エピローグ

 天の川銀河ペルセウス腕外縁部「人類最後方艦隊ラストホープ」の偵察艦ニューサントリングの任務は星喰と称される生体装置の偵察である。ハイパースペースレーン上において人類領域から最も近い恒星系にいる星喰を観測できるように機動偵察装置をワープさせて、超光速FTL通信ポッドを受け取り、解析することだ。ニューサントリングの主任通信士であるジョエル・マクドウェル・ロイ少尉は最新の解析結果をレギンレイヴから受け取り、そしてすぐさま艦長に連絡を取った。解析結果は基本的にすべての乗組員に開示されることになっているが、ジョエルはこのデータを自分の判断では共有フォルダにアップロードできないと思ったのだ。

 データを受け取った艦長はその中身を閲覧すると、眉根に皺を寄せた。


「ジョエル少尉、貴官はこれをどう見る?」


「星喰が同士討ちするという話は聞いたことがありません。異星情報生命体シュクミラのデータベースも検索しましたが、やはりそのような観測記録はありませんでした。明らかな攻撃行為で、なんらかの文化、あるいは習性によるもののようには思えません」


「確かにそうね。私も聞いたことがない。そもそもこれだけの質量を持った星喰がまとまって超光速移動するという前例自体が無いわ」


 通信ポッドによると、その恒星系でダイソン球を構成した星喰を襲ったのは、倍の質量を持った星喰の群れだ。人類の知るところでは、星喰は人類の艦船にしておよそ1億隻分の質量をひとつの群れとして行動する。しかしその恒星系にワープアウトしてきた星喰の質量はゆうに8000億隻分を超える。

 現在、人類は1億隻分の星喰であれば撃滅できる。星系が星喰に襲われたとしても、星系を捨てて逃げる必要は無い。無かった。しかし8000億隻分となると事情が変わる。少なくとも1星系に所属する艦隊では為す術も無く飲み込まれるだろう。対応するとなると他の星系に協力を仰ぎ、人類だけで無くその他の知的種族の力も借りなければならないだろう。それでも厳しい。統合宇宙軍がダイソン球を形成した星喰に対して反攻勢をかけられないのも、その数に勝るほどの戦力が無いからだ。


「天の川銀河を捨てる時が来たのかもね……」


 人類とその他の知的種族は星喰に追い立てられるようにペルセウス腕の外縁部まで押し込まれた。すでに天の川銀河を構成する恒星の3割が星喰が構築したダイソン球に覆われて、光を外に放つことがなくなっている。星喰の増加速度はねずみ算式ではないが、やや加速傾向にある。このままでは近い将来、天の川銀河は暗闇に覆われるだろう。

 今回の星喰の大移動と、同士討ちは、増えすぎた星喰が自ら間引きを行っているとも考えられる。


「この調子で星喰同士が潰し合ってくれればいいんですが」


「星喰がダイソン球を攻撃したところで、後には新しいダイソン球ができあがるだけよ。このデータの続きは? 機動偵察装置は破壊されたのかしら?」


「次の定時連絡が無ければそういうことになります。このデータはどうしますか?」


「乗員に動揺を与えたくは無い。上に任せて結果が出るまではお口にチャックよ。ジョエル少尉」


 随分と古くさい、というよりは古語に近い言い回しにジョエルは口元を緩めた。が、すぐに引き締める。


「観測結果が開示されないことを疑問に思う乗員も出るかと思われます」


「艦長命令ということでいい。本部宛にこのデータを載せた超光速通信ポッドを送って」


「アイマム」


 ジョエルは艦長との通信を切って命令に従った。

 超光速通信ポッドはワープドライブを備えた超光速連絡用の機材だ。今のところ人類は直接的な超光速FTL通信を発明できていないので、恒星間で最も早い連絡手段はこれだ、ということになる。偵察艦であるニューサントリングは多数の超光速通信ポッドを積載していたが、長い任務で残数は心許ない。交代艦が来てくれればいいのだが、超光速通信ポッドを積んだ荷物パッケージだけが届く、という可能性もある。

 ニューサントリングが発生させている重力波の圏外まで飛翔した超光速通信ポッドは自前のワープドライブを起動して虚空へと飛び去って行った。

 入れ替わるようにワープアウトしてきたのは超光速通信ポッドだ。ニューサントリングにデータを送信し始める。星喰のいる星系に送った機動偵察装置からのものだった。定時連絡には随分と早い。ジョエルは疑問に思いながらもデータパッケージを開いた。それは映像データだった。機動偵察装置に接近する1体の星喰が映っている。それでジョエルは機動偵察装置が最後の超光速通信ポッドを送ってきたのだと思った。AIが自分が破壊されると理解して最後のデータを送りつけてきたのだ。

 機動偵察装置はその名称からも分かる通り戦闘能力を持たない。相手が1体の星喰であっても対抗手段が無い。星喰の生体レーザー発振器官が瞬いて生体レーザーが機動偵察装置に突き刺さった。その時点でジョエルはおかしいと思った。機動偵察装置が破壊されたのだとすれば、攻撃されるシーンが映っているはずがないからだ。事実、星喰の放ったレーザーは機動偵察装置を破壊しなかった。その表面を軽く照らす程度の弱々しいレーザー光が高速で瞬くだけだ。

 そのデータをどう扱えばいいのかジョエルには分からなかった。星喰は機動偵察装置をレーザーで軽く、優しく、照らし続けている。ジョエルには分からなかった。だがニューサントリングの艦AIは彼よりずっとこのデータの示す意味を理解しやすかった。艦AIはレギンレイヴを通じてジョエルに示唆を送る。


(2進数です。この星喰は短い発光と長い発光で2進数を表現しています)


「そんな馬鹿な!」


 思わずジョエルは口にして席から立ち上がった。周りにいた通信士たちがびっくりしてジョエルに目線を向ける。ジョエルは咳払いして、席に座り直した。

 星喰は戦術的行動を取るがそれは本能によるものだと思われていた。少なくとも星喰から通信を受け取ったという記録は人類にもシュクミラにも無い。他の知的種族にしてもそのはずだ。

 一方で2進数は人類がファーストコンタクト時に真っ先に試す通信手段である。相手の知的レベルが一定に達していれば2進数を理解することができるはずだからだ。2進数による数学的真理は、どんな文明にも共通する。

 だがこの2進数は数学的真理を表現したものでは無かった。


(統合宇宙軍の通信プロトコルに似ています。完全に同一ではありませんが、酷似しています。展開することも可能ですが、スタンドアロンでの実行を強く推奨します)


 流石に二度も席を立つような真似はしなかった。だが頭を抱えたかった。主任通信士であるジョエルはスタンドアロン環境を構築することが許されているが、とても1人では抱えきれない。すぐに艦長に通信を送った。


 5分後、ジョエルと艦長は隔離室の中で集合した。ここでなら何が起きても外部にデータが漏れることはない。星喰が送りつけてきたのが致命的なデータウイルスだとしても被害を受けるのは隔離端末とジョエルと艦長だけだ。


「星喰からのデータを展開して」


 艦長が命じ、隔離端末が統合宇宙軍の通信プロトコルに従って星喰の発光信号を展開し始めた。それは音声データだった。何らかの言語に聞こえるがジョエルには理解できない。レギンレイヴに聞いてみたが、隔離環境にいるレギンレイヴ内のデータには類似の言語は存在しなかった。隔離端末も同様のようだ。


「星喰の言語、ですかね?」


 ジョエルはそう言って艦長に目線を向けてぎょっとした。艦長の目からは涙が溢れていたからだ。艦長は零れ落ちる涙にも、ジョエルの問いかけにも気付かないようにその音声に聞き入っている。


「ルフト……」


 その唇がそう言葉を紡いだ。




 4キロパーセク。1万5千年に及ぶ彼女の彷徨が終わった。

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彷徨のレギンレイヴ 二上たいら @kelpie

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