06.過去の回想

「あちゃー……」


 今週も来た金曜日。朝の土砂降りはどうにか止んで、少し曇った程度の寒い夜。

 何日か前から駅前がどうにも賑やかに感じて、今に至ってようやく思い当たった。

 遠くから響くドドンがドン、ピーヒョロロ、そこら中で光ってるザ・提灯。

 そう、お祭りだ。

 この駅周辺は毎年、秋が深まった頃にお祭りがある。近所の神社のだったかな、よく分かんないけど。

 仕事帰りに見かけてそそくさと帰るだけだったから、こんなにちゃんとしてて人が多いとは知らなかった。


「どうした?」


「あ、おつかれー」


 お店の前でうろうろしてると、ふらりと待ち人来る。コートをしっかり着込んで、すっかり冬の装いってやつだ。


「いやぁ、お店満員っぽくてさ……ちょっと入りづらくて」


 ちょっと前に着いたんだけどもテーブル席はもちろん、カウンターまでほぼ埋まってる。

 詰めてもらえば二人くらい入れそうには見えるけどさすがになぁ……って思って、意見を聞こうとお店の前で待ってた。

 こう混雑してるといつものようにのんびりもできないし、店員さんとのおしゃべりも無理そう。


「さすがに……しばらくは無理そうだな」


「うーん、だよねぇ」


「他の店もこんなもんだろうな。今日は諦めるか?」


「えーっ!?」


 すっかり飲むモードに入っちゃてるのに! むしろ最近は金曜日のこれを楽しみに平日頑張ってる感すらあるのに!

 なのにここで帰って寝るだけとか寂しすぎるっ!


「ちょっと聞いてくるから待ってろ」


 そう言うと、扉をちょいと開けて店長さんに話しかけに行った。さっきからずーっとビール注いでるな、大変そう。

 腕時計を見ながら少し話して、そのまますぐに出てきた。


「あと二時間くらいたてば空くとさ。どうする?」


 二時間……冬も近いこの時期に外で待つには辛い時間。かといって他の飲食店は眺めた感じ混んでるし、せっかく入るなら絶対に美味しいここがいいんだよなぁ。

 新規開拓とかいい。冒険はよくない。

 外じゃなくて、お店でもなくて…………あぁ!


「あたしの家に来ればいいじゃん! ここからちょっと歩くけどさ、それで空いた頃に戻ってくる。どう?」


「どうって……俺よりそっちの問題だろ」


「大丈夫大丈夫! あ、冷蔵庫空っぽなのは先に言っておく」


 ここ最近ずっと片付けしてて、部屋はすっかりきれいになってるんだよね。披露する人が居ないのがもったいないって思ってたくらい。

 いやぁもう、ナイスタイミングじゃん!


「よーし、寒いしさっさと行こう! ついでに軽くなんか買って行こう!」


「…………まぁ、いいならいいけど」


 なぜか微妙な顔をしてるけど、あたしの提案に乗ってくれるらしい。

 家まではここからだと十分ちょっとの距離。途中にコンビニがあるから、このまま向かって問題なさそうだ。

 世間話をしつつ歩いてると、どうにも人の流れが出来てるらしい。ちょっと歩きづらいな……。


「この先、何かあんの?」


「うーん……あ、神社! 確かこのお祭りやってる神社があるよ」


「なるほど、じゃあこうなるな」


「あー、なんかいい匂いしてきた!」


 お祭りの屋台独特の、ソースとか甘いのとか、そういう匂い。なんでこうも美味しそうな匂いなんだろう。


「行ってみるか?」


「え、いいのっ!?」


「小腹減ってるし。匂いにやられた」


 やった! 毎年お祭りに遭遇はしてるんだけど、ちゃんと行ったことってなかったんだよね。

 石段をちょっと上ると、たくさんの提灯と人、それに両脇にずらっと屋台があった。

 甘いの、しょっぱいの、くじ引き……あ、型抜きだ。あれ難しいよね、子供の頃にやってぼろぼろにした記憶がある。


「何食べる?」


「え? どうしよ……」


 お腹が空いていい匂いがして、今ならどれでも食べたい気分になってる。でもお腹もお財布も限りがあるし……


「一通り見てからでいいから」


 あ、笑われた。声には出てないけど、目尻にちょっと皺が寄ってる。

 そうこうしつつ一回りして、今度は買う為にもう一周を始めた。


「さすがにかき氷は売ってなかったね」


「こんな気温で食べたくないだろ」


「家の中だったら食べていいかも。こたつ出しておけばよかったなぁ」


「売って無くてよかった……」


「あ、たこ焼き!」


 数店あったたこ焼き屋台の中で、お値段もクオリティも納得できたお店の前を通りがかる。

 まぁ、屋台価格だよね。でも、美味しいよね!


「あたし思うんだけどさ……たこ焼きとお好み焼き、材料はそこまで違わないのにどうしてあんなに違うんだろうね?」


「ちゃんと違うんだろ。粉物好きな人に怒られるぞ」


「でも、不思議じゃない? だから買うならどっちかって思うんだよね。どっち好き?」


「どっちも買って、食べ比べればいいんじゃないか」


「えー、そんな贅沢な……」


 家計を気にして屋台で食べ歩きなんて久しくしてないから、その感覚が思い出せない。

 そういえば、実家に居た頃は友だちとよくやってたっけな……


「両方な。あとイカ焼き」


「えぇっ!? 贅沢品っ!」


「牛串のが贅沢品じゃないか?」


「あれはもう別格! 観賞用!」


「自分、どんだけだよ……」


 煙がもうもうと上がる串屋さんには行列ができてたけど、どれもこれも千円近かったよ!

 国産黒毛和牛とか軽くゼロ増えてたよ! さすがに無理だよ!


「あ、ベビーカステラ買いたい」


「懐かしいもん選ぶな」


「だってさ、お店の前通ると一個もらえるじゃん? 美味しいから買っちゃう」


「思い切り乗せられてるな」


 そう言いつつも一個もらってぱくっと食べて、一番小さい袋を頼んだ。結構すぐに満腹になるんだよね。

 そのまま一通り周って買って、石段を下りる頃には両手にビニール袋がぶらさがってた。


「買いすぎたね。あ、お金」


「いらない。財布出すの面倒」


「そういうわけにはいかないよ」


「お、面倒は聞き逃すのか」


「あ……じゃなくて、着いたら渡すからね!」


「なら、コンビニで酒買うの頼む。それでいいだろ」


 なるほど、それならありか。結構飲むもんね。あと、コンビニ価格だし。

 前にも行ったコンビニに入ると、あたしが持ってるビニールを引き取ってくれた。


「そこのビールで」


「何本? 五本?」


「どんだけ飲むんだよ。二本でいい」


「えー? 普段いっぱい飲むじゃん」


「あれは店だから。あと、二時間後には戻るんだし」


 それもそうか。じゃああたしも控えめにしようかな。

 缶チューハイって、どうしてか苦手なものが多い。苦い? 強い? お店でならスイスイいけちゃうのに。

 ちょっと悩んで、いつも選ぶ軽いやつにした。今日は白いのじゃないよ!


「これさぁ、どう考えてもそっちのが高くない?」


「さぁな」


「やっぱ差額払うよ」


「金額忘れた」


 えー? えっと、どれがいくらだったっけ……サイズで金額変わってたよね。


「だから、気にすんなって。いちいちそんな気にして疲れないか?」


「いや、だってなんか、悪いじゃん?」


「俺は気にしないって言ってんだから……さっさと会計済ませて行くぞ」


 そういうと、一人でお店の外に出て行っちゃった。いやいや、外寒いんだからさ! 店内に居ようよ!

 大急ぎでお会計を済ませて出ると、コートのポケットに手を突っ込んでた。寒いんじゃん。


「それ貸して」


「これ? 重いよ?」


 ビールとチューハイ、計四本。指にちょっと食い込む重さだ。


「代わりにこっち持って」


 されるがままに交換すると、ベビーカステラの袋だった。いや、これ、軽いっていうかもっと持てるんだけど……。

 

「さっさと行かないと冷めるぞ」


「う……分かったけど、もう……もーっ!」


 この負担の割合がすっごく落ち着かない! 向こうばっかりじゃん!

 だけどどうにかしたくてもどうにかさせてくれないし……こうなったらあとでお店戻った時に勝手に払っちゃおう。うん、そうしよう。


 そんなこんなでたどり着いた家。

 閑静な住宅街という名のちょっと辺鄙な立地の二階建てアパート。だけど築年数は若いから結構きれいだったりする。

 コンクリートの階段を上って歩いて、二階の角部屋、南向き。いいお部屋だよね。


「ただいまー。入ってきてー」


 ダブルロックを解除してから扉を開けて、後ろに話しかける。

 だって、さっきから話しかけても反応が鈍いんだよ。眠いの? それとも疲れた?


「……お邪魔します」


 一応入ってきてくれた。すぐに電気をパチパチ付けて周って遮光カーテンを閉める。そういえば家に誰かを招くなんて、ずいぶん久しぶりだな。

 友だちともこないだ会ったのが何年ぶりって感じだったし。なんかレアな気分だわぁ。


「……広いな」


 玄関に居るままだけど、そこから見えるリビングダイニングは結構広い。というか、一人には広すぎるほど広い。一人なら、ね。

 そんな部屋にあるのは、小さいテーブルとピンク色の座椅子。あとテレビ。家具と言えるのはそれだけ。

 フローリングの床には申し訳程度の面積のラグが敷いてある。


「だだっ広く感じるでしょ? ごめんねー、大掃除したんだよね。でもすっごいきれいだと思わない?」


「きれいってか、物が無いだけだろ」


「そうとも言うね」


 テーブルにビニール袋を置いたところで、ようやく靴を脱いでくれた。なにこの警戒、何もないよ?

 隣の寝室から座布団を持ってきてぽいっと置くと、気まずそうに視線を動かしてる。だから、なんでそんな警戒してんの。


「一人暮らしか?」


「うん、今はね」


 そう、今は。

 そう答えるとようやく視線が上に来て、ぐるりと部屋を見回してる。

 部屋の隅には折り畳んだ青色の座椅子とクッション。明らかに男物の洋服が詰まったゴミ袋。……ゴミの日待ちの物たち。


「さぁさぁ、まずは食べて飲むよ! ご飯、チンする? ちょっと温くなっちゃってると思うけど」


「そのままでいい。猫舌にはそれくらいがちょうどいいだろ?」


 ごもっともで。ようやく少し笑ってくれて、なんだかほっとした。

 がっさがっさと袋の中身をテーブルに広げると、あっという間にいっぱいいっぱい。実家で使ってた一人用だから仕方ないか。


「じゃー飲むか! はい、かんぱーいっ!」


「はいはい、乾杯」


 ゴンっと缶をぶつけてから、ぐいーっとチューハイを呷る。うーん、甘いっ!


「ペース考えろって。あと、酔う前に飯食ってくれ」


「もちろん食べるよー、だってこんなにお祭り屋台なご飯なんてすんごーく久しぶりだもん」


「まぁ、そうそうこんなに買わないよな」


「むしろ屋台が久々だよ。だからすっごく嬉しい」


 お好み焼きのパックの輪ゴムを外すと、びよんと蓋が開いてソースの匂いが広がってくる。青海苔とおかかがしっとりくっついてて、マヨネーズのちょっとした酸味もいいアクセント。


「いっただっきまーす!」


 ざっくり切ってそのまま口にイン。猫舌でも安心の温度で、じっくりしっかり味わえる。


「美味しいーっ! ふわふわ! お好みソースおいしっ!」


「たこ焼きと食べ比べるんだろ。ほら」


「ありがとー! うん、たこ焼きも美味しい! なんか味違う気がする!」


「気がする、なのかよ」


「どっちも美味しいからいいでしょ!」


「まぁ、いいならいいがな」


 それから他のも開けてくれて、家の中が屋台の匂い! 食べて飲んでまた食べて、すぐに一本空いちゃった。


「もーいっぽん!」


「一回水挟め。ペース早すぎ、絶対酔うだろ」


 イカ焼きをもぐもぐしつつ言われてもなぁ……あ、先にもらったけどもちろん美味しかった。

 醤油が焦げて香ばしくて、イカもむっちりジューシー。家では出来ない味だよね。


「次はのんびり飲むからさー今もう麦茶作ってないから水道水なんだよー」


「買っておくべきだった……」


 渋々渡してくれて、プシュッと開ける。ブドウ味のチューハイだから、カシスソーダとはちょっと違う感じ。

 やっぱお店で飲む方が美味しいよなぁ……なんでだろ?


「あー、こんなにいっぱいおいしいの、幸せだわー」


「屋台の飯でそんなに幸せって、安上がりだな」


「えー? 安くないない、贅沢だよー。だってこないだまでほんと、家計きつきつだったし」


「そりゃ、一人でこんな部屋住んでるからだろ」


 ごもっとも。だけど、ちょっとだけ違う。


「一人じゃ、無かったよ」


「…………だよな」


 部屋を見れば、分かるよね。なんだか渋い顔してる。

 明らかに、同棲してましたっ! って部屋だもんね。あ、だから入りづらかったのかな?


「で? 今週は菫子さんの恋愛遍歴を聞かせてくれるんだったか?」


「あー、そんな話もーしたようなしないようなー?」


「話したくなきゃいいけどな」


「えー、それは不公平でしょ。あたしばっちし聞いちゃったし」


「そんな大した話じゃなかっただろ」


「大した話だよこのモテ男ーっ!」


「はいはい、自分がそう言うならそれでいいから」


 そう言って、ビールをくいっと一口。なんだか今日はペースが遅い気がする。


「明日、仕事?」


「休み。なんで?」


「なんかのんびり飲んでるみたいだからさ」


「まぁ……一応」


 あ、そうか。あとしばらくしたら戻るんだもんね。浮かれてすっかり忘れてた! あたしもゆっくりセーブしなきゃ。

 テーブルの食べ物があらかたなくなって、ベビーカステラをもくもく食べながら手元の缶を手持ちぶさたにもてあそぶ。

 向こうもぼんやりテレビを眺めて、ちょっと落ち着かなそう。


「ねー康介さんや」


「なんだよ、菫子さん」


「あたしのさぁ、昔話を聞かんかね?」


「……話したいのか?」


 ちらっとこっちを見てくるから、テーブルに突っ伏してみる。

 話したいような、話したくないような。あぁ、でもこないだ話したんだった。女子会……じゃなく婦人会で。だから話す分には問題ないはずだ。

 でもなんでこう、話すのを躊躇うんだろう? なんでこう……怖いんだろう。


「……なかなか、情けない話なんだよ」


 チューハイを一口。少し温くなってるから、ちょっぴりお酒の苦い味がする。



 昔話の始まり始まり。

 むかーしむかし、七年ほど前のことじゃった。


「どこが昔だ」


「今よりは昔でしょ!」


 寒い冬の日。早朝から部屋に監禁されて、いたるところをぎゅうぎゅうに締め付けられたあの日。

 そう、成人式。

 髪はぎっちりまとめられるわ帯は渾身の力で絞められるわ、これが大人の儀式なのか大人怖い大人辛いって思ったあの日。

 始まってしまえばイベントで、大人と認められた日にははっちゃけるもんで。同窓会という名の飲み会に参加した。

 そこで……出会っちゃったんだよね。

 ただのクラスメイトだったのになんだかやけに親しげで。ついでにやけに格好良くなってて。連絡先交換して、何度か会って、流れのままに交際スタート。ありがちってかお手軽だなあたし。


「そういうもんだろ。二十歳なんだから」


「若かったよねぇ……もっと現実見るべきなのに」


 交際一年位して、お互い就職してるんだからって、一緒に暮らさないかって話になった。まぁ、順当、だったのかな?

 独り立ちへの憧れもあったし、一人じゃ不安だけど二人ならって思って、同棲スタート。

 その段階でさ、少しは感づけばよかったんだけどね。


『せっかくすぅちゃんと暮らすんだから、きれいで広い所がいいな』


 にっこり笑顔で、ぽやんと新築マンションを出してくるあたりでさ。


「すぅちゃんって……」


「はっはっは、そう呼ばれてたのよ。安直でしょ」


 須藤も董子も、頭が”す”で始まるからだって。それを許してたあたしの頭はお花畑だったんだよ。

 お互いの収入と条件とをすり合わせて、どうにか落ち着いたのが今の部屋。予定より割高ではあった。だけど二人で生活するなら確かに広さも清潔さも必要だし、そこまで無理な価格ではなかったんだ。

 二人でなら、ね。


『ねぇすぅちゃん。オレ、転職しようと思って』


 えぇ、悩んだよ悩みましたよ! 引っ越して数ヶ月で、お給料だってそんな高くも安定もしてなくて、そんな時に転職って!

 でもまぁ、頷いたよね。頑張って、って。


「そん時何歳だよ……」


「え? 二十代前半だよ!」


 それからすぱっと辞めて、ふらふらーっと転職活動して、もちろんすぐに貯金がなくなって。

 さすがにまずいと思ったみたいで、フリーターにジョブチェンジだよ。無計画転職だよ!

 そうなると収入減るじゃん。だから元は折半だった生活費の割合も変わるじゃん。そうするとあたしも貯金なくなるじゃん。

 つまり、仕事後にバイトだよ。ファミレス、厨房で。副職禁止だからばれないように。


「間違ってるだろ……」


「今なら分かるけど当時は分からなかったの!」


 朝起きてご飯作って、お昼のおにぎり握って、仕事して、帰りにそのままファミレス行って、帰ってご飯作って、掃除洗濯して。

 一息ついて給料明細を見てるとさ、言われるのよ。


『すぅちゃんって、月に二回もお給料があっていいなぁ』


 会社とバイト、振り込み日違かったからさ。


「いや、いいなじゃないだろ」


「とーっても羨ましそうに、かつ褒めるように言われるとね……怒れなかったんだよね」


 そんな二足の草鞋の生活をしつつ、電卓をばちんばちん叩きながらやりくりしてた。だけど相手はそうじゃなかったみたいなんだよね。


『すぅちゃん、今夜バイト先の人と飲んでくるね!』


 うん、お給料日だもんね。よかったね。


『すぅちゃん、週末に同窓会のメンバーでバーベキューしようって誘われてるよ!』


 うん、その日あたしバイト。今月大変なの。


『すぅちゃん、バイト辞めて派遣にしようと思って』


 うん、なんで? は? え、理由は!?

 あー、お休みを自由に決めたい。ははぁ、なるほど。

 ちょうどその頃、バイト先のファミレスが閉店するって話が出て、ああもうそろそろ潮時かな、本業も安定してきたしって思ってたんだ。

 そしたらね、渋られたの。なんでだろうね? 分かってるけど、なんでだろうね? もちろんそこで辞めたよ? 体力の限界だったよね。


 そんなこんなでずるずるずると暮らしてきて、つい数週間前のこと。

 ぼーっとテレビ見ながら、ぼーっとした気分の時、うっかりぽろっと出ちゃったのよね。

 そのお給料ならあたしの扶養に入れちゃうね、って。

 言って、まずいこと言った! って焦ったんだよね。男のプライドぽっきり折っちゃう台詞だって。

 そしたらね、想定外の答えが返ってきたんだ。


『オレが扶養に入ったほうが、すぅちゃん楽になるよね!』


 ……ってさ。あたしが楽になる、ってのを強調してた。

 扶養は戸籍上のつながりがないと出来ないんだよって言ったら、もっと想定外の答えだよ。


『じゃあ結婚しよ!』


 にっこり、満面の笑みで、あっさり言われたよ。


「…………ないわ」


「うん、知ってる」


 そこでね、ぷつんと切れたんだろうね。堪忍袋の緒じゃなくて、もっと違うもの。

 頑張って生活費稼いで、家計のやりくりして、毎日ご飯作って、掃除洗濯して、買い出しもして。

 なのにあっちは気まぐれに仕事行って、遊び行って、家で寝て、おかえりなさいだけは立派で、ご飯まだーって。

 愛着はまだあったんだよ。だけど、それだけじゃやっていけないくらいしかなかったんだよ。

 だから次の日有休取って、地元に帰って、勢いで突撃してきた。


「どこに?」


「相手の実家で土下座してきた」


「はぁっ!?」


 土下座して、別れたいんで回収してくださいって頼み込んだ。だって引き取り先がなかったら、そのまま居着いて変わらないと思ったんだよ。

 だから先回りして整えて、きっちりはっきり話して追い出した。


「その勢い出すの遅いだろ……」


「もっと早く出せればよかったんだけどねぇ」


 そんなこんなで、無事独り身になりました。めでたしめでたし。



「結果はめでたしで合ってるな、本当に」


「初めて会った時がさぁ、追い出し完了の日だったんだよね。祝杯だったんだ」


「それを俺にかけた、と」


「ごめんってーでもあれがきっかけでこうなってんだからさー、悪くないことじゃない?」


「まぁ、な……」


 チューハイはもうすっかり温いけど、育ちに育ったもったいない精神でくいっと飲み込む。うーん、いまいち。


「ご飯もさ、作るの嫌になっちゃって。美味しい物は大好きだけど、自分で作ると三割減、って感じ? 義務感を思い出してるのかなって」


 向こうも温いはずのビールをちびっと飲んで、なんだか複雑な表情をしてる。温いのは美味しくないよね。でもビールに氷は入れられないよ。


「そんで、こんな殺風景になってんのか」


「まぁねー。生活費で買った物は全部送りつけたし、それ以外は捨てた」


 ベッドも処分しちゃったから、実家で使ってた煎餅布団が今の寝床。前から喧嘩した時に使ってたけどね。フローリングに敷き布団って、結構痛い。


「なんというか、な……」


「こないだの女子会でもいろいろ言われたよ。このお馬鹿ーって」


「だろうな。俺も同感」


 缶に残った分を一気に飲んで、ふうと一息。少し酔いが回ってきたかもしれない。ふわふわして、頭がうまく働かない。

 だから思ったそのままを、そのまま口に出した。


「環境とか、関係とか、変えるのって怖いじゃない。住む場所だったり働く場所だったり、遊ぶ相手だったり付き合う相手だったり。

 うまく行く保証なんてない、今より悪くなるかもしれない、だったらこのままでいいんじゃないか。そんなことを考えて、それで動けなかった」


 空っぽの缶を握ると、ペコペコと鳴り響く。ちょっとの力で潰れて、音を上げて、それがちょっと間抜けで……自分みたいで親近感。


「でもさ、動いてよかった。

 切れた勢いで突っ走って、その後にすごく後悔したけど。

 自分で決めて、自分で動いて、一人になって……悪くないって思った。

 一人ってこんなに楽だったっけって。もう一生、会いたくないって」


 携帯……じゃない、スマホ。スマホだって着信拒否して、メールも拒否して、知らない番号からかかってきても無視して。

 メッセージアプリの時に思ったけど、そこまでしてもうっかりで繋がっちゃう時代なんだろうね。ほんと、怖い。


「今後どうなるかは分からないけどさ……ずっと一人もいいかもしんない。もう、しんどい」


 テーブルに顔を付けるとひんやりして、やっぱりちょっと酔ってるみたい。

 テレビは番組の狭間の短いニュースが流れてる。結構時間が経ってたみたい。


「……この一ヶ月、さ」


 ごとんと音がして、缶ビールが置かれた。結構残ってるけど、もうすっかり温いだろうな。


「自分、しんどかったか?」


「ううん。開放感がすごかった」


「……金曜の夜は?」


「うん? 楽しかったよ。

 お外で飲むなんて、ほとんどしたことなかったし。お店は美味しいし楽しいね。自由になれたーって感じかな」


 うん、まさにそれだ。自由! 自分の為に生きてる気がした。


「そこ、なのか……」


 ため息をついて髪の毛をぐしゃぐしゃかき混ぜて、なんだか不満そう。あたしの答えにそんなに納得いかないか!


「俺が聞いてるのは、平気だったかっていうか……」


「なによー、はっきり言ってよ?」


「……だから、俺が居ても平気だったのかってことだよ」


 どういう意味? なにが平気?


「自分今、一人がいいって言っただろ。でも金曜は……俺も、居たから」


 言葉尻がどんどん小さくなって、最後は呟くような声だった。

 平気って……あたしが今、一人がいいーって言ったのを気にしてるの?


「いやいやいや、ごめんね? そういう意味じゃないよ!

 あたしは一緒に飲んでくれて楽しかったし、毎週付き合ってくれて嬉しいよ。なんかもう恒例になってるし、これからも……」


「俺も、そういう意味じゃない」


 はっきりと、あたしの言葉を遮った。こんなことって今まであったっけ……。顔を見ると、なんだか少し……困ってるみたいだ。

 もう一回ため息をついて、もう一口ビールを飲んで、眼鏡の位置をちょっと直してからこっちに向き直る。


「話、聞いた直後で悪いとは思ってる。けど、言いたいことがある」


 とっても真面目な表情に、なんだか緊張して座り直す。

 言いたいこと……情けないことに、叱られるくらいしか思いつかない。

 今日はまだ平気だと思うけどさ! 普段の飲みかたに問題とかさ!


「毎週会ってるから、多分付き合ってる奴は居ないと思ってたんだが、確定したからもう言う。

 まず、さっき会社で話、つけてきた。ストーカーの件」


 え、それ? 待って待って、話始めと内容が違ってない?


「だから、ちゃんと身ぎれいになったってことは覚えておいてくれ」


「う、うん……いやいや、おめでとうだよ! ようやくすっきりしたね!」


「……俺も正直、その部分はそっちと同じだったな。会社に話して大ごとにしたくないから、我慢すればどうにかなるって。

 ただ、言う前には済ませておくべきだって思ってな」


 うーん……つまり、どういう? にしても今日はやけに饒舌だな。いつもは相槌してくれるほうが多いのに。


「自分と会って、飲んで、また会って。気付いたんだよな。世話焼いたりするの、向いてるらしいって」


「毎度ご迷惑おかけしてますーだ。ごめんなさいね!」


「だから、向いてるって言ってるだろ。じゃなきゃわざわざ会いに来ない」


 それは、そうだけども……そんな、優しげに笑いながら言われると、なんか照れる。

 表情がくるくる変わって、いい話なのか悪い話なのかよく分からない。

 少なくとも、ストーカー問題が解決したのはいいことか。


「追われてばっかで、疲れた。この件だけじゃなくて、今まで。

 それに気付いてから、なんか……すっきりした。金曜の夜が楽しみになった。その理由は何かって、考えた」


 それは、お休み前日はご機嫌に……って、そういえば土曜も仕事の場合が多かったっけ。

 じゃあ、単純に飲みに行くのが楽しかったのかな?


「……会えるから」


「え?」


「あそこに居れば、自分、来るだろ」


「そりゃ……気に入ったし、居心地いいし……」


「だから、金曜が楽しみになったんだよ」


 理由……もしかして、あたし?

 思い当たったことに気付いたみたいで、頷かれた。えーっと……嬉しいような、恥ずかしいような?


「だから……今、すごい腹が立ってる」


「え!? ちょ、なんでよ? なにその急展開!」


「環境を変えたくないって感覚は分かるし、もう解決したことだってのも分かってる。けど、その元彼に対して腹が立つのは別問題」


 あたしに対して怒ってるわけじゃない……? なら安心なんだけど、こんなに……本気で怒ってくれてる。


「……俺なら、そんなことしない」


「え……?」


「一応働いてるし、辞めるつもりも予定もない」


「うん……?」


「ヒモなんてまっぴらだし、そもそも世話されるよりするほうがいいって気付いた」


「うん、そう、だね?」


「極端に束縛したり放任したりもしない」


「ごめん、ちょっと話がよくわからな……」


「だから……付き合わないか?」


「…………は?」


 驚いて顔を上げると、真剣な表情でこっちを見てる。真面目そうな眼鏡も、少し垂れ目なところも一緒なのに、怖いくらいの迫力を感じる。

 今、なんて……言われた?


「別れてそんな経ってないみたいだし、さっき話聞いたばっかなのに言うのはどうかと思ってる。正直、もっと時間をかけるつもりだったが……」


「――――同情でもした?」


 自分でも驚くくらい、平坦な声が出た。

 簡潔に言っちゃえば、長年ヒモ男に捕まってた女、だもんね。あたしだって誰かから聞いたら、あー大変だ可哀想とか思っちゃう。

 でもこれは自分であって、自分の話だ。だからそう、感じちゃう。


「同情でこんなこと、言うかよ。そんな奴だと思ってたのか?」


「…………ごめん、言い過ぎた」


 自分への情けなさと劣等感を理由にして、八つ当たりなんてしていいはずがない。

 あぁ……やっぱあたし、自分に対して思っちゃってるんだ。

 馬鹿で、決断力がなくて、我慢ばかりが得意で、それ以外全然駄目な女なんだって。


「試しでもいい。嫌になったら捨てていいから」


「ちょ、試しって……無理むり、何言ってんの!」


「じゃあ本気になってくれるのか?」


「待って、ほんと待って! そんないきなり……」


 どうして?

 さっきまで、出会った時からずっとずっと楽しかったのに。なんでこんなことになってるの?

 どうして、変わって欲しくないのに、変わらせようとしてるの?


「……このままずっと、居心地がいい状態でいるのもいいなって思ってた」


「……駄目、なの?」


「勢いで動いて、よかったんだろ?」


「そう、だけど……」


「だから俺も動いた。それだけ」


 そんな……あたしにとっても、すごく居心地がよくて大事で大切で、無くしたくなくて……なのに、どうしてこんなこと言うの?


「……ごめん、今日は、解散にしない?」


「……答えはもらえないのか?」


「ごめん、帰って。一人に、して」


「今は、でいいか?」


「…………うん」


「分かった」


 そう言うと、すぐに身支度をして玄関に向かった。それをあたしは背中で感じつつも、動けない。


「……実を言うと、こんな風に言うつもりじゃなかった。もっと、様子を伺うつもりだった」


 じゃあなんで、こんな風に言ったの。


「我慢できなくなった……ごめん」


 どうして謝ったりなんてするの。謝るくらいならしなきゃいいのに。


「来週……待ってるから。またな、鍵ちゃんと締めろよ」


 最後まで世話焼きなことを言ってから、静かに出て行った。

 部屋に残る、食べ終わったトレーと飲みかけのビール。一人になってからは感じることがなかった、ほんのりした部屋の温度。

 それで思い知らされる……一人だってこと。


「なんでよ……」


 なんで、あんなこと言うの。

 なんで、そんなこと思うの。

 なんで、なんで……胸が、ズキズキするの。


 胸も頭も痛くって、息が苦しくて身体が熱くて。酔った? ううん、そういうのじゃない。

 この感覚はなに? なんでこの感覚がするの? だってこれは、もうずいぶん前に忘れた感覚だ。

 二十歳そこそこを最後に、味わうことはないと思ってたもの。

 一人がいいって思ったら、絶対必要じゃなくなるはずのもの。

 この感覚は分かってる。その答えも分かってる。なのにそれを口に出せない。口に出した結果が、その後が……怖いから。


 半分残ったビールに、試しに口を付けてみる。案の定温くて、思ったより入ってて……いつもはあんなに早く飲むのに、今日はどうしちゃったんだろう。


「にっが……」


 一人の部屋で、ちゃんと考えよう。

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