リリーフ

〈非常事態です。全員、直ちに最寄りのワープスポットへ向かってください。繰り返します。非常事態です……〉

「カクヨム」運営が事態を認知したのは、「カクヨム」フィールドの空が割れてからしばらく経った後だった。

 僕と日諸さん、亜未田さんは木の根元に腰かけ、力尽きたあいつを……小川将吾を眺めていた。静かだった。

 小川将吾による通信妨害が終わったからだろう。

 H.O.L.M.E.S.が、眼鏡型端末を通じて話しかけてくる。

〈最寄りのワープスポットは十時の方角、約二百メートル先です〉

「ああ」

 僕はあいつの体を見つめる。

〈『カクヨム』運営が撤収を求めています。直ちに向かった方がよろしいかと〉

「ああ」

 僕はあいつとの日々を思い出していた。


 二人でアイディアを出し合った。二人で意見を出し合った。二人で作品を作った。二人で小説を書いた。

 若かった。あの頃の僕たちは十代で、コンビの解散を決めたのは二十二の時。ざっと六年間、僕たちは作品を書き続けた。

 そして僕は飯田太朗になり、『ホームズ、推理しろ』を書いた。同じ題材であいつは『あの羊を屠るには』を書いた。

 いつの間にか二人の間に差ができた。

 それは読者数、という意味でも。心の壁、という意味でも。

「飯田氏、亜未田さん」

 日諸さんが立ち上がる。

「行くぞ……行かなきゃならない」

「そうだな」

 僕は立ち上がる。亜未田さんは……ファントムナイフは目に見えないので、出しているのかしまっているのかは僕からは分からなかったが……掌をじっと見つめていた。何だかとても、おそろしいものを見るような目で。


 ワープスポット。闘技場。参戦作家待合室。

 大混乱だった。まず、アカウントの動作異常。

 自分を殴り続けるキングコング、アーマーが暴走しているロボ兵士、剣をやみくもに振り回すイケメン剣士……まともな挙動をしているのは僕らくらいだった。

 botも壊れている。

「アカウントが死亡しても……アカウントが削除される……作品に影響が出る……」

「何が起きているんだ?」日諸さんが問う。僕は答える。

「ハッキングだ。『カクヨム』のセキュリティが壊されてウィルスが散布された」

「ウィルス?」

 僕はポケットからカード状の端末を出し、H.O.L.M.E.S.の分析結果を見せる。

〈新種だと思われます。サイバー犯罪史に記載のあるどのウィルスの型とも一致しません〉

「新種のウィルス?」

「僕の確認した限り、作家の作品から対象を引っ張り出し、それを暴れさせたり使役したりできるウィルスのようだ」


「じゃあ、あの郵便局も……」

 亜未田さんの言葉に僕は被せる。

「ある参戦作家の作品にあったものだ」

「襲い掛かってくる木も?」

「同じ参戦作家の作品から。ウィルスの影響で暴れさせられていた」

 そして……。と、僕は続ける。

「君たちを惑わせたイリュージョンは、僕の作品から引っ張り出されたものだ」


「挙動に異常が見られるアカウントは、クイックスキャンを受けてください。繰り返します。挙動に異常が見られるアカウントは、クイックスキャンを受けてください」

「カクヨム」スタッフだ。僕は日諸さんや亜未田さんと一旦別れる。

「僕も自分の作品を参照されている。ウィルスの汚染下にあるかもしれない」

「行ってこい」日諸さん。「待ってる。ここで」

 クイックスキャンを受けた。僕のアカウント情報に大きな異常は見られなかった。

 一旦安心して、闘技場の外に出る。

 すると、そこには。


 火を噴きながらアカウントに襲い掛かるドラゴン、ビームを乱射するロボット、人の形をした、だが明らかに人ではない何か。

 とにかく、おそらく色々な作家の作品にあったような、創造物が。

 全部現実になっていた。作品から無理矢理引っ張り出されたそれらは無作為にアカウントを襲っていた。

「カクヨム」が阿鼻叫喚の地獄と化していた。


 悲鳴。絶叫。断末魔。

 攻撃されるアカウント、誰かを守ろうとするアカウント、逃げ回るアカウント、大混乱だった。

 僕たちは慌てて外に出る。

 平和な「カクヨム」はどこにもなかった。あるのは混乱、惨状、それこそ筆舌に尽くしがたい……殺戮だった。


 突如、近くで悲鳴。

 僕の目に飛び込んできたのは知り合いだった。咄嗟の判断で僕は突進する。

 僕の知り合いに襲い掛かっていたのは二面の狼だった。おそらくファンタジー作品から引っ張り出された。僕の体当たりが獣の体を突き飛ばす。地面に叩き付けられたそれはすぐさま体勢を立て直し、姿勢を低くしてこちらを睨む。

 僕は叫ぶ。

「大丈夫か、るかちゃん!」

 僕の背後で、倒れ込んでいるアカウントがいる。女の子。花冠を頭に乗せている。

 香澄るか。僕の知り合い。『Paradise』という青春小説の作家。僕と交流のある作家だ。


「飯田氏、状況を詳しく説明してくれ!」

 日諸さんが叫ぶ。

 ここは闘技場じゃない。攻撃的な能力は一切使えない。僕も使えるのはH.O.L.M.E.S.の能力の一部が限界だろう。電気ショックパッドやB.O.N.D.、M.C.G.U.R.K.も使えなくなっている。


 危機的だった。目の前には二面の狼。それでなくても、周囲にはドラゴン、ロボット、人外、クリーチャー、何でもござれだ。

 目の前の獣の唸り声。対抗手段を持たずに前に出た僕。


 日諸さんも同様の状態だった。

「朱ねこさん、俺の後ろに」

 怯えた様子の赤髪の女の子を後ろに隠し、日諸さんが巨大なロボットと向き合っていた。無機質な輝きを放つ剛腕。煙。何を意味するのか分からないランプ。だが明らかに分かるのは、こちらに攻撃する意思を持っていること。

 彼も危険な状況だった。


「ウィルスの影響が『カクヨム』全体に広がっている!」

 僕は目の前の二面狼を注視しながら、日諸さんに向かって叫ぶ。

「作品からものが引っ張り出されているんだ! どれもこれも作中の存在だ!」

「困ったな、『カムイ』が使えない……」

 じりじりと下がる日諸さんを見て、僕は思いつく。

「るかちゃん、立って!」

「は、はい!」

 僕は彼女の手を取る。小さな手。震えている。

「日諸さん、闘技場だ! 闘技場に逃げ込めば戦闘的な能力が使える!」

「分かった!」

 彼も朱ねこさんの手を取り闘技場に走る。直後、彼らがいた場所の地面が粉砕された。ロボットが腕を振り下ろしたのだ。

 僕は量子ステルスブランケットを……闘技場を出た今、それはただの布切れだったが……を二面狼の顔に投げつける。一瞬の目くらまし。だが獣はすぐに布を振り払い僕らに襲い掛かる。僕はB.O.N.D.を取り出す。折り畳み傘。バッと広げる。いきなり対象が大きくなったからだろう。二面狼は後ずさりする。僕はすぐさま、るかちゃんを連れて駆け出す。

 闘技場。その入り口で、亜未田さんが立ち尽くしていた。

「こ、これは……どういう……」

「占いくん!」

 僕は叫ぶ。

「闘技場へ避難しろ! 戦えない作家を守るんだ!」

「わ……分かった!」

 悲鳴。何かが壊れる音。平穏から地獄へ。

 その日、「カクヨム」が変わった。



「カクヨム」が事態の収拾に走ったのは、「カクヨム」の空が割れてから、二時間後のことだった。

 想定外の事態だったらしい。堅牢な「カクヨム」のシステムが破られるとは思っていなかったようだ。それも特に、作家の安全を預かっている、闘技場のセキュリティが破られるのは完全に想定外だったらしい。運営の対応は後手後手に回っていた。

 僕たちは闘技場の中に避難し、外から襲い掛かってくる創作物と戦った。

 僕は戦闘向きの作家じゃない。ただのミステリー作家だ。でも戦った。友人のために。知人のために。作家のために。

「カクヨム」運営が「カクヨム」のシステムを初期化したのは事件が起きてから四時間後のことだった。


 アカウントは一旦避難させられた。損傷のあるアカウントは修復システムに集められ、完全にクラッシュされたアカウントは一カ所に集められた。闘技場内に避難し、無事生存したアカウントたちは一度「カクヨム」からのログアウトをさせられた。僕も日諸さんも亜未田さんも。僕たちが守った香澄るかさんや朱ねこさん、それから僕の知り合い、伊織姉様やすず姉、結月花ちゃんも、みんな、ログアウトさせられた。



 それから色々なことが起きた。

 まず、「カクヨム」は作家たちに自衛を求めた。VR装置は自分の脳、あるいは神経系を電子空間に繋ぐ装置だ。当然、その装置によって繋がる先にも「自分の一部」が置かれていることになる。ログアウトしっぱなしにはできない。正当な手続きをとってアウトしないと、リアルの生活に健忘や認知能力の低下などの支障が出る。つまり、僕たちは一度「カクヨム」に帰ることを強制された。


 しかし「カクヨム」運営も考えた。

 多くのアカウントが闘技場に避難したことで自衛できたことに利点を見出したのだろう。「カクヨム」フィールド全体を闘技場設定にした。特別な知識がなくてもアカウントの力でただぶん殴るだけでウィルスの駆除ができるのだ。


 ハッキングを行った人物による犯行声明が出されたのは、事件発覚の八時間後。


「所詮、小説だ。所詮、文字だ。これは全ての作家を創作という鎖から解放する。いわば、『リベレーター』だ」


 あのウィルスは「リベレーター」という名前らしかった。しかし「カクヨム」運営はサイバーテロリストの言葉を使うことを避け、独自に「エディター」という言葉を使い、ウィルスを定義した。ここから僕たち作家と「エディター」の戦いは始まった。


 ギルドが出来た。自衛を中心としたレジスト陣営。駆除を中心としたアシスト陣営に分かれた。皆それぞれの意思で、それぞれの能力を活かせるギルドに集まった。


 僕もギルドに属するのが賢明だと思われた。僕は悩んだ。数名のユーザーが……「☆」が極端に多い作家たちが……ギルドを立ち上げていたが、僕はそのどれにも属せない気がしていた。しかし、自衛をするに当たって集団でいることは必要なように思われた。そんな僕に、声をかけてきたアカウントがいた。


「創作は自由であるべきだ」


 そんなモットーを掲げて小さなギルドを作ったユーザーが三人いた。

 一人は、あの闘技場イベントの直前、猫を抱いているところに出会った加藤伊織さんだった。彼女は顔が広かったので、各方面に声をかけ、どのギルドにも属せない、いわゆるはみ出し者を拾っていった。

 僕と親交のある、とあるアカウントは、「☆」の力で作家を拘束する他のギルドの体制が気に入らない、と、新たなギルドの基盤を作ることにした。

 そして、僕の敬愛する、陽澄すずめさん。

 彼女は伝手を辿って、即戦力になりそうな作家を集めていった。「エディター」討伐の力になりそうな、「戦える作家」を。

 僕に声をかけてくれたのも彼女だった。


「香澄るかちゃん、守ったんだって?」

「カクヨム」の片隅。

 襲い掛かってくる「エディター」を、様々な防犯グッズで撃退しながら何とか暮らしていた僕に、彼女は声をかけてくれた。

 黒のライダースーツ。脇にはヘルメット。すず姉はいつ見ても様になる。

 彼女は微笑みながら、僕の傍に来た。

「かっこいいじゃん。うちに来ない?」

「僕なんかいても役に立たないさ」

 ミステリー作家だぜ? そうおどける僕に、すず姉は告げた。

「それでもあなたは、人を守った。そんな作家が、必要なんだ」

 不思議だった。

 その一言で、何でも頑張れる気がした。


 日諸さんには僕が声をかけた。彼も間違いなく「戦える作家」だ。彼は僕のオファーを快諾した。彼は朱ねこさんを守りながら二人で「カクヨム」の片隅で暮らしていた。ほとんど焼け野原になった「カクヨム」の中で暮らす二人は何だかとても惨めで、僕は二人に、少しでも救いがあることを願った。



「カクヨム」の墓地。

「エディター」騒動でクラッシュしたアカウントが集められている。

 墓地、と言っても名ばかりで、ちぎれた腕、おそらく足の指と思われる断片、そうしたものが、掃きだめのように集められている場所だった。

「カクヨム」運営はこれらのアカウントの断片をいずれは修復し、リアルのユーザーの救出を行うと宣言していたが、実際のところ、もう被害は甚大だった。VR装置の中で死亡している人間は膨大な数に及んでおり、一大ニュースになっていた。そんな人間の、電子上での残骸が転がっているのが、この「カクヨム」墓地だった。


 そこに彼は、立ち尽くしていた。


「占いくん」

 僕は彼の隣に立つ。

「こんなことを言っても、救いにはならないかもしれないが……」

 そう前置きしてから、続ける。

「君が気にすることじゃない」

 占いくん……亜未田久志さんが見つめているのは、この残骸しかない墓地の中で唯一、人の形を留めているアカウントの死体だった。

 小川将吾。僕の親友の、残骸。

「殺してしまった」

 つぶやいた声が、墓地の中に消えていく。

「刺したんだ。この手で」

「正当防衛だ」

 僕は続ける。

「あの時はああするしかなかった」

 僕は彼に向き直った。

「君には力がある。作家を守り、ウィルスを駆逐する力が。その力を貸してほしい」

「ノラ」に来ないか。僕はそのオファーを彼にしに来た。彼は小さくつぶやいた。

「力には、責任が伴う」

 それが彼の中で何を意味する言葉なのか僕には分からなかったが、しかし僕は頷いた。

「そうかもな」

 亜未田さんは言葉を続けた。

「作家を助ければ……ウィルスを退治すれば……少しでも救われるかな?」

 悲痛な声だった。切実で、縋るような。だが僕には分からなかった。

 僕に分かっていることは、ひとつ。

 僕の『ホームズ、推理しろ』が小川将吾の『あの羊を屠るには』より読まれた理由についてだ。

 あいつは、僕が読者に合わせて変化したから読まれたのだと、そう思っていた。

 でも実際は違う。


「作者は読者にとっての、灯台であるべきだ」

 僕の持論だ。それが亜未田さんにどう響いたのかは、分からない。

「広い人生の海の中で、創作の力によって希望の光を差し込む。作家はそんな存在であるべきだ。揺るがない、確かな、確固たる存在であるべきだ」

 そう、僕は読者に合わせて作品を変えたんじゃない。肝心なところを変えずに光の当て方を変えただけなのだ。『ホームズ、推理しろ』と『あの羊を屠るには』の間に差があるとすればそこだ。あいつはブレた。僕はブレなかった。


「……その確固たる存在であるべき作家が迷ったら?」

 亜未田さんが、こちらを見つめる。僕は答える。

「小説を読め。誰かが君を、照らしてくれる」

 そして君も誰かを照らすんだ。


 その言葉が、効いたのかは分からない。

 アカウント亜未田久志が「ノラ」ギルドに入った。



 リアルの生活に戻った僕は、ロバートと周を呼んで中華料理店「旭華園」で宴会をしていた。周が訊いてくる。

「『カクヨム』騒動、大丈夫?」

 僕は笑って、白酒を飲みながら答えた。

「今のところはな。しかしどうなることやら」

「知り合いは巻き込まれていないのかよ?」

 ロバートのこの質問は、多分「リアルの知人は巻き込まれていないのか?」という質問だったのだと思う。僕は答える。

「さぁな」

 宴会が終わり、部屋に帰ると。

 僕は連絡を取る。

 あの小川将吾のアカウントが、謎のサイバーテロリストに乗っ取られただけ、という、ありもしない可能性に賭けて、一言。

 あいつに、向かって。


「よう」


 返事は、今のところない。


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僕が「小説」を書き続ける理由。 飯田太朗 @taroIda

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