第45話 鮮血部隊
夜の森を震わせる打撃音。
ズン、ズズン、と振動が渡るたびに、枝葉がパキリ、ハラハラと飛んで舞う。
その隙間にコマ送りのように姿を見せる、赤い閃光と黒い影。
メキっ!
「…!!」
ソラーテの拳を寸でのところでガードした左腕の鎧が、鈍い
「オラァっ!」
畳んだ肘ごとラウルの顔面を押し込む拳が振り切られ、ラウルの体は木の間をバウンドして転がっていく。
「ぐぅっ…!」
低木の繁みに受け止められたラウルは身を起こせないまま、霞む目を
(…くそっ…左手がイカれた…!)
汗は滂沱として次々と顎を伝い、鎧はそこかしこのヒビからポロポロと剥がれ落ち、所々鮮血も滲み流れている。
満身創痍のラウル。
大きく肩を上下させる心肺は破れそうに苦しく、筋肉は収縮すれば痛みが走り骨は軋むが、それでも立ち上がらなければならない。
今は戦いの最中で、その意志を研ぎ澄まし続けなければ死が待ち受ける。
挫けた途端、その緩んだ一瞬の虚を、敵は決して逃さないのだから。
「やるなぁ、お前。こんな興奮してんのは初めてだぞー?」
蒸気立つほど高温の肉体に、無数に付けられた切創の血を嬉しそうに拭いながら、ソラーテは緩慢な足取りで近付いてくる。
歩くごとに、その傷はみるみるうちに塞がってしまう。
「……この変態バケモンヤロー…」
ナイフを持つ手の震えを、力を込めて殺す。
【ソラーテは部隊一の戦闘狂です。強者との戦闘に快感を見出し、時間を掛けていたぶる悪趣味なところがあります。】
(聞いた通り過ぎて吐き気がするな……しかし、)
ラウルが最も嫌悪するのはそこではなかった。
人体の限界を超えている反射速度と圧倒的な力、厄介ではあるが、聖鎧を巧みに着こなしているラウルには対応出来ないほどではない。
問題は、
(あの無尽蔵のスタミナと再生力だ…)
激しい戦闘が続けば疲労し、動作が鈍り、集中を欠くものだが、ソラーテにそんな素振りは無い。
息一つ切らしてはいない。
挙げ句、通常なら致命傷に至る傷がまたたく間に治癒してしまう。
首の半分を掻き、取った!と油断したところへ食らった先程の一撃。
歩み寄るソラーテの首にはもう、細い筋程度の名残りしか見られない。
【再生の遅い
(それが出来りゃあ苦労しねーっつーの!)
悲鳴を上げる肉体を酷使し、ゆらりと立ち上がりながらラウルは苦笑いした。
「どうした?恐くなっちまったか?逃げるか?」
狼の眼差しが不気味に笑って問いかける。
「……眼帯だな。」
「ああ?」
「毛皮は剥げそうにねーからな。戦利品はその汚ぇ眼帯で我慢してやるよ。」
「……ははははは!やってみろよぉ!」
哄笑する黒い影は標的に向かって加速した。
──────────
(やっぱやめときゃ良かったじゃん、アホラウル!)
森の中を疾走するメル。
そこへ一直線に飛んでくる者に、メルは即座に反応して短剣を振った。
キィっと、金物が擦れ合う耳障りな音が立つ。
ダガーのような太い爪を弾くと、女の細い足が蹴り上がった。
それを右肘で受けても、メルの体は後方へ大きく浮く。
体勢を崩さないメルの前に立つ、般若のような形相のミセリ。
「やるじゃない!」
「はは、…近接戦闘は苦手だと思った?」
余裕の笑みで爪をカチカチと鳴らすミセリ。
対して、くたびれて汗と血に塗れるメルは、明らかにやせ我慢の作り笑いだ。
「男のくせに、女から逃げ回って恥ずかしくないの?」
「女の子に追われるのは、いい男の証明だよ。」
強がってウインクするメルは、またミセリを背にして駆け出す。
【ミセリはリーダークラスの中では最も、身体能力が劣ります。】
(それがあんな化け物なんだから、最初から無謀だったよね、絶対!)
走りながら柑橘の汁を撒き、ミセリの嗅覚を狂わせようとする。
が、
「あたしにはそんな小細工は通用しないよ!」
背後から伸びたミセリの爪がメルの左肩を貫いた。
「いっっ…!!」
メルは転倒し土に塗れる。
痛みに顔を歪めながらも、歯を食いしばり、木の根元まで這っていく。
「……惨め。いい男が台無しじゃない。」
憐れむように這いずるメルを見下ろすミセリ。
メルは木を背にしてもたれ掛かると、長い髪をかきあげてミセリを見た。
【ミセリ部隊が得意とするのは索敵です。音を立てずに追跡する斥候術と部隊一優れた嗅覚。特にミセリは刺激臭にも怯みませんし、耳までいい。呼吸音どころか、まばたきの音まで拾うとか。】
(
メルはまた、何度目かというため息をして呼吸を整えると、ミセリに微笑んだ。
カチカチという爪の音が近付いてくる。
「あんた、手練だって聞いてたのにさ、がっかりだよ。陰気な
「まあまあ。ちょっと、ゆっくり話をしようよ。」
悠長な提案に、何かあるのか?と、ミセリは警戒して立ち止まる。
「……何のための時間稼ぎか知らないけど、無駄だよ。」
「何も無いさ……。君も、僕と話してみたいのかと思ったんだけど……思ってたより優しいみたいだし。」
ミセリの顔面が硬直した。
ミセリの足ならすぐに追い付いてメルを仕留めるなど簡単だったはずだ。
しかし、追いはしても攻撃はどことなく加減が見られた。
現に、メルはまだ生きている。
(はは、本当に、情報の通りなんだな。)
【ソラーテとディンゴは背を向けると激昂するところがありますが、チアゴとミセリは興味を失います。いや、ミセリは、興味を失うというより……】
「仕事は楽しいかい?」
メルの問い掛けに、ミセリはさっと顔色を変えた。
みるみるうちに紅潮し、牙をむき出し、唸り声を上げる。
「……あんたみたいな……あんたらみたいに人殺しで儲ける奴らと、あたしは違う!」
何かが頭を過ぎっているのか、ミセリは黄色い眼を宙にやってから頭を振った。
「……おしゃべりは終わりだよ。」
「僕を殺すんだね?」
「………」
そうだよ
消えそうな声で呟いたミセリの顔からはもう、動揺は消えていた。
ゆっくり踏みしめる細い足の向こうに、メルは隠し置いていた銃を見ていた。
──────────
ボゥっと黒い火柱がチアゴの首元をかすめた。
「ひょおっ!危ねーな!」
嬌声を上げて背後へ飛ぶチアゴ。
「……相変わらず、勘がいいな。」
胸に穴を開けたダヤンは、口惜しそうに呟いた。
「肉を切らせて骨を断つ」その言葉のまま、ライデルはダヤンの背後からその身を貫いてチアゴの首を狙ったのだが、まんまとかわされてしまった。
すでに似たような手法で脇腹が裂けているライデルも、苦い顔をする。
「自由になったってのに、戦法は昔のままかよ、進歩が無いぜ、先輩」
距離をとったチアゴはつまらなそうに吐き捨てた。
「再生は少ない寿命を更に削るぜ?」
二人の蒸気を上げる肉体はゆっくりと傷口を塞ぎ、流れる血は乾いて消えてゆく。
それを見つめるチアゴの同情に似た表情に、ライデルとダヤンは苦笑した。
「数える程の日しか残っていないんだ、惜しんでどうする?」
「お前を道連れに出来るなら儲けものだ。」
剣を構える二人の顔からはもう血の気が引いていた。
濃い隈が眦の下に塗ったように浮かんでいる。
「………あんたらはそれで、満足なのか?」
ライデルとダヤンは青くなった唇を引いて笑みを浮かべた。
「ああ。」
「満足だ。」
「………そうか。」
チアゴは両の手甲にある石を叩く。
薄手の手甲は脈動を打って赤く禍々しく形状を変えた。
ライデルとダヤンの顔から笑みが消え、空気がピリリと張り詰めた。
「俺と相打つなんざ、千番に一番の兼ね合いだ。せいぜい頑張れ、先輩。」
チアゴからふざけた笑顔が消えている。
東征で見せた殺戮の顔。
この男の厄介さと凶悪さは二人もよく知るところだ。
自分本位に生殺する、信念も人情も無い
ここで仕留めなければ、その牙は恩人を引き裂くだろう。
それこそ、雑草を千切るようにあっさりと。
消えかかっている命の灯火よ、せめて最後にこの悪を燃やし尽くすだけの業火となって欲しい。
ライデルとダヤンの眦に血が滲んだ。
チアゴが駆け出し、二人は待ち構える。
(決めに来たな。)
ライデルは剣の黒い炎の薄刃をより大きくし、ダヤンに頷いて見せた。
(少しだけ先に待っててくれ、ライデル。)
ダヤンは駆け出したライデルの後方に飛ぶと、自身の体に仕込んである
残り僅かな赤紋の力まで残さず絞り出し、ダヤンの肉体は赤く染まり、黒炎の剣に赤い閃光が走る。
二人の自爆覚悟の特攻。
それを見るチアゴの目は酷く冷めていた。
元傭兵のチアゴには帰属意識というものが無かった。
チアゴにとって戦場は、ただ、飯にありつける場所でしかなかった。
そこへ忠義だの正義だの感情論を持ち込む自称「騎士」の連中は道化にしか見えず、滑稽で面倒で、そして憐れだと思っていた。
鍛錬も忠誠も人生の全てを踏み躙られてここで果てるしか無い男達。
彼らが「満足だ」というこの惨めな結末。
「見るに堪えねぇよ。」
間合いの外、投げられたライデルの黒い刃がチアゴを捉える。
それは手甲に阻まれて届かないが、ライデルの役目はチアゴの一瞬の足止めだ。
空いた胴を狙いすますが、
ドンッ
チアゴの右の手甲が火を吹き、ライデルの頭部が吹き飛ぶ。
しかし、まるで意思を持つように肉体はチアゴにタックルし、捕らえる。
ダヤンはライデルが命を捨てて作ったその好機を見逃さなかった。
渾身の一撃。
赤と黒の高温の刃がライデルの体ごとチアゴを両断──────
─────するはずだった。
「────すまない、ライデル。」
それは無慈悲に、簡単に阻まれた。
赤紋の力が尽きて炎の消えたダヤンの剣は、チアゴの操る元の持ち主よりずっと高威力の炎を纏ったライデルの剣に刀身を砕かれていた。
(………及ばなかったか)
膝を着くダヤンの肉体は急速に萎み、カサリと音を立てて崩れる。
チアゴに取り付いていたライデルの肉体も、時を同じにしてクシャっと落ちた。
爆炎が消えた後の静かな夜闇の、冷たい石畳の上に散る白い灰。
センチメンタルなんて対極にあるはずのチアゴは、獣化を解いた人間の黒い瞳で、しばらく灰を見詰めていた。
それは、あれほどの戦闘を繰り広げた敵とは思えない程少量の、塵の小山。
それから、チアゴはふらりと歩を進めた。
魔王のヘルプの寺田さん 星道三 @ske3
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