自主企画【カクヨム版解説編集所】による解説

作品解説:高村芳さん


「贖罪」、という言葉を辞書で調べてみる。




しょくざい【贖罪】


犠牲や代償をささげることによって罪過をつぐなうこと。


(「明鏡国語辞典」より)




 タイトルが「シャルフェンベルク辺境伯の贖罪」なのだから、本作は贖罪の話なのだろうと思って読み始めた。しかしながら、読み終えた私は考えるのである。シャルフェンベルク辺境伯の「贖罪」には、もっと大きな意味があったのではないだろうか、と。




 事の始まりは、『人嫌いの辺境伯』と呼ばれるヴェルゴート・シャルフェンベルク卿の住む屋敷に一人の伯爵令嬢が訪れるシーンから始まる。伯爵令嬢の名はコンスタンツェ・フェルゼンシュタイン。今は亡き母の汚名を晴らすべく、生前の母と親密な関係だったシャルフェンベルク辺境伯の元を訪れたのだった。シャルフェンベルク辺境伯の口から語られるのは、彼が二〇年もの長い間、胸の奥にしまってきた真実だった。




 本作は三話構成の、約二万字の短編小説(小説の長さの定義に様々な捉え方があることは承知しているが、ここは掲載媒体のカクヨムの規定に従い、二万字以内の作品を短編小説と定義する)だ。しかしながら読み始めると、とてもそんな短さだとは思えない、濃密な世界観が読者を惹きつける。仄暗い、ゴシックなイメージをもたらされる中近世ヨーロッパのような世界観。映画のように、館内の照明が落とされた途端、一気に物語の世界に誘われたような感覚があった。作者の佐倉島こみかんさんの筆致がそう感じさせるのである。


 読み進めていった私の第一印象は、「冷たい」であった。登場人物がだとか、物理的に、などではない。雨が降り出す前に二の腕に少し鳥肌が立つような、どこか冷たい風が吹きすさんでいる感覚だ。どこか冷たくもの悲しい雰囲気を感じながら一話目を読み進めると、意を決したシャルフェンベルク辺境伯の告白が始まる。二話目では二〇年前の彼しか知らない真実が語られ、三話目ではその真実を知ったコンスタンツェへの幸せを願い、シャルフェンベルク辺境伯はその身を賭して贖罪する。不思議とその頃には、物語の端々に感じていた冷たさは薄れ、雨が上がった直後の雲の切れ間から光が差し込んだような気持ちにさせられるのだ。




 最後まで読んで真実を知った読者は、この物語の悲恋と無情さに心を痛めることだろう。コンスタンツェを愛し、懸命に生きたニーナ。そのニーナの優しさに救われたのに、彼女を救うことができなかったヴェルゴート。その真実を知ることなく、独り寂しく生きざるをえなかったコンスタンツェ。貴族と使用人という立場を超えた想いが報われることはなく、それぞれが哀しみの雨に打たれることになった。




 しかし、私は異なった読み方もできるのではないかと思う。ただ悲恋の物語というだけで終わらせるのは少し違う気もするし、何よりもったいない気がするのだ。


 私が思うに、ニーナの忘れ形見・コンスタンツェのことを、シャルフェンベルク辺境伯は、心のどこかで娘のように思っていたのではないだろうか?




「俺の身はどうでもいいんです。ただ、お嬢様が不義の子とされるのだけはなんとしても避けなければなりません」


「ニーナが亡くなった今、彼女の愛したコンスタンツェを守らなくてはという気持ちだけで必死に考えていた」




 このように、自分の身を賭してでも彼女を助けたいという思いだけが当時の彼を支配していた。一使用人にしては思い入れが強い。もちろんニーナを愛していたからということもあるが、彼がコンスタンツェに抱く思いはまるで親が子の無事を願うそれと似ている。また、




「辺境伯の跡を継ぎ、ご令嬢に何かあった時に貴族として助ける――これが、君にできる一番の二人への償いではないかね?」




というユリウス医師の言葉に納得し、彼は辺境伯の名を継ぐために戻ることにしたのだ。愛したニーナのため、そして、愛するコンスタンツェのため。状況が状況でなければ、使用人のヴェルゴートは夫や家族に疎まれていたニーナを支え、彼女とともにコンスタンツェの成長を見守ったことだろう。その過程で、愛する者の子どもに、多少父性を抱くのは当然のことかもしれない。しかし、そんな未来は雨と風に流され、一晩のうちに崖の下へ消え果ててしまった。彼は罪の意識に苛まれただろう。自分がニーナを連れ出さなければ。何とかして、無事に屋敷に戻れるようにできていたら。その罪を、彼はコンスタンツェを守るという形でしか償うことができなかった。でも、それは本当に贖罪なのだろうか?


 シャルフェンベルク辺境伯は、彼の命と名誉を犠牲にして、コンスタンツェを守った。それは贖罪ではなく、子への無償の愛なのではないだろうか。子が危ないときに自分の身をなげうって守ろうとする親のように、相手に何も求めない、ただ相手の幸せを心から願う愛。コンスタンツェに対して抱く愛を、彼は贖罪としてでしか示せなかっただけではないのか、と私は思うのだ。


 そしてコンスタンツェも、シャルフェンベルク辺境伯と邂逅し対話することで、その愛を感じ取ったのかもしれない。彼女はシャルフェンベルク辺境伯の提案をのみ、彼を犠牲にすることで母の名誉と自分の身を守った。それは自分の身が可愛いからではなく、シャルフェンベルク辺境伯の――自分を陰で見守り続けてくれた、母を愛してくれた彼の願いだったからだろう。現に、彼のおかげで彼女は母の名誉だけを守る言い訳をすることができた。第二王子のディートフリートへ、ヴェルゴートの無実を訴えることもできたはずだが(確かにコンスタンツェ自身の身を危めることにはなるが)、彼女は彼の贖罪を受け止め、芝居を打ってまで彼を手にかけた。そして自分だけが知っている真実を、シャルフェンベルク辺境伯を同じように自分の胸にしまいこむことを決めたのだった。それがシャルフェンベルク辺境伯に対する彼女の“贖罪”なのかもしれない。




 本作はヴェルゴートとニーナの悲恋の物語であり、シャルフェンベルク辺境伯とコンスタンツェの慈愛の物語だと、私は思うのである。二つの愛の形をこの世界観で短編に落とし込んだ佐倉島こみかんさんのバランス感の素晴らしさが如実に出た作品と言えるだろう。読者のみなさんは、ぜひもう一度読み直してほしい。シャルフェンベルク辺境伯にとって、『贖罪』は本当に贖罪だったのか。おそらく、読者の数だけ答えがあるようにも感じるのだ。その問いの答えを、ぜひあなたの胸の奥にしまっていてほしい。





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シャルフェンベルク辺境伯の贖罪 佐倉島こみかん @sanagi_iganas

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