04.約束の逢瀬
「やっほー」
「今日はそっちが早かったか」
今日は仕事がスムーズに終わり、そのまますんなり電車に乗れたから、いつもより結構早い時間にお店に着いた。
テーブル席はいくつか空いてたけどこの後埋まるだろうし、カウンターのほうが注文しやすいし話しやすいしって思って遠慮しておいた。
先週と同じく端っこの席。今回はあたしが壁際。
向こうもすんなりイスに座って、メニューを見ることもなくまず注文。
「生一つ」
「いっつもだねぇ」
「最初は生ってのが習慣なんだよ」
「そんなもんなの?」
「飲み会で一人だけ違うの注文するの、面倒なんだよ」
「だからね、康介さんや」
「面倒は堕落、な。じゃあ、周りのペースに合わせたい」
「なるほど、それならよし」
男の人はそんなもんなのかな。確か、女子会ってのだとそれぞれ好きな物頼むみたいだし。あたしは経験無いから耳に入った話だけなんだけど。
ちなみに今日は自分の分は先に注文しておいた。
といっても前回と同じカシスソーダ。一回ソーダで飲むと、おつまみに合わせやすいってのに気付いちゃったんだよね。オレンジジュースでご飯を食べるのは難しい。
「今日はあたしも早かったけど、そっちも遅かったんじゃない? 何かあった?」
鬼ごっこが白熱したとか。運命の出会いを演出されちゃったとか。
「仕事に手間取った。鬼ごっこは振り切った」
「お疲れさまだぁ」
ジョッキを持ったからそこにカチンとグラスを合わせる。うん、お疲れさまの儀式だね!
いつも以上にぐいーっと飲んでるけど、平気? まぁ、平気か。おかんはちゃんと自分で管理できる人だよ。あたしは無理だけどね!
そこに、頼んでおいたマカロニサラダと唐揚げととろろの鉄板焼が届いた。うわぁ、ジュージュー美味しそう!
「いっただっきまーすっ!」
「熱いの、気を付けろよ。猫舌だろ?」
「言ったっけ?」
「熱いのやたら冷ましてから食べてたからな。言わなくても分かるだろ」
そう言われてみればその通りか。舌を守るために熱い物は用心して食べるのが普通になってるけど、端から見れば変なのかも。
「猫舌ってのはね、美味しい温度がとっても狭いんだよ。熱すぎても、冷めすぎても美味しさは減っちゃうでしょ? 口に入れてあったかい、って思える瞬間ってのは、本当に短時間なんだよ」
「はいはい、大変だな。湯気だいぶ減ってるぞ」
箸で一掬い持ち上げてたとろろが、ほんのりほわっと湯気が残るくらいになってた。今だっ!
「美味しいーっ、ふわとろ! これぞふわとろ! パンケーキなんか目じゃないねっ!」
「比較対象おかしくないか?」
「おかしくないない。そういうパンケーキなんて食べたこと無いけど」
テレビでよく見かけるスイーツの番組とか、長蛇の列に数時間だよ。無理むり、高いし。素直に自宅でホットケーキだよね。ケーキシロップとかあると嬉しくなっちゃう。
お皿を真ん中において二人でつついてると、ふと近くから携帯の振動が聞こえてきた。あたしは鞄の中に入れてるから聞こえることはないんだけど……
「悪い、俺。少し出てくる」
スーツの内ポケットからスマホを取り出すと、眼鏡をカシャンとカウンターに置いて操作した。
「はい、藤原です」
応対しながら外に出ると、扉のすぐ横の壁に寄りかかって話し始めたらしい。
……こうやって改めてまじまじ見てみると、背は高めだしほっそりしてるし、長くも短くもない黒髪は清潔感があるし、実は結構モテそうなタイプ?
皺一つ無いスーツはズボンまできっちりプレスしてあるし、ネクタイのセンスもなかなかいいと思う。
見た目だけで言うなら、意識高い系スーツ美人さんとお似合いだ。見た目だけなら。ストーカーと付き合えとはさすがに言えないよね。
スポーツ中継の音を耳に入れつつぼーっと眺めてると、思ったより早く電話は終わったらしい。そのまますぐに戻ってきた。
「おかえり、大丈夫?」
「あぁ、ちょっと職場から」
「職場って、いいの?」
「軽い確認だけだったから。あと、飲みの誘い」
「花金ってやつですなぁ」
スマホをすとんとしまうと、カウンターに置き去りにされてた眼鏡をすちゃっとかけた。
「なんでわざわざ眼鏡外したの?」
「仕事だって分かってるのにかけたくない」
「普通、仕事中はかけるってならない?」
会社の人で、パソコンを使うときだけかけるって人が結構居る。コンタクトの人が更にかけてるって聞いた時は、何のためだか理解できなかったけど。
「そこまで悪いわけじゃないからな。仕事と私生活を切り替えるつもりでかけてる」
「ふーん、なんか大変だね」
「仕事中に全部はっきり見えるとか、疲れるだろ」
「はっきり見えないと不安だけど」
「スマホと手帳と人の顔が見れれば十分。帰り道もそんな見るものないし、家に帰るまでかける必要ないしな」
手元さえしっかり見えてればいいってことか。でも、あれ? 初めて会った時……
「帰り道に、かけてなかった? ほら、最初の日」
「……あれは、な。追われてるの分かってて、遠くまで見なきゃいけなかったから」
「あ、そりゃそうだね」
氷の溶け始めたカシスソーダをすすっと一口。……うん? じゃあ今は?
「普段は家に帰るまでかけないの?」
「そうだな。持ってはいるが」
「じゃあ、今はなんで……?」
今、というよりずっと。最初にこのお店に来た時から、常に眼鏡をかけてる……気がする。
ここは帰り途中だけど私生活の枠……だったり、するのかな?
「見張ってないとすぐに絡み酒する酔っぱらいが居るからな」
なんて、笑ってる。笑うと、垂れ目気味の目じりに少し皺が寄るんだ。今、初めて知ったな……。
「毎週飲んでれば少しは強くなってるよ。酒は飲んで覚えろ、って言うんでしょ?」
「下地が出来てる奴はそういう覚え方もあるがな。自分、ほぼ下戸だろ」
「下戸じゃないですー経験が浅いだけですー」
「弱いは弱いんだろうが。俺も見てるけど、そろそろ自分でも限界を見極めろよな」
限界、か……。じゃあ今日はいつもよりちょっと多めに飲んじゃおうかな!
「わー、その子が慰めてくれたの? いやいやそんな、いーんだって! 辛い時に慰めてくれる子に惹かれてなにが悪いっての!」
店員のお姉さんは、先週に振られちゃった話をしてたけど、友達の男の子が優しく慰めてくれてるらしい。
いいよね、そういうの。きゅんってしちゃうよね。
「絡むな酔っぱらい」
「だぁって! とっても嬉しいことじゃない! 人徳ってやつ? それとも秘めたる思いってやつ?」
「下心ってやつもあるぞ」
「康介ぇ、そういうこと言うなぁー、きゅんってさせてよぉー」
「いい歳してきゅんとか言うなよ」
「あたしの歳を知ってるってのかぁー!」
「さぁな。俺より多少歳下らしいってくらいかな」
「まだぴちぴちかもしれないじゃんかぁー!」
「その表現の時点で若いはずがない」
「なんだとぉー! まだ二十代だぞぉー!」
「はいはい、どうせ四捨五入したら俺と一緒だろ。誤差だ誤差」
「ちょっとぉ! 女の一歳はでかいんだぞっ!」
「あーはいはい。店長、水やってくれ」
「店ちょー、カシスソーダ!」
「駄目だ、やっぱウーロン茶。氷なしで」
残念なことにお酒は打ち止めって言われて、渋々ウーロン茶をすする。いや、好きだよ? でもお酒飲みに来て……いや、うん、ごめん。きっとここがあたしの限界点だ。
向こうも残ったビールを飲み干したらウーロン茶にするらしい。
「明日も仕事なんだよ」
「仕事の前日にお酒飲むってすごいね」
「接待とかもあるからな。そんなこと言ってられない」
「肝臓壊しそう」
「健康診断では毎年問題ないから大丈夫だろ」
あたしなんてお酒飲んだ翌日はまずいつも通りには起きれない。そんな大寝坊もしないけどさ。
だから仕事の前日に飲んだら確実に遅刻しちゃうよね。でも営業職はそれが普通なんだと。すごいわぁ、職業病だわぁ。あれ、なんか違う?
ウーロン茶をちびちび飲んでると、またしても振動が伝わってきた。またしても内ポケットからスマホを出して、画面を見た途端にぎゅっと表情が変わった。
「え、どしたの?」
「いや……」
「いやって顔じゃないよ。なんかあった?」
その間にもスマホはブルブル震えっぱなし。視線は画面に釘付け。
さすがにのぞき込むのは気が引けるから、答えをじっと待つ。
「……あの女からだ」
「あのって……美人ストーカーさん?」
「美人とか付けなくていい、怖いだけだ」
すでに鳴り始めて数十秒。留守番電話の設定はしていないらしく、いつまでも鳴り続けてる。
出るまで待つつもりなのかな……。
「ちょっと、出てくる。店長、どっか奥貸してくれないか」
暗い顔で聞いたせいか、気の毒そうな表情で倉庫になってる部屋へと案内してあげてる。きちんと扉を閉めてから戻ってきて、二人してそわそわと待つ。カウンターでの会話から、店長も事情は分かってるから気になって当たり前だ。
もしかして自宅で見張られてる? それとも、ここが見つかっちゃったとか……?
時間にしたらたった数分だけど、なぜかすごく長く感じられた。
「…………とりあえず、大丈夫だった」
内ポケットにスマホをしまいつつ戻ってきた顔は、明らかにぐったりとしてた。
そのまま少し乱暴に椅子に座ると、残ったウーロン茶をぐいっと飲み干す。
「今、会社の人間と飲み会してるから来ないかって誘いだった。多分本当なんだろうが、さすがに行く気にならないよな……」
「そりゃ……いくら他に人が居ても、ねぇ?」
「それに俺はもう今日はオフなんだよ。わざわざ疲れに行きたくない」
そう言うと、もう一度スマホを取り出してブルッと電源を落としちゃった。え、大丈夫なの?
「これは仕事用だから。なんか急用なら私用の方にかかってくるだろ」
鞄の中からもう一個スマホが出てきた。さっきのはシルバーのシンプルな感じで、こっちは手帳みたいなケースに包まれてる。
見た目で明らかに、仕事用のはまっさらそのまま使ってる感じ。
「うわぁ、仕事できますーって感じがするわ」
「スマホの二台持ちなんてそんな珍しくないだろ」
「いやいや、あたしまだガラケーだもん。スマホの時点ですごいわ」
鞄の外ポケットからころんと取り出したのは、長年の付き合いの折りたたみ携帯。最近バッテリーの寿命が近い気もするけど、まぁ充電しつつ頑張ってる。
「久々に見たな……買い換えないのか?」
「えー……スマホって高いじゃん」
「今はそうでもないけどな。選べばだけど」
「選び方がそもそも分からないよ。機種以前に、なによ、大きく分けて二つありますとかさ。なんでスマホが大きく分類分けされるのよ」
「OSの違いだろ」
「そんなの素人には分かりませんーだ」
まぁ、買い換えない一番の理由は値段だったんだけどさ。ただもう、寿命近いしなぁ……。
「ねぇ、康介さんや。林檎とロボット、どっちがいいの?」
「すげー分け方だな……いや、まぁ、いいか」
苦笑しつつ二台のスマホを並べて、それぞれ特徴を教えてくれた。仕事用が林檎で、私用がロボットらしい。
「なんでわざわざ分けたの? 一緒の方が覚えやすくない?」
「違う方が間違えないだろ」
「いやいや、操作間違えるよきっと」
「違くて、仕事用と私用を間違えないように」
「えー……そういうもん?」
「俺にとってはそういうもんなんだよ。他人は知らないけどな」
そういうもんらしい。確かに同じようなのだと、どっちを使ってるかごっちゃに……なるのかな? 二台持ちなんてしないから分かんないや。
「ちなみに、どっちがお勧め?」
「やりたいことや好みによるとしか言えないな。ただどっちでも教えられるから、買うなら好きなほう買えよ」
あ、教えてくれるんだ。ちょっと嬉しい。店員さんに聞くのも限度があるし、なにが分からないかが分からなくて説明できないことが多いんだよね。
今の携帯も一年くらい使ってようやく打ち解けたくらいだし。
「……んじゃ、ロボットにしようかな」
ここでは眼鏡をかけてるから、プライベート。だったら、私用のスマホのほうが気分的にいいかな、なんて……?
わざわざこんなこと言ったりはしないけど。
「週末に携帯屋さん行ってくるよ」
「初期設定はしてもらえよ」
「うーん、とりあえず言われるままにお任せしてくる」
最初はそれでいいか、って言ってるから、それでいいんだよ。残ったウーロン茶を飲み干すとそろそろいつもの時間だ。
「帰るか」
「うん、そだね」
お会計を済ませて外に出ると、予報通りの冷たい雨と、冷たい風が吹いてきた。
もう、完全に秋だなぁ。向こうもスーツのポケットに手を突っ込んで、少し肩を縮めてる。
お互い折り畳み傘を開いて、入口の前から一歩出る。
「じゃあ、気を付けてな」
「うん、そっちこそね」
「向こうの会社の最寄りでやってるらしいから、今日は安全だろ」
「そっか、なら安心だよ」
二人で笑って、今日はあたしのほうから背を向けてみた。
「またな」
「うん、またね」
背中にかかる声に後ろ手を振る。うん、やっぱあんまり様になってないかな。そういうのが似合うキャラってのはあると思うんだよね。
明日か明後日にスマホを見に行って、あとは秋冬用のコートをちゃんと出しておこう。
何年も着回してた服もそろそろ分別して、ちょっと買い足してもいいかもしれない。
「そろそろ、いいよね」
一人の生活を、満喫しよう。
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