FM無意味チャンネルは時々小川のせせらぎとか、森林の樹々が風にそよぐ音など、自然が紡ぎ出す音を24時間流していることがある。ライブ音源のようで、夜は夜の音がする。
しかし自然音は数日から長くとも2〜3週間で終わってしまう。短い時は1日だ。
やはり、
FM無意味チャンネルの一番いいところは、人の声が入らないことだ。他の局では、必ず意味を持った喋りが入る。うっとうしくて仕方がないので切ってしまうが、無意味チャンネルはそういうことは一切ない。名前が示している通りだ。
ある時、奇妙な音が続いた。楽器音ではなく、自然の音でもなく、電子的で人工的な音でもなかった。なんの音かわからなかった。
ただたまらなく気持ちよく、僕は眠ってしまった。
何日経ったのかわからない。FM無意味チャンネルから初めて意味のある音が流れた。不思議な中性的な声だった。
『FM無意味チャンネルは本日24時丁度を持って終わらせていただきます』
その一言だけだった。24時まで気持ちのいい音が流れていたがピタッと止まり、本当のノイズだけに変わった。
僕は残念な気持ちと、終わってほっとした気持ちとがないまぜになったまま夜明けを迎えた。
そして久しぶりに学校へ行き、顔見知りに声をかけて話をしたが、誰もFM無意味チャンネルのことを知らなかった。
それでいいんだと思った。あの心地よい日々は戻らないだろうけど、僕の胸の奥底には残っている。
だから、一人の女子学生がFM無意味チャンネルを聴いていたという話を耳にしても、さしたる興味は引かなかった。彼女はFM無意味チャンネルが放送中止になって間も無く、休学して海外に語学留学に行ったそうだ。
こうして面白くもないキャンパス生活が戻った。卒業だけはしようと考えを改めたのだ。
そんなある日、目の前にすらっとした見事なスタイルで、涼しい眼をした女性が現れた。誰がどう見ても美人だろう。
「君が、FM無意味チャンネルを聴いていたという学生ね?」
美しく気持ちのいい声だった。
「ええ、そうですが…」
「私の所属する研究室に来てもらえないかな。話があるのよ」
断る理由もないし、美人である。
「わかりました」そう答えた。
その美人はさっさと歩き始めた。僕は慌てて付いていった。
彼女は理科系の研究棟の方に向かった。僕は文化系なので縁のない区域だ。
草が茫々に生えているが、大半の部屋と廊下には明かりが煌々と点いており、静かな雰囲気ではあったが活気に満ち溢れているような気がした。
大小さまざまなアンテナがびっしりと生えているB棟に入っても彼女はさっさと歩き続け、1つの研究室の前で止まった。
そしてドアをノックするや返事も待たずにさっさと入ると、
「准教授、お連れしました」とだけ言った。
准教授も美人だった。なぜ理科系にこんなに美人がいるんだろう、と不思議に思ったが事実だから仕方がない。
連れて来てくれた女性が大学院の博士課程にいることはわかった。
彼女はフェアリー・メアと名乗った。不思議な名前だったが気にはならなかった。
准教授はフロー・メリンダと名乗った。
「フロー研究室へようこそ」と愛想良く招き入れてくれた。フローが名字なのか。
僕も自己紹介した。
「フローズン・メイスといいます。文学部で英国SFを学んでいます」
「どちらが名字なのかしら?」と愛くるしく聞く准教授。
「フローズンが名字です」
「私たちも名字 → 名前の順番にしてるの」とメア。
「イニシャルは三人ともFMね」と准教授は笑った。
僕は「あなた方はFM無意味チャンネルとどういう関係なのですか?」と先制のジャブを軽く打った。
二人の研究者は同時にクスッと笑った。チャーミングだった。
「察しがついてるくせに」と准教授は言った。
「もちろん私たちが放送してたのよ」とメアが続けた。
僕は別に驚きもしなかった。ただ理由を知りたかった。
「なぜあんな放送を企画して実行したんですか?」
二人の美人は顔を見合わせた。
フロー准教授が言った。
「宇宙人と交信するためよ」
今度は僕が笑う番だった。
「FM用の電波(超短波)なんて使えないじゃないですか」僕は苦笑した。
電波は用途が厳重に管理されている。観測や交信などの宇宙用途にはミリ波やマイクロ波が使われているのだ。
「簡単には騙せないようね。SFを研究しているからかしら?」フロー・メリンダの玉を転がすような美しい声が部屋に響いた。この声には聞き覚えがある。
「FM無意味チャンネルの最後の放送日にアナウンスしたのはフロー先生ですね?」
「その通りよ」准教授は愉快そうに笑った。当ててくれたのを嬉しがる小学生のようだった。
「どうして放送が中止になったんですか?」それも聞きたかったことだ。
「予算がなくなったからよ」あっさりと准教授は言った。僕は拍子抜けした。もっと機密があるのかと思ったのだ。
「暗号送信とかしてるのかと思いましたよ」
「全然してないわよ、そんなの」メアが笑いながら応えた。
「今時、そんなんじゃ予算もらえないわよ。とはいっても単なる私の趣味だったんだけどね」フロー准教授はあっさりと言った。
僕は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてただろう。大学の准教授が研究室を使って趣味でやってたなんて聞こえの良い話ではない。
「大丈夫なんですか?」
「あぁ、大丈夫大丈夫。運用その他、私が個人的にお金を出してやってたから、お咎めなしよ」
しかしまぁ、ここからやってたんだろうに。先生は僕の心を読んだように言った。
「放送局は私の家に設置したのよ。今度遊びにいらっしゃい」
「少しは予算を使ったんでしょ?」
「それは正規の研究に使ったわ。それをちょっと利用させてもらっただけよ」
まぁ、ものは言いようか。しかし興味持っちゃったからなぁ。美人が二人もいるし。
「ぜひ行かせて下さい。メアさんも一緒に」
メアが大笑いした。先生は「正直な子は好きよ」とウインクして見せた。僕は顔が火照るのを感じた。
「じゃ、今度の日曜日はどうかしら。お昼頃。手料理をご馳走するわ。メアと一緒にくればいいでしょう」
女神から下った有難いご託宣のようだった。僕は小躍りしたい気持ちを抑えた。
「僕がFM無意味チャンネルを聴いてたこと、よくメアさんの耳に入りましたね」
「同じ大学ですもの、壁に耳ありよ」そんなものかなと思っていると、
「弟が君のことを知ってるのよ。FM無意味チャンネルのことを教室で話したでしょ、こっちの耳にも入るわよ」
「弟さん?」僕は思い返してみた。誰だろう。
フェアリーが名字?いやいたら覚えているはずだ。
「じゃぁ秘密にしときましょう」メアは悪戯っぽく笑ってその話を切り上げた。
名字が違うってことだろうか?
ともあれ、こうして奇妙ないきさつから、僕は少壮の美人准教授の家にお邪魔することになった。しかも将来の美人博士様付きだ。
メアとは、学生にもよく知られているカフェで落ち合うことになった。夜はバーになる店なので、僕は夜に行くことが多い。
その日、僕は早めに家を出たので先にカフェについていた。10分ほどするとメアがやって来た。
メアはドキッとするほど綺麗だった。しかも活発なセクシーさがほとばしっていた。
「すごく素敵ですよ、メアさん」思わず正直な気持ちが口をついて出た。
「あら、お世辞が上手ね。この女たらし」と言いながらも、上機嫌なメアだった。
「アイリッシュコーヒーなんか飲んでるの。行く前からアルコールとはなかなかのものね」メアは笑った。
「いや、舞い上がっちゃって。少し気分をほぐしとかないと却って粗相をしそうだから…」
メアは初心者の子供を相手にするようにクスクスと笑った。
「もう行きましょうか、お昼すぎには着くように行きたいし」とメア。
メアは注文せずすぐに出ることにした。その方が、顔を知られている人間に見られる確率が下がるので、都合がよかった。
僕はまだ残っているアイリッシュコーヒーを飲みほすと、メアに続いた。
メリンダ先生の自宅は地下鉄でしばらく行った駅からタクシーで10分ほどの場所にあった。
車を持ってない身としては、メアにちょっと申し訳ない気分だった。しかし、メアは全く気にしてないようだった。お酒が入ったし仕方がないな、と僕は自分に言い聞かせた。
メリンダ先生のお宅は、モダンな建築で、とても個人住宅とは思えなかった。
「有名な建築家の設計らしいわよ」と事も無げにメアは言う。設計料は全体費用の何%とほぼ決まっているそうだ。だからと言って簡単に頼めるものではない。
メリンダ先生のお父様にそうした知己が多く、友達感覚で頼んだらしい。
というわけで、食卓で待ち構えている手料理をご馳走になると思ったら、お抱えの料理人とサーバーがいる。贅沢な家庭だ。
メアが言うには、先生はシェフとして彼らに細かな指示を出しているそうだ。材料の吟味から下ごしらえまでやっており、八割方先生が済ませていると言う。
全ては自然に流れていった。
まずはシャンパンで乾杯。最初から豪勢だ。
しかも相当いいシャンパンを出してくれたようだ。
昼間っからお酒を飲むにしても贅沢すぎるなぁ、と思う僕だった。
料理はショートコースと、大皿から自由に各人が取り分ける方式の折中だった。メインディッシュとデザートだけコースで出すやり方だ。多分不慣れな僕のためにそうしたのだろう。
料理がどれもとても美味しいのにびっくりした。丁度、舌が料理と共振して美しい響きを奏でるような不思議な感覚を伴う味だった。
赤ワインと白ワインも料理に合わせて出してくれた。どちらもとても美味しかった。マリアージュに例えられるのもあながち嘘ではないと思った。
特にメインディッシュの肉料理は特筆物だった。何かの胸肉とモモ肉を使ったそうだが、『何か』は奇妙な発音で何語かもわからず、聞き取れなかった。なんでも、養殖されている動物ということだった。
ソースには皮下脂肪と肝臓を特殊な調理法で混ぜ合わせた云々かんぬん…ともかく手の込んだものなのだけは分かった。
「とても美味しくて感動しましたよ。お世辞抜きです。先生は料理も天才なんですね!」というと、先生はとても嬉しそうに、「喜んでくれて嬉しいわ。たんと召し上がってね」
言われなくとも普段は貧しい食生活をしている身なれば、遠慮なくもりもりと食べた。
幸福感だけでもお腹がいっぱいだった。
最後にデザートとコーヒーが出た。メアはハーブティを頼んだ。僕はエスプレッソだ。ちゃんとマシンがあるのだ。
こうして生まれて初めての豪華なランチは終わった。高級レストランなら、数万円では済まないだろう。
口周りを拭き終わって、「どうもごちそうさまでした。天国に招待されたような気分ですよ」
「それは嬉しいわ。でも褒めすぎね、当たらずとも遠からずだけど」極上の笑顔で先生は言った。
「これでFM無意味チャンネルがかかっていたら最高なんですけどね」僕はお世辞を薬味に入れながらも、本気でそう言った。
途端に二人は怪訝な顔をした。どうしたのだろうか。
「何か変なこと言いましたか、僕?」頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。
「でも本気ですよ、FM無意味チャンネルがかかっていたら最高だというのは」
二人はますます不信の目を僕に向けた。
一体なにか失態を犯したのだろうか。
長く感じられた沈黙の後に先生は言った。
「ほんとうにあれが聞こえないの?」
「なにがですか」
先生は失望の眼差しに変わり、メアと顔を見合わせた。メアが言った。
「最初からかかっているのよ、FM無意味チャンネルの番組が」
『えっ』と思って何か反応しようとしたが、あまりの驚きに声も出なかった。
「共鳴してないわね」そう先生は言った。
「してませんね」メアが言った。
なんのことかわからなかったが、僕にはFM無意味チャンネルが全く聞こえてないことだけはわかった。
「こんなことが起こるとは予想外だったわ」と先生。
「本当にFM無意味チャンネルを聴いていたの?」とメア。
「もちろんだよ。学校を休んで1日中聴いてるなんて普通のことだった」
「奇妙ね。ボリュームを上げてみましょうか」
それでも全くダメだった。FM無意味チャンネルの音は全く聞こえなかった。
僕は首を横に振った「聞こえませんね、全くだめです」
二人の美人は信じられないと言う表情をしながら、眼は失望の奈落へと落ちていくように見えた。
「残念だわ。本当に聞こえてるのかと思った」先生はそう嘆いた。
「私も間違いなく聞こえていると思っていたのですが。なんら不整合はありませんでしたし…」メアは言い訳するようにそう述べた。
「でも仕方がないわ。何かの間違いだったのでしょう。こんなに大きくかけているのに聞こえないなんておかしすぎるもの」
「申し訳ありません。せっかく見つけたと思ったのに…」
「いいのよ、実験にミスはつきものだわ。同じように、見込違いというのは世間によくあることよ」
先生はそういうと、最後の一声を発した。
「さあ、お開きにしましょう。今日は来てくれてありがとう。楽しかったわ」
「え、いや、その… せっかく素晴らしい歓待を受けたのに、お気に召さなかったようで申し訳ありませんでした」
僕は訳がわからないままに謝ることにした。先生のお気に召さなかったことは確かなので。
メアは先生と打合せをしたいとのことで、帰りは一人でタクシーに乗り地下鉄駅まで行った。
その間に恐ろしい妄想が膨らみ、連想は止め処がなかった。
次の日、FM無意味チャンネルが聞こえていた女子学生がどうなっているのか調べた。休学ではなく中退だった。こうなると大学では足取りが掴めない。
もう一つ、気をつけて聞き取りをしたのだが、彼女が海外留学したというのはメアの弟が広めたものらしい。
フロー・メリンダという准教授と、フェアリー・メアという大学院生はいるにはいるのだが、ある程度近しそうな人間に聞いても、あれだけの美人を誰もがおぼろげにしか覚えていない。
あまりに近い人間に聞くのは、危険を感じてやめておいたが、二人の存在にはベールがかけられているようだった。
僕の妄想はこうだ。
FM無意味チャンネルは、普通の人には聞こえない音が聞こえ、感覚器官が共鳴する人間を探すために放送されたのだ。そして聞こえる人間が見つかるのは半年に一人程度。僕は過去一年で二人目だったのだ。
そして共鳴する人間は彼女たちにとって、至高の美味と究極の栄養を与える素材なのだ。
僕が先生の料理を美味しく感じたのもそのためだ。僕はその行方不明の女の子を食べたのだ。
僕はその妄想に吐きそうになったが何とかこらえた。美味に感じたのは、先生たちと感覚が共通するからだろう。
もう僕は考えないことにした。仮説に仮説を積み上げたところで妄想しか得られない。
そうして月日は流れ、久しぶりにFMが聴きたくなった。すると懐かしい音響が聴こえた。FM無意味チャンネルから流れていた音たちだ。
なぜ聴こえるんだろう?あの日、先生のお宅では全く聴こえなかったのに。
僕は試しにワインを飲んでみた。買い置きしてあった安い赤だ。
ワインをひとくち飲むと音は小さくなり、あっさりと聴こえなくなってしまった。
これが原因か。
僕の特異体質は、お酒を飲むとFM無意味チャンネルの音が聞こえなくなるのだ。
僕が助かったのは、偶然がいくつも重なったからに過ぎないのかもしれない。
おそらく、数千人に一人程度のこの不思議な音が聞こえる人間は、ハメルーンの笛吹き男に操られるように、先生の元に行く運命なのだろう。もしくは僕のように直接一本釣りに来るか。
そして心地よい音楽に眠らされる。
彼女たちは長い時間をかけて慎重にやっている。僕に手を出せる世界ではない。
半年に一人ぐらいが退学しても、みんなの日常に影響することなど何もないのだ。
僕はワインをもう一度つぐと、自分の幸運に一人で乾杯した。
そのFMが聴こえる者に災いあれ わんにゃん @wan-nyan
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