因果律

 Kが自死して七年が経った。

 私も歳を取った。

 彼女と別れてからは、友人に誘われたりもしたが、彼の墓参りに行く気は起きなかった。女の一件が地元でも広がっているという誇大妄想で、もう昔の仲間に合わせる顔がなかったのも本音だ。

 特にKに自身の破局の心情を重ねていたわけではなかったし、彼のような命を絶つほどの危険な恋愛との相互性もない。去った女の腹に子がいたのと、子を孕ませて死んだ男は、根本的に何もかもが違う。私は純粋な恋愛で、彼は不純な不倫だったのだ。

 そして、恐らく私の子は生きている。


 同時に、時々見かける後ろ姿の男に意識はしていなかった。全ては偶然、あったとしても蓋然であり、無意識的に工場作業者をKと自分を重ねようとしてしまっているに過ぎない。

 そう、Kという一人の男の末路を自分に重複させることに、酷い嫌悪感を感じていたのだ。そうしているうちに彼との琥珀色の思い出の欠片が、言葉に出来ない不気味なものに変わっていき、出来れば彼との全てを無意識の底で鍵を掛けてしまいたいようになった。


 女が去ってから間も無く、仕事に精が出なくなった。どれだけ自信があるプレゼンテーションも酷評され、企画の精査に追われる事になった。だが、今まで通りにやっているつもりの仕事のミスを探すのは容易ではなかった。我武者羅になればなるほど、ボツになった資料だけがデスクに山積みになっていき、シンプルで清潔感のあった小綺麗な自席は、まるで無精人のそれとなり、同僚からは愛想をつかされていった。


 その頃には、一部では去った例の彼女に対して、私からの暴力行為があったという根も葉もない噂によって、女性社員からは極めて疎まれた存在になっていた。

 私が男女の不仲から、仕事のミスばかりをあえて見えない所で指摘し、家庭では罵詈雑言によって彼女を嬲り倒し、結果鬱病にさせてしまい、会社を追い出した、というのが一般的な話のプロットらしい。同時に一部ではその腹に子供があったことまでが、男女問わず周知の事実だった。私はまるで三流ドラマだ、と一蹴していたが、人の好奇というのは自分とは関係がなく進んでいく。

 表立った差別はなかったが、落ち目の人間に関与したがる者はおらず、触らぬ神に祟りなし、といった趣で、私は村八分にさせられていた。

 会社を移ることも検討したが、三十路も近い自分がやり直すには、時は既に遅かった。


 私は一切の女気がなくなり、一人寡の如し生活を楽しむようになり、他人付き合いを避け寡黙に仕事をして、滅多に誘われなくなった飲み会を断り、帰路で借りてきた映画のビデオを暗い部屋で鑑賞する日常に変化していった。

 

 かつて一流美大出身の敏腕ディレクター候補と謳われた私は、いつの間にかプロジェクトにも呼ばれないで、雑務ばかりを押し付けられる窓際族になっていた。

 それはあの女のせいだけではない。急に襲ってきた無気力と不眠症が、自分の芯をどんどん蝕んでいたのだ。

 評価されるのは同期でもない。自分よりもっと後に入社した若造だった。そうして、ここから人生をもう一度巻き返すのは、ほとんど不可能だということも悟っていた。

 この頃から資料の裏側に、気が付くと映画のコンテ割をしているようになった。消しゴムで焦って消すが、この悪癖は治らなかった。そしてその時の顔が笑っていて不気味だ、と周囲からの陰口で知った。

 そんなことは、私には何の問題もなかった。


 ある日、押し付けられるようにして取引先の会社に出向いていた。単に急遽必要になった資料を回収に行くだけのお使いだった。

 まだ外に出られる方がマシだった。

 いつもの単純作業の反復のような機材整理のメンテナンスによって油で汚れることや、プリンターのトナー交換をしてインク塗れになった手と、シャツに着いた黒いシミを、理由もなく何分も無表情で眺めてしまうよりは幾分もよかった。そして、それが新たなる落ち目の男の噂話の種になるよりも。


 出先の会社を後にした私は書類鞄を抱えたまま、気が付くと京王線の終着駅附近にいた。どうやら寝不足から来るうたた寝をしていたようで、目が覚めたら帰るべき最寄り駅は遥か彼方だった。

 近年では京王線は意識的か無意識的か分からないが、出来るだけ利用しないようにしていた。Kの影に怯えていたわけではないが、彼の存在に因果を感じていたのは確かだった。ただその因果は奇々怪界としていて明確に説明できなかったが、この線路を走ることが自分にとって不都合なものと並走してしまう疑念があった。

 一足す一が、二にならない。だが、誰かが自分の知らない場所で、自分の人生についてその数式を編み上げている。それは誰の仕掛けた謎掛けなのか……。


 ——K


 とある駅で電車が停車した。

 それはKが昔住んでいた街だった。

 私は車窓からじっとその駅名の看板を眺めていた。

 一瞬、懐かしい笑顔が、ガラスを走った。

 その顔に、お前は俺だよ、と言われた気がして怖気が立った。

 私は電車の扉が閉まる直前に、本能的に下車した。なぜそんなことをしたのかは分からないし、今後も決して分かるまい。ただ、誰かが一足す一を二だということを拒ませている。その因果を断ち切るには、降りるしかなかったのかもしれない。

 下車した駅あるのは閑散としたプラットホームと、数人の帰路を急ぐ高校生の姿と、視界に広がる平々凡々とした住宅街だけだった。

 私は大学一回生の時の記憶を頼りに、あの公園に向かっていた。

「お墓公園に行く……」誰ともなく呟いた。


 Kの説明は過不足なく、その通りの土地だった。

 まず、彼の実家には一切の迷いもなく辿り着いた。まるで自分の生まれ育った街のようにすぐに見つかったが、表札には苔が蒸しているどころか、荒れ放題の草木と、固く閉められた赤錆だらけの雨戸の廃屋だった。どうやらKの一家が引っ越してから誰もここには入居していないらしい。私は初めて訪れる、この朽ちた一軒家が無性に愛おしく、暫く目を細めながら眺めていた。

 廃屋を後にして迷路のような住宅街を越えて行くと、だんだんと人気のない雑木林の密集する地域へと向かっていく。彼の説明に間違いがなければ、件の場所はこの辺りのはずだったが、散歩にはこの道筋しかない、という確固たる自信があった。

 しかし思惑は外れ、雑木林に入っても一向に公園らしきものは見つからなかった。

 もし、例の場所が見付かり、私を悩ませている数式の答えが出れば、私は再びあの頃の日常に回帰できるのではないか。

 別れた彼女は無事に子供を産み別の家庭を築き、仕事への活力もみるみる復活し、かつてのように大規模なプロジェクトに返り咲き、ゆくゆくは私にも新しい女が見つかり……。


 前から犬の散歩らしき老人が歩いてきた。

「すみません、この辺りに子供の遊ぶような公園はありますか?」

 私は尋ねた。

「公園? そんなものはないよ。子供なんて来やしない」

 老人は明らかに私を訝しげな面持ちで見ている。

 そして続けた。


 ——あるのは水子供養の寺くらいだよ。


「お墓公園」が何なのかは、未だに分からない。

 だがそれから私は、二度とあの街に近づいていない。

     

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お墓公園 椿恭二 @Tsubaki64

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