啼かない鳥
七瀬みお@『雲隠れ王女』他配信中
金糸雀《カナリア》
神は、手のひらから幾筋もの光を遣わした。
「罪深き人間たちの諸行を、私に代わり見てきておくれ」
一つの光は、下界に降りる途中で真っ白な
そこは戦場だった。
焼け焦げた枯木に止まり、多くの人間たちが愚かな争いを繰り広げるのを、金糸雀はじっと見つめていた。
そのなかに、他の誰よりも多く人を殺している人間を見つけた。
どれほどの返り血を浴びても怯むこともなく、人間は命をうばい続けた。
金糸雀はしばらく見つめていたが、落胆したようにまばたきすると、再び天空を目指して飛び立った。
神に、今見て来た事を報告するために。
ヒュン!
唐突に飛んだ矢がその翼をかすめ——
金糸雀は、地に堕ちた。
⭐︎
若い王子は神の子とうたわれるほどに美しい容姿をしていたが、その眼差しは冷たく、ひとひらの情をも感じさせない。
王子は戦争で、誰よりも多くの命を奪った。
血の王子と言われ、人々から恐れられた。
妾の子供だった彼は、自分の母と弟の命をうばった異母兄弟を手にかけ、王子の座に着いた。
王は彼をおそれ、孤城に追いやった。
王の血を引いた最後の後継者である彼は、殺される事はなくとも、孤独でやりばのない想いにかられる日々を送っていた。
そんな彼が戦場で……
一羽の金糸雀と出逢った。
戦火の地で傷ついていたところを、彼が助けたのだ。
しかし——金糸雀は、啼かない。
王子が笑わぬのと、同じように。
傷を負ったショックで啼き方を忘れてしまったのだろうか?
王子は、懸命に金糸雀の世話をした。
金糸雀は驚異的な速さで回復をし、すぐに飛べるようになった。
元気になっても金糸雀は相変わらず啼かなかったが、王子は、悩みや苦しみ……弱さの全てを、金糸雀に打ち明けるようになった。
翡翠のような目は、王子のはなしをいつも静かに聞いている。
人には決して心を開かず、国のためだけに命を注いできた彼は、艶やかな金糸雀に、心を許した。
王子は金糸雀に「セシル」という名を付けた。
雄か雌かわからなかったので、どちらでもかなうものに決めた。
セシル、セシル、セシル……
王子は毎日、何度もその名を呼び、そのたびにセシルはすぐに飛び戻る。
彼の肩や頭にとまっては、可愛い姿で彼の心をなごませ、氷の心を溶かしていった。
金糸雀といる王子は、忘れていたものを取り戻したようにも見えた。
どこへでも連れて行き、朝に夕に慈しみ、優しい言葉をかけ続けた。
いつか金糸雀が、啼き方を思い出せるように。
⭐︎
「どうすれば、救われるのだろうか。己がうばった命を、とむらえるのだろうか。どうすれば、神は赦したもうのか」
王子は、金糸雀に問いかける、毎日、毎日……。
自分の罪を憂うばかりに王子は痩せほそり、生気を失くしていった。
金糸雀はじっと、王子を見つめている。
ある朝、金糸雀は小さな緑の双葉をくわえ、王子のもとに飛び戻った。
よく見ると、何かの苗である。
「私にこれを、植えろと言うのか?」
金糸雀は毎日違った苗を運んできた。
来る日も、来る日も。
雨の日も風の日も、嵐の夜にも。
王子はそのたびに、その小さな苗を植えた。
来る日も、来る日も、
雨の日も、風の日も、嵐の日にも……。
ある朝、王子が苗を植えた場所に行ってみると
一輪の白い花が咲いていた。
露に濡れたそのかがやきは美しく、高潔で……
王子は思わず涙を流した。
それから毎日、王子が新しい苗を植えるたびに、新しい花が咲き始めた。
時に嵐の日は天蓋を掛けて、
自分がどんなに濡れそぼろうとも、花達を守ろうとした。
動物に荒らされないかと気に掛かり、
鳥に食われてはと気が気ではない。
家臣達はそんな王子をいぶかり、狂気の沙汰だとますます遠ざけるようになっていった。
けれど王子は……
あの花達を懸命に守る……
そんな自分が、はじめて意味のあるものに思えた。
金糸雀はいつも彼と共に存り、彼を見ていた——
とても、とても、いとおしげに。
ある日、花畑に行ってみると、
自分が植えた覚えのない苗が植えられてある。
苗のそばに、黄色い鳥の羽根がおちていた。
いったい誰が植えたのだろう?
一輪、また一輪と……王子の知らない花が、増えていく。
そのうち冬になり、苗を拾いに出ていった金糸雀が、しばらく帰らない事が続いた。
「きっと遠くまで苗を探しに行っているのだろう、私のために……この雪の中を」
⭐︎
神は、金糸雀に
このままそこにいれば、お前は永遠の命を失ってしまう。
もう私のところには戻れなくなるが、それでも良いのか。
その愚かな人間のために、小さなお前に、何ができる。
今なら間に合う。
戻るのだ、
金糸雀の帰りを待ちながら、窓辺で
金糸雀に、迷いはなかった。
王子のそばにいる道を選んだ。
しかし、凍てつく冬の空を何日も飛び続けたせいで、金糸雀の白い羽は灰色に汚れ、翼の付け根には血が滲んでいる。
「もうよい、もうじゅうぶんだ。苗を取りに行くのは、やめておくれ……」
王子は、汚れてしまった金糸雀の小さなからだを手のひらで優しく包み、小さな頭を頬に寄せた。
翌朝、王子が目を覚ますと、金糸雀の姿は無かった。
王子言うことを聞かずに、また苗を探しに飛び立ったのだ。
何故だろう。閉めた筈の窓が、細く開いていた。
「ああセシル……今は、冬だ。せっかく持って来てくれた苗を植えても、枯れてしまう……。お願いだから、戻っておくれ」
昨日、金糸雀がくわえて来た苗は、冬だと言うのに小さな花瓶の水のなかで、鮮やかな緑をたくわえていた。
数日後、金糸雀は苗をくわえて戻って来たが……
ところどころ羽根がちぎれ、翼はげんなりと力を無くしている。
「有難う、だがもうよい、やめてくれ……これ以上の事をしたら、お前はしんでしまう!」
金糸雀は、翡翠のような目を、王子にむけた。
力なく、震えながら……
その
「セシル。もうじき冬が明ける。そうしたら、また一緒に苗を植えに行こう……」
金糸雀が運んだ苗を、ひとり植えに行く王子。
冷たい風が頬を殴る……
こんな空の中を、セシルは懸命に、飛んだのだろうか。
苗を植え続けた場所には霜がおり、
ちらほらと咲いていた花の気配すら、今は感じられない。
王子は力を落とした。
色の無いその淋しげな風景には、絶望すら感じる。
しかし、彼は苗を植えた。
この苗は、自分がうばった、人の命 ——。
だからどんな事があっても、私は命を植え続ける。
なんの罪滅ぼしにもならないかも知れないけれど……
命懸けでこれを運んだ、セシルのためにも。
あたたかな光が差し込む春の日の朝 ———
王子が目を覚ますと、金糸雀はしんでいた。
王子の額のそばに、小さな頭を、そっともたげるようにして。
⭐︎
カナリアは、死して神のところに飛んだ。
永遠の命は失ってしまったけれど……
天国に旅立つ前に、どうしても、神に伝えたいことがあった。
金糸雀は、神に訴える……
王子に、自分の代わりを与えて欲しいと。
彼は、善い人間だ。
優しい人だ。
神は言った。
人を殺したものが、善い人間だと言えるのか。
金糸雀の目を、神はみつめる。
その目の中に、すべてが、記憶されていた。
神は、ゆっくりとうなづいた。
そして言った ———
ちょうどお前と、同じ願いを持つ者が居る。
神の隣には、一羽の黄色い金糸雀がいた。
⭐︎
金糸雀の亡骸を
亡骸を手放せずにいたが、このままではセシルが可哀想だと思ったのだ。
今や、美しい花々で埋め尽くされた、花畑に……
ひとりの少女がうずくまり、祈りの手を捧げている。
彼女の下には、小さな十字架が掲げられた土盛があった。
言葉は無くとも、
王子と少女は、お互いがここに居る
二人は共に金糸雀を埋葬し、
二つ並んだ小さな墓標に、祈りをささげた。
「君の名は?」
「……セシル」
これはまったく、偶然だろうか———。
二人は見つめ合う。
胸にぽっかり空いてしまった悲しみを、たがいに埋め合うように。
Oshimai⭐︎
啼かない鳥 七瀬みお@『雲隠れ王女』他配信中 @ura_ra79
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