走りすぎだメロス

破壊神1/4《シヴァ・クォーター》

メロスは激怒した。激怒しすぎた。

 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。


 ので、除いた。


 それはもう見事な手際であった。


 メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であり、なおかつ、邪智暴虐の王を除くことに関しては卓越した才能を持っていた。


 メロスは単純な男であった。あまりに単純すぎて物事を成す行程を最短距離で駆け抜け、その速度には何者も、そして何物もついてこれぬほどであった。

 巡邏の警吏がメロスを止めるよりも早いどころか、王城の門が開くよりも早く王の元へと駆け抜けたせいで、すり抜けた扉は固く閉ざされたままであった。

 あまりの早さに起こったバグであった。

 その早業はまさに黒い風の如きであり、老爺から話を聞いて激怒したメロスが王を除くまでには、宙に投げられた石が地面を叩くほどの暇もなかった。


 そんな、瞬きをする間もなく行われた凶行は、当然王城の者たちを唖然とさせた。

 驚きのあまり幾度か目が開かれ、閉じられを繰り返し、数秒ほど経ってようやく事態を理解したはいいがどう対処するべきかまでは思考が到底追い付かなかった。

 王が暴君だったのは事実であり、それが除かれたのも事実である。しかしこの場合、この凶行を為した下手人を大逆の徒として捉えるべきか、それとも悪政を打倒した英雄として褒めたたえるかは至極判断に困ることであった。

 何せ、誰もが暴君の打倒を期待していても、まさかこれほどまで急激な展開が起きるとは誰も予想だにしていない。

 英雄として称えるならば次の王として戴冠させる選択肢も考えねばならぬ。これはまさに高度な政治的判断を要される事態であった。


 しかしメロスには政治が分からぬ。それゆえ、周りの者たちの困惑などどうでもいいことであった。メロスは邪智暴虐の王さえ除ければ良かったのだ。短剣から暴君ディオニスの血を滴らせながら、周囲の混乱を余所にメロスは思いに耽っていた。


 メロスは未だ激怒していた。


 あまりの早さで邪智暴虐の王を除いてしまったため、メロス自身の感情が行動に追いつかなかったのである。


 加えて、自分の中に流るる邪智暴虐の王殺しの才を目覚めさせてしまったのも良くなかった。その単純だが凶暴なまでの才は、今やたった一人の邪知暴虐の王を除いただけでは満足出来ぬほどに猛り狂っていた。もっともっと邪智暴虐の王を除きたくて溜まらぬと叫んでいた。


 ので、除いた。


 それはそれは見事な手際であった。


 何せメロスには時間がない。妹の結婚式が間近なのである。のんびりと邪知暴虐の王を除く暇などない。

 故に、最短最速で除いた。

 シラクサ以外の市に居るという邪知暴虐の王の話を聞くが否や、まっすぐ行って、ぶすりと刺した。

 途中にあった川とかはあまりの早さにそのまま水面を駆け抜けた。壁とかもすり抜けた。義憤に逸るメロスにとって、もはや川や壁など存在しないも同然であった。


 しかし、二人目の邪知暴虐の王を除いてもその激怒は収まることはなかった。感情が満足という域に達するまではまだまだ時間を必要とした。しかしメロス自身はそれを待っていられるほど悠長な男ではなかった。


 メロスは、単純が故に短気であった。でなければ準備もなく邪知暴虐の王を除こうとなどせぬ。


 ので、除いた。


 それはそれはそれは見事な、見事な手際であった。

 

 しかしまだ足りなかった。


 もはやメロスの激怒は収まるところを知らなかった。その怒りは国を飛び出し、国外の邪知暴虐の王にまで向けられた。


 除いた。


 除きに除いた。


 当然世界は大混乱である。その全てが暴君といえど、一国の王が一人の外国人によって突如として、また次々と取り除かれていったのである。その政治的混迷は並大抵ではなかった。当然、その混乱に乗じて政権を握り、民を苦しめんとしたものも居た。


 それも除かれた。


 権力を握り、さて悪政を敷こうとしたその瞬間には、メロスの短剣が心の臓を貫いていた。


 ここまで来ると世界も黙っては居られぬ。ローマもロシアもドイツも中華もカンボジアも、手に手を取り合ってかの王殺しを捉えんとした。


 しかしそれは叶わなかった。


 メロスが、走っていたからである。


 邪知暴虐の王を除くことに関して人類の域を超えた才を持つメロスは、自らの使命を果たすために走っているときはまさに無敵であった。

 ああ、神々も照覧あれ! 彼はまさに正義のために走っているのだ! そんな彼を誰が止められようか。


 そこに邪知暴虐の王が居るのならば、足を止める理由などありはせぬ。走れ! メロス。


 そういうわけで、地球上から邪知暴虐の王という邪知暴虐の王は除きに除かれた。悪政の種がこの世から根絶されるまで、三日とかからなかった。物理的にだけではなく、「王が悪政わるさかませばメロスが来襲る」という世界中の為政者に刻まれた恐怖心が、暴政を抑えつけていた。


 しかし、尚もメロスは激怒していた。


 地球全ての邪知暴虐の王を除いた程度では、彼の義憤は収まらなかった。


 怒りに燃えるメロスの目は、ゆっくりと宙天を向いた。メロスには天文が分からぬ。そのため、宇宙や地球という概念は理解していなかったが、その方向に邪知暴虐の王が居ることはメロスの並々ならぬ怒りが教えてくれた。


 ので、除いた。


 言葉に出来ぬほどに、それはそれは見事な手際であった。


 こうして宇宙から悪政という悪政は根絶された。メロスは宇宙の中心──そんなものがあるかは知らぬが、そう称しても良いだろうと思える場所──に陣取り、邪知暴虐の王の気配を感じれば光よりも早く急襲しそれを除いた。もはや悪政という発想すらこの宇宙に存在しなかった。


 しかし、メロスの気が晴れることはなかった。


「メロス様、いつもありがとうございます。こちらは貢物です」

「良い。私はそのようなものは求めておらぬ」


 宇宙の中心にいるメロスの元には、時折来訪者が訪れることがあった。此度の来訪者はアンドロメダ方面から来たとの話だった。

 恭しく差し出される宝物を、しかしメロスは拒絶した。


「私は単なる牧人である。少しばかり邪知暴虐の王を除くのを生きがいとするだけの、牧人である。祝いの品なら受け取ろう、何せ妹の結婚が近い。しかし貢物など、どうして受け取れようか」


「しかし、貴方様の支配によりこの宇宙には平和がもたらされました」


 支配。


 メロスは狼狽した。


 私は、支配していたのか? この宇宙を? それではまるで、王ではないか。


 動揺するメロスの脳裏に、一つの言葉がよぎった。シラクサの市で老爺から聞いた言葉であった。


 ──王様は、人を殺します。


 その瞬間、メロスの腹部に、怒りよりも熱い衝撃が走った。


 短剣であった。


 そしてその柄を握っていたのは、メロスの竹馬の友、セリヌンティウスであった。


「セリヌンティウス」

 メロスは、か細い声で友の名を呼んだ。


「メロス。私を殴れ」

 セリヌンティウスは、そう言った。


「音高く私の頬を殴れ。君が、こんなになるまで止めてやることが出来なかった。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」


 メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴ろうとした。しかし今やその拳は弱弱しく、ぺちりと情けない音を立てるばかりであった。


 それでもセリヌンティウスは満足した様子で、彼の親友を力強く抱擁した。瞳から零れた涙が、メロスの肩を濡らした。

 メロスもまた、涙した。


 セリヌンティウスは、この後どうなるのだろう。宇宙から悪政を失くした私を殺したとなれば、彼もまた、殺されてしまうかもしれない。

 そんなことはあってはならない。殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を殺人者にした私は、ここにいる!

 そう、声を上げようとしたが、もはやメロスにそれほどの元気はなかった。ただ、彼が磔にされることのないよう、心から願った。人を殺す王を除いたものが刑に処されるなど、あってはならない。もしセリヌンティウスが磔にされるようなことがあれば、生まれ変わってでもそれを止めに行こうと、そう誓った。


 長く長く、熱い抱擁が終わり、セリヌンティウスはメロスから体を離した。そして涙に顔を濡らしながらも、最愛の友の様子を見てくしゃりと笑い、緋のマントをメロスに捧げた。


「邪知暴虐の王を除くのに夢中過ぎて、服が脱げているのにも気づかなかったのかい。メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい」


 かつて勇者だった男は、ひどく赤面し、そして照れ臭そうに笑った後、静かに目を閉じた。

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