シーミング
気が付けば。
頬が地面についている。
腐葉土だろうか。苔だろうか。柔らかい感触。ずっとこのまま寝ていたいような。
そして分かった。何をされたか。
「『ホームズ、推理しろ』だな……?」
やっとのことで声を出す。
「……僕の作品を参照したのか」
「僕が参照したんじゃないよ。あの方のくれた力で引っ張り出したんだ」
頭上。
あいつが僕を見下ろしている。ここに来てようやく分かった。あいつが何をしたか。
僕の作品から「犯人」を引っ張り出したんだ。僕の作品はミステリーだ。探偵がいれば犯人もいる。そして、人工知能が活躍するSF風ミステリーの『ホームズ、推理しろ』の犯人は。
最新鋭のホログラムを使って人を錯乱させ、死へと導く「死の道化師」なのだ。様々な科学的殺人道具を使って人を殺す連続殺人鬼なのだ。
あいつが、この闘技場イベントの参戦作家作品から郵便局やタラヨウの木を引っ張り出したように。
僕の作品から「死の道化師」の科学的殺人道具を引っ張り出したのだ。その道具の力で、僕たちを……日諸さんを、亜未田さんを……撹乱していた。
そしてさっきあいつが僕の掌に置いたカフスボタンは。
外部から人の神経系に直接刺激を送ることで筋肉を硬直させ、一切の身動きをとれなくする「死の道化師」の殺人アイテムのひとつだった。僕の『ホームズ、推理しろ』の中では、「死の道化師」はホログラムを使って夫婦やカップルの男性側を翻弄し、カフスボタンで身動きをとれなくしてから縛り上げ、目の前でパートナーの女性を切り刻んで殺すという猟奇殺人犯だった。
あいつはその作中殺人アイテムを引っ張り出して僕を攻撃していたのだ。
「皮肉だな。自分の作品で殺される気分はどうだ」
全身の筋肉が硬直している。動けない。今の僕は、まな板の上に置かれた肉塊と一緒だ。あいつの好きに料理される。
「親友として、君に最後の挨拶ができることがとても嬉しいよ」
目を瞑る。拳を握る。覚悟を決める。
が、彼が膝をついたのは、その直後のことだった。
声にならない声。意味をなさない言葉。
あいつが呻いている……あいつが呻いている! うまくいった……うまくいった!
「M.C.G.U.R.K.」
僕は必死に声を振り絞る。
「よくやった……!」
缶バッジ型子供用防犯人工知能、M.C.G.U.R.K.。
使える機能は、発信機、通信機、マップ機能、ブザー、電気ショック……電気ショック!
「同じ手を食らうなんて君らしくないな」
僕は震える腕で体を起こす。掌にあったカフス型拘束装置を遠くに投げる。あれの作用時間はそれほど長くない。ましてや体から離れてしまえばそれほど影響力はなくなる。だからこそ、「死の道化師」は男性を「縛り上げる」。
皮肉にも僕は、自分の小説の道具によって追い詰められ……自分の小説の描写によって勝機を得た。僕は何とか立ち上がる。
「郵便局で触れ合った時に使ったのは電気ショックパッドだけじゃなかったんだよ。M.C.G.U.R.K.もくっつけておいたんだ」
強張る膝。だが何とか立っていられる。
「いくらH.O.L.M.E.S.でもマーキングのない相手を追いかけるのは不可能だ。郵便局からバイクで君を追いかけられたのは……M.C.G.U.R.K.が発信機として機能していたからだ。そして……!」
今。僕の目の前で。
小川将吾はM.C.G.U.R.K.の電気ショックによって痺れ、膝をついている。それほど出力は高くない。だが相手の動きを止めるには十分な威力。
形勢は、逆転した。
「……君が色々なことに気を配れるようになって嬉しいよ」
あいつが笑う。痺れながら、追い詰められながらも、笑う。
「この暗闇も『死の道化師』のホログラムだな?」
「君の作品なんだから君がよく分かっているだろう」
「亜未田さんが混乱していたのも、このホログラムを使ったってわけだ」
やったらめったらにファントムナイフを振り回していた理由にも納得がいく。亜未田さんは幻覚を見せられていたのだ。
そして、このイリュージョンが僕の『ホームズ、推理しろ』から引っ張り出した道具の力だとしたら。
ホログラムの発生源は彼のジャケットについているピンバッジだ。僕は身動きの取れない彼に近づいてジャケットの襟についているピンバッジを取り上げ、地面に叩き付ける。それから力を込めて踏み潰す。
と、それを合図にしたかのように。
暗闇が晴れていく。元の森林風景が戻ってきた。「カムイ」の刃を構える日諸さん。ファントムナイフで周囲を警戒する亜未田さん。
「もう、大丈夫だ」
僕は日諸さんと亜未田さんに声をかける。
「こっちに来てくれ。こいつが今回の騒動の主犯だ」
おそるおそる、といった様子で。
日諸さんと亜未田さんがこちらに寄ってくる。二人に両脇を固めてもらい、僕はあいつを見下ろす。
「殺人鬼が暗躍する話なんだろう? 君の『あの羊を屠るには』は」
体の緊張が解けてきた。手を握ったり開いたりを繰り返し、体の感覚をつかみ直す。質問を続ける。
「L.E.C.T.E.R.以外に殺人道具はないのか?」
「L.E.C.T.E.R.は優秀でね」あいつはにやにや笑っていた。「あいつひとつで事足りるんだ。僕の作品の主人公は、L.E.C.T.E.R.ひとつで三十六人も殺すんだ。すごいだろう?」
でも、もしかしたら、と彼はつぶやいた。
「そこに差があったのかもな。君の『ホームズ、推理しろ』には様々な近未来的な道具が出てくる。君は読者を飽きさせない工夫をした。僕の『あの羊を屠るには』はL.E.C.T.E.R.以外特殊な道具は出てこない。読者に合わせた工夫をしていない。そこが、違いだったのかもな。読者に選ばれるか否か、作品が生き残るか否か……」
違う。僕の心がそう叫んだ。違う。そんな理由じゃない。君の作品が読まれなかったのは、君の作品が選ばれなかったのはそんな理由じゃない。そしてそれは、口をついて出ていた。
「違う。そうじゃない。僕の『ホームズ、推理しろ』が、君の『あの羊を屠るには』より読まれた理由は……」
と、言い終わらない内に。
何かが突進してきた。僕は弾き飛ばされる。地面に倒れ込んだ。そして僕が転倒したその場所は……あいつが跪いている、その場所だった。
僕の体はあいつの体を突き抜けていたのだ。
すぐに、あいつのこの体もホログラムであったことを理解する。そして、顔を上げたその先では。
僕には見えない、不可視の刃。
あいつの手には、可視のナイフ。
森の薄明りの中きらりと光っている。命を奪う輝き。そしてそれはついさっきまで、僕が立ち尽くしていた場所に向けて振り下ろされようとしていた。僕は全てを悟った。
M.C.G.U.R.K.の電気ショックを受けたように見えたあいつも、ピンバッジを踏みつけた後に暗闇が晴れたように見えたのも、全部あいつが見せていたホログラムだったのだ。全てが……僕を油断させるフェイクだったのだ。
危機は完全に去ったように見せかけて、自分の姿をホログラムで隠し、僕だけを……この僕だけを確実に殺そうとしていたのだ。
そしてそんな彼を止めていたのは、日諸さんでも、僕でもない、亜未田さんだった。
不可視の刃。刃渡りがどれくらいのなのか……僕には分からない。だがその刃が。
深々と、あいつの胸に、刺さっていた。
アカウントだから血は出ない。アカウントだから肉は見えない。でもあいつの胸が、大きく裂けているのは事実だった。震える笑顔を……だが眩しい笑顔をあいつは見せた。
「いい、お友達だな」
声が震えている。命の揺らぎ。風前の灯火。
「……身体強化がされているのかな? 素晴らしい反射神経だったよ」
彼の声が亜未田さんに向けられているのに気づくのに少し時間がかかった。亜未田さんが答えた。
「こいつらより一足早く、惑わされていたんでね」
冷静な……だが悲痛な……声だった。
「もう、騙されない」
ファントムナイフが抜かれる。今度こそ、あいつが膝から崩れ落ちる。しばらく体幹のバランスを失ったように体を揺らすと、そのままどっと地面に伏した。苔に頬をくっつけながら、あいつがつぶやく。
「もっと読まれたかった」
「ああ」僕は彼に近づく。
「もっと読まれたかったんだ」
「分かるさ」
「せっかく……苦労して生んだんだ……魂を削った物語なんだ……読まれてもいいじゃないか……何で僕のだけ……読まれないんだ……」
「その気持ちは痛いほどわかる」
僕はミステリーの住民だ。過疎領域だ。例えば同じ十万字の作品を書いても、ファンタジー民は一瞬で読者が百人近くつくのに対し、僕の作品は十人もつけば御の字だ。だから彼の言う苦悩も、よく分かった。
何で僕だけ。何で僕の作品だけ。その気持ちを抱いたことは何度もあった。だから彼が、地に伏しながらつぶやいた苦痛の叫びが、よく分かった。僕も跪いた。
「創作は、苦しい」
あいつの声。僕の鼓膜に響く。
「こんなに苦しいなら、いっそ、楽にしてほしい」
「楽にしてくれるさ」僕はあいつに手を添える。「いつか、誰かのことをな」
地面に頬をつけたまま。
彼は笑った。嬉しそうに、だが切なさそうに。
それが彼の……小川将吾の……最期だった。
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