第3話 謡馨の仮面
五月の初め。世間はゴールデンウィークに入っていた。
連休に合わせ相模Bにある美術館内で開催された宝石の展覧会。その最終日に事件は起こった。
美術館内で火災が発生。火災と同時に美術館内に紛れ込んでいた賊が暴れ宝石を強奪。
避難する客を銃で脅し押しのけながら子供数名を人質に逃亡した。
その場の警備に当たっていた雇われの民間警察官は火事に対する避難誘導に全力を注いだため犯人を取り逃がし追跡は出来ず犯人は完全に逃げきる―――かの様に思われた。
しかし結果はわずか十分足らずで逃走した犯人らは皆現行犯逮捕。人質になった子供らは全員無傷。それどころか最初の火災時から含めて怪我人は無し。美術館の火災も比較的軽いもので済んだらしい。
まるで相手の行動が予め分かっていてわざと躍らせていたような余裕すら感じる結果に私は衝撃を受けていた。
「作戦終了。
事前の打ち合わせ通り一班、二班は周辺警備。三班は被害者への対応をお願いします。
今から裏方の私達も犯行現場に向かいます。
任務中負傷した方は到着したら名乗り出てください。
小さな怪我でも負傷が分かっていれば社内手当てを出しやすいのでぜひ気兼ねなく言ってくださいね」
通信を終えたその女性はヘッドセットをつけた右耳に当てていた手をゆっくりと下げた。
項でひとまとめにされた長い髪。切れ長で威圧感のある細い瞳。背が高く肉付きが良く、薄い化粧をした顔は艶やかで、大人の風格を漂わせる。
彼女、謡馨(ウタイカオリ)は夜空警察グループ内で凶悪犯罪を専門に扱う特殊部隊の様な会社、民間武装警察『シリウス』の社員だ。
私、相沢文香は高校、大学、大学院と進学し入社試験を最低に近い順位を出しながらギリギリの所で彼女と同じ大空グループの民間警察。『アルタイル』に今年入社した新人社員だ。
多分彼女と私の年齢はそこまで離れていない。
それなのにこの作戦で何十人もの社員をまとめ上げ事前に犯罪を察知して作戦を練り、被害もほぼゼロで事件を収束させたのだ。凄い、の一言に尽きる。
彼女はどれだけのキャリアを積んできたのだろうかと物思いにふけっていると彼女から「行きますよ」と声をかけられ慌てて動き出した。
「すいません、馨先輩」
「馨先輩は止めてください。
言われなれないので。
それに会社も違うわけですしさん付けで呼んでください」
「あ。はい、すみません馨さん」
「相沢さん。それとそれを持って私の車に乗って。
他の皆さんも各自の車で現場に向かってください」
言われた通り私は資料とパソコンを手にして馨さんの車に乗った。
運転席に乗った馨さんは手慣れた動作で車を動かしゆっくりと進み始めた。
ルームミラーからぶら下がったマスコットに目が行き私は不意に気になって口を開いた。
「あの、これ半仮面の騎士の「クライムちゃん」ですよね」
「そうですよ。
実はこのクライムちゃんってうちの社長がモデルになってるんですよ。
シリウスの社長って見たことあります?」
「はい、入社式の時にチラッと。
確か顔にまで『竜骨』がめり込んでいる女の人ですよね」
「そうです。作者のアノマロカリス先生はうちの社長の友人なんです。
実はあの漫画シリウスの事件も参考に作られているんですよ」
「そうなんですか!
すごいですね」
「まぁ、シリウスは良くも悪くもすごい事件が集結していますからね」
「なるほど。
馨さんはシリウスで働き始めて何年になるんですか?」
「4年目…ってことになりますかね」
「って事は28歳ですか?」
馨さんが押し黙った。
私は不意に自分が余計な事を言ったのだと思い至った。
良く良く耳を澄ませてみれば馨さんが小さく「―――6さ、です」と呟いたのが聞こえた。
「あ…ごめんなさい!普通の大学生だと22歳から4年で26s―――「16歳です」」
今度ははっきりとした声で数字が返ってきた。
「え…16?」
「16歳ですよ。
つまり年下です」
「…ハ⁉」
私が驚けば馨さんがため息をついた。
「やっぱり私老けて見えるんですかね」
「老けているっていうかなんて言うか全然16歳じゃありませんよ!」
「…それ私の事馬鹿にしてます?」
「いえ!違くてそうじゃなくって私よりカッコいいし全然年下に見えなくって…。
というか16歳の4年前って12歳じゃないですか!」
「何当たり前の事言ってるんですか?」
「いや、四則演算は出来ますって。
それより12歳から何して過ごしてたんですか!」
「学校に通いながらシリウスの研修生として色んな勉強や訓練をしたり、実際の現場で仕事の補助をしたりしてましたね」
「なぜ馨さんはそんな年から?」
「小学生の頃親に勘当されて行き場が無くなったんです」
「小学生で親に勘当って何したんですか!」
「えっと、殺人事件に首突っ込んで親に叱られて腹立ったから親の横領と不倫を警察にバラしたら逆上されて家族の縁を切られました」
私は頭に入ってくる情報を順番に整理しながらゆっくりと確かめるように馨さんに問う。
「えっと…殺人事件に首突っ込んで親の不正を暴いて勘当されてシリウスの研修社員として4年間働いて今16歳と?」
「まぁ、そういう事ですね」
私は開いた口が塞がらない。
壮大すぎる人生を送っているだけで驚きなのに、今現在16歳だなんて信じられない。
私が12歳の頃なんか恥ずかしながらまだサンタクロースを信じていた頃だし、16歳は反抗期真っ盛りで自分の力で世界を滅ぼせるんじゃないかとか思っていたくらいだ。
中二的な痛々しい発想をしていたあの頃の私と隣の女性。もとい少女が同い年だなんて全く想像が付かない。
この少女はいったいどれだけの修羅場をくぐってきたのだろうか?
この業界はお世辞にも安全とは言えない。
私も自分の会社を選ぶにあたって最悪死ぬ可能性があるという事を頭の片隅に置いているが彼女の会社の場合は私の会社以上に危険が多いはずだ。
それなのにどうして目の前の少女は超が付くほど危険な会社で働こうと思ったのだろうか。
「馨さんはどうしてこんな仕事しているんですか?
アルタイルなら交番勤務とか危険が少ない仕事もありますけどシリウスは違いますよね」
「気になります?」
「はい」
私が真面目な顔で聞けば馨さんは少しだけ表情をほころばせ答えた。
「大した理由じゃないですよ。
負けたくない人がいて、そいつと戦う為に同じ戦場に立たなくちゃいけなかっただけです」
「負けたくない人?」
「えぇ。
夜空警察の化け物組の一人。舞川神楽ですよ。
知ってます?」
「ごめんなさい、知らないです」
「夜空警察グループにはやばい人が七―――いや、六人いるんですけどその一人が神楽ですね。
私と同じ年齢で夜空警察内での直接戦闘能力が三番目。実質引退のウチの社長を除けば二番目。潜在値だけで言えば1位なんじゃないかっていう声もあるくらいの実力者ですよ」
「へぇ。
でも馨さんって情報員ですよね?
直接戦闘が得意なその神楽さんとは勝負にならないんじゃないんですか?」
「一応元々は機動員だったんですよ、私。
まぁ、色々あって今は情報員ですけど今だって動こうと思えばそこそこに動けますからね。
それに直接戦闘力だけが民間警察官の能力を決めるわけじゃありませんから。
私の武器はあくまで頭(こっち)。
同じ民間警察としてあいつ以上にすごい存在になればいいんです」
運転しながら馨さんは指先で自分の頭を小突く。
口元に笑みを浮かべる馨さんはとても自身に満ち溢れているようだった。
彼女の自信は根拠の無い物ではないのだろう。
私がのうのうと過ごしていた頃から彼女は努力を積み重ねているのだ。言葉の重みが違う。
16と言えば恋に青春に学校生活。今しか味わえない物がたくさんあるはずなのに彼女はそれらを削ぎ落してこの会社にいるはずだ。
私なんて足元にも及ばない。
「すごいんですね、馨さんは」
「まぁそれなりに努力はしてますから」
「私なんか16の時はのうのうと過ごしてましたよ」
自嘲気味に笑えば意外にも馨さんは「どんなことしてたんです?」と聞き返してきてくれた。
「そうですね。
私の高校生の頃はひどかったですよ。
私元々不良だったんで。色んなことして先生たちに毎日怒られたり悪い人たちに目をつけられたりしてましたね」
言えば馨さんは鼻で笑う。
「なるほど。
不良だった相沢さんはどうしてこんな職場に来たんですか?」
「え~と…。
恥ずかしい話なんですけど彼氏を追いかけてきたんです。
一学年上の先輩だったんですけどその人は正義感が強くって不真面目な私の事を何度も気にかけてくれて、いつの間にか好きになっちゃって。
私はその人の後を追って民間警察になったんですよね、笑っちゃうことに」
「いや、私の理由よりはよっぽど健全ですよ。
今その人とはどうしているんですか?」
「今は結婚前提でお付き合いさせてもらっています。
彼も同じアルタイルで働いていて今日の作戦も前線で参加していますよ」
「なるほど。
良いですね、同じ職場に好きな人がいるなんて。
羨ましい限りですよ」
「馨さんは好きな人いるんですか?」
聞けば馨さんは口を閉ざして遠い目をした―――ような気がした。
「いますよ」
「どんな人ですか?」
「とってもカッコいい人ですよ。
まぁ、彼女持ちなんですけどね」
「それは…残念です」
「いや、そんなことないですよ。
私の恋は当分叶える気なんてないですから」
「どういうこと―――「そろそろ現場に着きますよ。
色々終わっているとはいえ現場に入る時は次の行動をシュミレーションして絶対に立ち止まらない事。」
「!はい」
現場への到着まではまだ少し早い。
短編 非情で暖かい世界 白蝶蘭 @hakutyouran
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