二千年前の『王』たち③

 その男は人口が三万人ほどの小さな国の、汚い酒場のカウンターで酔い潰れていた。

 国の名はアデン。別名を、『魔窟まくつ』と呼ばれている国である。

「……ということでございまして。ただいまを持ちまして“魔法の世界のゲーム”の開始となりました。最後の一人に残った『王』が『“魔法の世界”のゲームマスター』を殺せたらゲームクリアと…………あのう、聞いていますか? 『狂楽王』ズィートゥティヌスさま」

『審判者』ユースフェルトが、困った顔で言った。その言葉を投げている相手は、店のカウンターに突っ伏している。

 男が身にまとっているのは薄汚れたシャツとズボンのみ。ぼさぼさの髪はよく見ると、頭頂部から毛先にかけて、黒、灰、白の三色に分かれている。非常に珍しい髪色の持ち主である。

『魔窟』アデンは大陸のど真ん中に位置しているにもかかわらず、周囲との国境を厳重な柵や門で仕切っている。なぜかというと、この国にいる人間は全員、最低でも殺人罪を犯した人間たちだからだ。監獄『最果ての箱』に収監されるのは魔法使いの犯罪者たちであるため、ここにはそれ以外の、一般的な罪人が全て集められる。

 ゆえにここでは常時じょうじ何かしらの犯罪行為がどこかで起きている。司法も機能しておらず、警察も賄賂わいろを受け取っているため動かない。まさに無法むほう地帯ちたいの国である。

 中央にある街は薄暗く、端に行けば行くほどもっと暗くなり、貧困街が広がっている。そこでは文字の読み書きができない人間のほうが普通で、ここで生まれた子供たちは金の価値より先に、死体をあさって物を売ることを覚える。そしてゴミ溜めで服を拾い、自然と盗みや犯罪で生きていくことを学ぶ。無論この子供たちは全員、殺人犯の親から生まれた者たちである。

 そんな国アデンの中心部の酒場に、この国の『王』は机に突っ伏して酔い潰れていた。

「ねぇズィートゥティヌスさまぁ。起きてよぉ。もう一杯飲みましょお」

「やだぁ。私と飲みましょうよぉ」

「『狂楽王きょうらくおう』様ぁ。私と一緒に二階に行きましょぉ」

 酔い潰れている男に、安い女がまとわりついて体をゆすっている。

「うるせえなあ……」

 その男は、のそりと体を起こした。前髪が鼻の頭まで伸びているため、目元は完全に隠れて見えない。

 安い酒と安い女を揃えた店の中では、仕事を終えた男たちがテーブルを囲い、立って酒を飲んでいる。その横では、女の取り合いで男同士の殴り合いが始まっている。さらにその横では、下着のような格好をした女たちが仕事帰りの男にまとわりついてびを売っている。男たちは気に入った女を買い、店の二階で一晩ひとばん過ごすのだ。かせぎがなければ店を追い出されてしまうため、彼女たちは毎日必死になって肌や胸を露出させ、男をさそっている。

「おい、水」

「うちはメニューに水なんか書いてないよ。欲しけりゃ自分で入れな」

 男は舌打ちをし、カウンターに、くしゃくしゃになったルードさつ一枚いちまい置いた。店主は適当にグラスに氷を入れ、蛇口を開けて水をそそぐ。そのグラスを男の前に置くと、男はすぐにそれを取り、喉に流し込んだ。

「金、貰ってないよ」

「あ?」

 店主が手を出し、金を催促さいそくする。見るとカウンターに置いたはずのルードさつが消えている。

「ねえ、ズィートゥティヌス様ぁ」

 まとわりつく女の胸の谷間に、それを見つける。女が一瞬の隙に、置いた金をかすめ取っていたのだ。

「……ち」

 男はもう一度舌打ちをすると、ズボンの尻ポケットからくしゃくしゃのルードさつを置いた。今度は店主がそれをきっちり取り上げる。この国ではこのように、店主が金をせびるのも当たり前なのである。

「……で、おまえだれ

 男……この国を統べている『狂楽王』、ズィートゥティヌスが言った。

「『審判者』ユースフェルト・バロンでございます。あなたさまに、此度のゲームのお知らせに参りました」

 と、ユースフェルトは、うやうやしく腰を折りながら答える。顔を上げて、ズィートゥティヌスに言う。

「『狂楽王』ズィートゥティヌスさま、先程のわたくしのお話、どこまで聞いていらっしゃいましたか?」

「ああ? 知らね……」

 言いかけた時。ズィートゥティヌスは『魔導王』アネットの思考を受け取った。

「……アネットちゃんかよ。うるせえなあ」

 言いながら、ごそごそと尻ポケットをまさぐる。

 取り出したのはリートネットの髪が編み込まれた、小さな四角形のタペストリだ。ズィートゥティヌスはこの時代の誰よりも魔力が多い反面、制御がきかないため基礎的な魔法が使えない。リートネットが作ったこの補助道具がないと、相手に言葉を送り返すこともできないのだ。

 ズィートゥティヌスはそのタペストリを握ると、

「アネットちゃん。今夜、俺ちゃんとデートしねえ? ぜひともベッドの上で、『魔導王』さまの一人とお勉強会してえなあ。あ、リルちゃんも一緒でいいぜえ。どう?」

 と、言葉で返事を送った。

「……ありゃ。切れちまった」

 どうやらアネットの怒りを買い、思考が打ち切られてしまったようだ。ズィートゥティヌスはリートネットから貰った補助道具を後ろに投げ捨てる。すぐさま汚い子供が取り上げ、走って逃げていく。闇市やみいちで売りに行くのだ。

「……ああ?」

 と、ズィートゥティヌスは気が付く。道の端に、不自然な影がわだかまっていることを。

「……」

 風もないのに揺らめく影には、グディフィベールが潜んでいるのだ。ズィートゥティヌスはぽりぽりと頬を掻くと、そこから目を離した。

 横からユースフェルトが話しかけてくる。

「……『狂楽王』ズィートゥティヌスさま。もう一度かいつまんでご説明させていただきますね。

 今回のゲームは『王』の皆様でぶつかり合っていただき、最後に残った一人が、『“魔法の世界”のゲームマスター』も殺せたらこのゲームはクリアでございます。

 ゲームをクリアした者は、次なる盤上を構築および展開させることのできるゲームマスターとなることができます。

 もしもあなたさまが勝ち残られたならば、それこそ、お気に入りの駒だけをゲーム盤に置くことも可能でございます」

「はあん……」

 ズィートゥティヌスは聞いているのか聞いていないのか分からない返事をする。

「なんか分かんねえけど、とりあえず、これはもういらねえってことか」

 ズィートゥティヌスは服の中から一枚の紙を取り出し、ひらひら揺らす。それを横にいる女に渡した。紙は『王』たちの名前が書かれた協定書である。無論、一般人にこの紙を見せることも渡すことも言語道断ごんごどうだんだ。

「……なあにこれ。『ここに名前がある者同士で戦争をしない』『略奪行為、侵略行為をしない』……『魔導王』リートネット。アネット・リトルグレイ……『救世王』フール……『屍王』グディフィベール……『撃滅王』アーバンク……『妖精王』クロネラ……『神殺王』ユークリウッド……『狂楽王』ズィートゥティヌス……」

 紙を受け取った女がその内容を読み上げていく。ズィートゥティヌスにまとわりついていたほかの女たちも、一緒になってそれを覗き込んでいる。

 女たちが読んでいる途中で、協定書は自分の体を紙飛行機に折り曲げ、ちょうど油を温めているフライパンの上に飛んで行った。店主が驚きの声を上げる。紙はじゅうじゅうと音を立てて焼かれていく。

 ズィートゥティヌスはカウンターに置かれた誰かの酒を勝手にとって一口あおった。飲み終わると口から離し、後ろに投げ捨てる。派手な音を立てて瓶は粉々になった。

「では、何かあればわたくしかジーニーをお呼びください。

 わたくし共はこのゲーム盤では『審判者』の駒であると同時に、ゲームの内容を説明する案内人でもございますので」

 ユースフェルトが一礼する。足元から蒸気の煙となって消えていく。

「はあー…………」

 ズィートゥティヌスは息を吐きながら、がしがしと頭を掻いた。がたりと椅子から立ち上がる。

「ねえ、私たちを買ってよぉう」

 なおも女たちがまとわりついてくる。ズィートゥティヌスはカウンターのボトルを手に取った。

「持ってくなら金払いなよ。この国の王様だからって、わがままされちゃあ困るんでね」

 店主が手を出してくる。ズィートゥティヌスはそれを無視してボトルをあけ、中の酒をあおった。

「ねえ。ズィートゥティヌス様ぁ」

「うるせえなぁ。引っ付くんじゃねえ。今の俺ちゃんの趣味は香水こうすいくせえ女より、マジメな女の子なの。アネットちゃんとリルちゃん、何回誘ってもデートしてくれねえ。俺ちゃんの何が嫌なのかなあ……」

 女たちの手を振りほどき、ズィートゥティヌスはがりがりと頭をかく。ボトルを傾けながら店を出る。その後ろ、テーブルの椅子に座っていた一人の男が、

「……いない。いない。『狂楽王』ズィートゥティヌスなどこの世界にはいない。そんな『王』など、この世界に存在しない……」

 そう言っているのを、ズィートゥティヌスは感じ取る。

「ズィートゥティヌス様ぁ、どこ行くのぉ?」

「頭痛いから、寝る」

 背を向けたまま答える。

 ズィートゥティヌスの姿はノイズとともにぶれ、景色と同化するようにして消えていった。

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盤上の神域 ハギヅキ ヱリカ @hagizuki_wanwan

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