【過去話】盲いた瞳に映るもの


「エリザ、貴女にお願いがあるの。貴女にしか頼めない事なの」

「なんなりと。貴女のためなら、このエリザは死ぬ事もいといません」


 その返事を聞いた女性の瞳には涙があふれ、瞼がわずかに開かれる。


 何も映す事のないその瞳は青。快晴の青空のような美しさであったのに、女王アリグレイドは生まれながらの盲目である。

 侍女のエリザは、女性としてはがっしりとした体格。キリッとした面差しと、つり上がった目は男勝りの気の強さ、意志の強さを示しているかのようだが、緑の瞳にはやさしさの温もりがたたえられていた。


 アリグレイドは東屋での出来事……ヴィットリオとの間で行われた事をすべて信頼する侍女に伝えていたが、伝えていない事もある。



 そしてそれは、永遠に告げるつもりはない。



 あの日あの時、何処か満ち足りたなど、自分を愛し支え続けてくれた侍女……傍らに控える秘密の恋人に言えるはずがないのだ。



 エリザとアリグレイドは、心を通わす恋愛関係。お互いを支えに、生まれてからずっと一緒にいて、死ぬときも一緒でありたいと願う双子のような存在でもあった。


 アリグレイドは男嫌いではない。好きになったのがたまたま、女性のエリザだったというだけで。

 対するエリザは男が嫌いで、汚らわしい存在のように思っていたから、そんな彼女に男を知って悦んだ自分がいるなど、知られる訳にはいかなかったのだ。


 しかしひとつだけ伝えなければならない事がある。……どんなに愛し合っても、女二人ではどうしても得られないものがあったから。



 それは、子供。



 正式な結婚もできはしないが、正直に告白して許しを乞えば、自分に甘い兄はきっと、二人の生活を認めてくれるという思いはあり。

 だけど子供だけは。これだけはどうしようもなく。


 年齢のせいだろうか。時々胸にこみ上げてくるように我が子を抱いてみたいと思う事があったのだ。エリザに一度「あなたはそういう気分になる事はない?」と問うた事があったけども、エリザは女性らしさより男性らしさが優位にあるようで、「あなたさえいてくれれば」という返答だったから、それ以降は話題にする事もできず。


 心の奥底では熾火のように、子供が欲しいと願ってしまっていた。



 アリグレイドは動物の心がわかる。

 同じように人の心もわかる。

 精霊の心さえも、感じてわかるのだ。


 あの日あの時、宰相ヴィットリオから感じたのは、狂おしい程の愛だった。ただひたすら、自分を求めた強い心。独占欲や情欲さえもすべて、自分への純粋な愛が絡まっていて、エリザでさえこのような熱さを伴った想いをぶつけてきたことがなかったから、大声を出すとか、もっと激しく抗う事が出来たはずなのに、彼の心も身体も受け入れてしまった。


 彼の事を好きになる事はない。好きなのはエリザだから。

 でも彼の気持ちを受け入れてあげたいと。受け入れる事で、もしかしたら子供を得る事ができるのではと、期待してしまったのだ。

 愛し合っていなくとも、自分をここまで愛してくれる男の子供なら、産みたいとさえ。



 アリグレイドがそっと下腹部に手を添えたのを見て、エリザはハッとして、女王の顔に目線を移す。


「陛下、まさか……」

「精霊が私の中に命が芽吹くと、教えてくれました」

「どうされるおつもりですか」


 眉をしかめ、エリザは不快感を得たようだった。その恋人の表情はアリグレイドには見えないが、嫉妬を伴った感情の揺らぎを肌で感じる。

 彼女もまた、子供を望む気配を見せたアリグレイドに、子供だけは与えてやれないという現実に打ちひしがれていたのかもしれない。自分が与えられないものを、汚らわしい男が恋人を穢して与えたと思うと憎悪すら沸いているようで、仄暗い感情が侍女を支配する。


「……産みたいと思います」

「そんな! あんな男の子供を!?」

「エリザ、貴女から見てヴィットリオ宰相閣下はどういうお人かしら」

「……仕事はできる人、かと存じます」


 渋々といった感じで、褒めたくはないが嘘も言えないといった感じで絞り出す。


「どのような見目のお方?」

「金髪、氷のような冷たい瞳ですわ……。顔立ちは悪くありません」

「エリザがそう評価するなら相当ね」


 アリグレイドは微笑み、エリザはバツの悪い顔をする。

 

 ヴィットリオ宰相は、美しいという形容が相応しい男だった。精悍さには欠けるから、威厳のために顎髭を蓄えているけれど。

 どこか親戚筋で関わりがあるのか、アリグレイドと顔立ちの方向性は同じで、こんな事がなければエリザはそれほどヴィットリオを他の男程は嫌ってはいなかったのだ。


 かすかな微笑みをみせていた女王なのに、再び哀し気な表情に戻ったので、慰めるようにエリザはアリグレイドの頬に触れ、そっと口づける。


「陛下、お慕いしております。あなたの決断に従います」

「ありがとうエリザ……。私にとってもあなたにとっても、苦しい道になるのだけど……この子が生まれたら……」


 

 やがて月は満ちる。

 秘密の出産では医師を呼ぶ事もできず、子供は侍女エリザ一人の手で取り上げられた。


 生まれた子供は男の子。


 産声をあげなくて、二人を大いに心配させた。

 子供の泣き声で扉前に控える護衛の兵士に悟られるかもしれないと思っていた心配は杞憂に終わったが、泣かなければ泣かないで不安になる。

 月は満ちていたはずなのに体は小さく、弱々しく身を揉んであぶあぶと小さな声を出しただけ。

 

「かわいい……」


 あの男の子供などと、どこかで思っていたのに、エリザは生まれた子供を見て、思わず感想が口につく。嫉妬や憎悪などのどす黒い感情は、一瞬で浄化されて消え去った。

 小さな手のひらを指でふれると、子供はきゅっと反射で握る。赤ん坊なのにその力は想像以上に強くて。


 エリザはアリグレイドの胸元に、壊れそうなほど弱々しい赤ん坊を添わせると、母親は優しくその子を包み込むように抱きしめた。


「カーティス……」


 胸元にいる小さな命。可愛い息子。愛おしさで胸がつまるほど、小さな体とは思えない存在の大きさ。


 子供は三か月になるまでは隠し通せたが、彼の成長と共にいよいよ隠し続けるのが難しくなってしまう。

 精霊は、この子供の存在を人に知られてはいけないと言った。問うた理由には解答が得られなかったが、精霊がアリグレイド個人のために言葉を紡ぐはずはなく、国の未来のためには彼を手放さなければならないと知っていた。

 精霊の言葉に逆らいたかった。だが……。


「陛下、カーティスは目が見えてるみたいです」

「え、青い瞳なのよね」

「はい、陛下と同じ色です……。でも私の姿を追って視線が動いていますから、間違いなく見えているかと」

「そう……」

「お任せ下さい。お約束してましたとおり、私が必ずこの子を立派に育ててみせます、再会できるその日のために」


 エリザはそっと、子供をアリグレイドの腕に抱かせる。

 別れの時が来てしまった。


「愛してるわ、カーティス」


 額にキスをして、もう一度きゅっと抱きしめる。

 抱きしめられた赤ん坊は生後三か月の幼さなのに、別れを理解してこの思い出を必死に覚えておこうとしているようにさえ見えた。

 そして女王は侍女のいる方に向かって手を伸ばしたから、その手を取ったエリザを引き寄せると彼女も一緒に抱きしめる。


「愛してるわ、エリザ。貴女も私の命」

「陛下……」


 こうして侍女は、後ろ髪を引かれつつも城を後にした。

 その五年後、アリグレイドはファンタムを作れる程度に成長した黒い水晶木すいしょうぼくに囚われ、密かなやり取りの手紙は途絶える。


 カーティスという名は、我が子と引き離される母親だけの特別な宝物として、エリザは子供を愛称のカートと呼ぶ事にしていた。


 何処から漏れるかわからないから、かつて勤めていたフェリス家にも秘密の子供の存在を知られるわけにもいかず、エリザは頼るものなく、辛うじて酒場の住み込み仕事を得ると、その後は身を粉にして働いて。


 子供の体は弱く幾度となく医者にかかり、稼ぎのすべては医療費に消えて生活は苦しいまま。食が細くてミルクも僅かしか飲んでくれず、中々身体は大きくならなくて、頻繁に熱を出すから心配で眠れぬ夜が何度も訪れた。それでも愛するアリグレイドのため、そして自分の息子となったカートのために、彼女は必死に働いて、育児に邁進し続ける。いつか親子の再会の時を夢見つつ……。


 しかし息子が十歳になる直前、女王アリグレイド死去の報。


 哀しみに耐え、本当なら溶けるほどに甘やかしたい息子を厳しく躾け続けた彼女は、心労とこれまでの過労で体を損ない、カートが十四歳と半年になったとき、その命を儚く散らしてしまったのだった。


 カートはそんなエリザの死にも、厳しい躾けの結果か泣く事が出来ず、出せる場所のない哀しみを胸に閉じ込めたまま、騎士に叙任される日を迎える事になる。


 形見の櫛が折れた時、封じていた哀しみが噴き上がり、その哀しみは怒りに転嫁して、気が付けばフィーネを組み伏せていたのだった。


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