第3話 それじゃぁさようなら。

「今まで見た中で一番キレイな芋虫」

「そうなの? 自分じゃ見えない」


 彼女はスタンドミラーをベッド脇にもってきた。

 そこには黄緑色に花のような模様がついた、ところどころ輪ゴムを巻いたような凹凸のある小さな脚のたくさんついた芋虫がいた。

 これが俺。

 試しに脚を動かしてみると、鏡の中の芋虫も同じように脚を動かした。

 なんだか面白くて、変な感じ。


「そういえば、俺に卵を生んだあと君はどうするの? 出ていくの?」

「ああ、ジガバチとかだとそうなんだよね。どうしようかな? うーん、私もここで死ぬことにしようかな」

「そうなの?」

「まぁ、私とあなたのどちらが先に死ぬかはわからないけど、せっかくだから一緒に死ぬよう祈りましょう」


 別に一緒に死んでほしいわけではないんだけど。

 むしろ死んでほしくはないのだけど。彼女が好きだから。

 彼女が世界からいなくなると考えると、なんとなく悲しい。それは俺が他の俺に繋がっていないからかな。まあ、他の俺なんていないんだけど。


「あの、死ななくても」

「あなた、私何歳に見える?」

「20くらいだと思ってたけど」

「本当は1102歳」

「えっ」

「なんかもう、いいかなと思って」


 そんな長い時の果てで。


「俺27だけど一緒に死ぬのが俺でいいの?」

「まぁ、いいかな。なんていうか、自分のことを正直に話すのってほとんどなかったし」

「そうなの?」

「人に卵を産みつけて増やしてるんですって言える?」

「ああ、まあ、そう、だね」

「本当に変な人」


 赤い飴。この間彼女と見た紅葉の色。これが最後の飴。


「1000年も姿が変わらないの?」

「そう、あなたから産まれてくるのも、ミニチュアサイズのこの姿」

「変なの。でも僕から生まれてくる君が君と同じものなら多分好きかな。だから、食べられてもいいや」


 ふう、と息がかかる。


「あなたは私のどこが好きなの」

「一緒にいてくれたところ」

「それだけ?」

「まあ、俺が一緒にいたいと思える人は実はあんまりいないから。君は一緒にいて落ち着いたんだ。距離感がちょうどよかったんだと思う」

「距離感?」

「そう。絶対的にはそんなでもないけど、相対的にはとても好き。君以上に好きなものはなにもない」

「死んでしまう今でもそう思ってる?」

「うん、まあ、相対的に」

「どう捉えていいのかよくわからないわ。本当に変な人ねぇ」


 飴玉が4個、真っ白になった。俺にはもう来ない、次の冬の雪の色。


「じゃぁ、そろそろ、ちょっと失礼して」


 彼女が起き上がって視界から消える。俺の両脇に彼女の足がみえる。上は見えない。芋虫は少し不便だ。

 しばらくして背中がつぷと破ける感触と、体の中に何か温かいものがふつふつと入ってくる感触。

 背中に違和感がある。自分じゃないものが入り込んだ。痛くは、ない。


「ふう」


 俺の隣に倒れ込んだ彼女は何かカサカサに乾いていた。


「大丈夫?」

「まぁ、多分。これで最後だし、いつもと違って思い切って色々詰め込んだから。今の私は残り滓みたいなもの」

「くっついていい?」

「いいよ」


 小さな脚をよたよた動かす。背中が重くてうまくバランスが取れない。

 なんとかふらふら動いて彼女のカサカサになった腕の間に収まった。

 俺のうちがわに彼女がいる。そとがわの目の前にも彼女がいる。変な感じだ。


 小学校で芋虫を解剖した時のことを思い出す。

 芋虫の皮をむくとそこには芋虫と同じような形の緑色の内蔵といろいろな線があった。

 俺に入った彼女は今、俺の内蔵と皮の間の隙間にいるんだろう。俺の体の中から俺を食べる。

 それはやっぱり、なにか妙な感じがしたけど、そんなに嫌ではない感じ。人の皮もなくなって、芋虫の皮もなくなって、それでさようなら。彼女が全てを食べてくれるなら、何かの役にたっている気がして、なんとなく満足。


「どのくらいで孵化するの?」

「多分、今晩には」

「今から蛹になっちゃだめかな。どろどろになったほうが食べやすそうな気がする」

「どうだろう。でも外側が固くなると外に出づらくなるのかな。この子のことを考えてくれてありがとう」

「この子と言うか、君というか。でもそれもそうか。じゃあやめとく」


 彼女は僕が糸で包んだ飴玉を1個ずつゆっくりと食べた。

 2つ目に手を伸ばす頃には大分動くのが大変そうになっていて。3つ目は俺がなんとか動いて彼女の口に収めた。

 4つ目を口に押し込めるころにはなんとなく窓の外が少し暗くなっていた。それで俺の中で俺とは違うものがもぞもぞ動いているようにを感じた。


「多分、産まれたよ」

「そう、ちゃんと、動いてる?」

「うん、でもよくわからない」

「あぁ、産み付けたときに、麻酔も入ってるから、かな。だから、痛くはない、はず」


 それからすっかり窓の外が暗くなった頃、俺の側面がつぷつぷ動き、食い破られて小さな穴があいて、なにかが出てくる感触がした。

 それはシーツの上をふたふたと歩き回っている。


「つ」

「大丈夫?」

「すぐ、麻酔が効くから、平気。死ぬと、腐るか、ら、生きたままに、する、のよ」


 そういえばジガバチは死なないように重要な部分を残してすこしずつ食べるんだっけ。そんなことを聞いたことがある。

 俺と彼女はちょっとずつ足元からかけていく。できれば一緒に死ねますように。それはなんだかロマンティックで。


 でもしばらく日がたって、外側の彼女の心は俺の前からいなくなってしまった。体は生きてはいるけど、俺の目の前の瞳は何も映していない。もともとカサカサでご飯も食べていないのだから、衰弱してしまったのかも。飴のエネルギーが切れたのかもしれない。少し悲しい。話し相手が減った。

 頑張って糸を飛ばした結果、彼女の顔にヴェールのように糸が降り積もった。なんとなく、満足した。

 俺は俺の皮を齧りながらまだ意識を保っている。


「他には何に注意したらいい?」

「そうだね。四則計算はもう大丈夫そうだから、あとは常識かなぁ」

「常識」


 俺の背中がぱりぱり咀嚼される音がする。なんだかくすぐったい。


 色々ぼんやりして億劫になってきたけど、何かこれはこれで幸せな気分だ。俺が子供を育てるとは思わなかった。自分で思っていたより俺は甲斐甲斐しいのかもしれない。


 小さな彼女は今100センチくらいの大きさまで育っている。といっても幼児なわけではなく、彼女が大人の姿のままでその縮尺まで縮んだ感じ。

 俺と目の前のひからびた彼女を食べきったら、おそらく140センチくらいにはなるだろう。もとの彼女には少し足りないけど、彼女の服をベルトで絞れば着れそうだ。


 俺は彼女がこの部屋から出ていくのに必要な知識を教えていた。多分俺たちが全部食べられてしまうにはもうそんなに時間はなくて。とりあえずパソコンの使い方だけ教えて、あとは自力学習してもらうしかない。


 外側の彼女は多分、僕と一緒に死なないのなら、小さな彼女が孵化する前にこの部屋をあとにしたんだろう。そうすれば小さな彼女は生きていくのは難しかった気がする。多分目の前の彼女が産まれたときと違って今の世界は複雑で。竹から生まれたなんておかしな理屈は受け入れられない。


 俺は小さい彼女を目の前の彼女と同じ名前で呼ぶ。

 俺は目の前の彼女と一緒に死んで、新しい彼女の糧になる。

 こんな変な人生は可か不可かというとゆるやかに可で。それはなにか、幸せな感じ。


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