さみしいかみさま

 いくら日陰だといえども、こんな真夏の日に長いこと外にいたら、誰だって体調が悪くなるに決まっている。しかも、私は心臓と肺が弱くて、大人になるまで生きられるかわからない、というほどの幼子だった。それなのに、そんな私を平日の真昼間から病院から外に連れ出して、やっぱり私の親はもう頭がおかしい。

 母と父は、今日はとあるミサにお邪魔している。何でも、不治の病が治る、なんていう噂がある宗教らしい。私のこの弱い体を治すために、二人はお医者さんから祈祷師まで、色々なところを巡り巡ってきた。どうせ今回も、デタラメに決まっているのだ。

 けほけほっ、といつもの発作が始まりかけていることに気づく。何時間外で待たされているかわからないほどだったけれど、このままここにいれば、段々と呼吸困難になって、意識を失うことは明白だった。しかも吸引器や薬は普段、母が持ち歩いていて、今のままではどうすることもできない。娘の未来を思うあまり、今の娘の現状を把握出来ていなかったのだと気づくのは、ずっと後だった。

 幼い私は、母を探しに行こうと無数の青い花に囲まれたこの庭のベンチから立ち上がろうとしたけれど、胸の辺りがぎゅーん、と痛んできたため、その計画は頓挫した。

 私、ここで死んじゃうのかな。

 そんな思考が頭の中でぐるぐると回り、痛みと苦しみで、涙が出た。

 脳裏に浮かぶのは絶望ばかりで、その絶望を見たくなくて瞼を閉じようとしたとき、私の前を、影が覆った。


「大丈夫?」


 目を開けると、霞む視界が金の輝きで覆われる。

 嗚呼、神様だ。私をお迎えに来てくださったのかな。


「苦しいの?」


 薄れゆく意識の中、必死にこくり、と頷くと神様は私から離れて何処かへ行ったかと思うと、またすぐに戻ってきて私の口に手を当てた。


「これを飲んで。ゆっくり、ゆっくりね」


 顎を持ち上げられ、優しい声と共に流し込まれたものは液体で、甘くて、今までに飲んだことのない味がした。

 言われた通りにゆっくり飲み干すと、じわぁぁっ、と胸が温かくなり、痛みと、咳の発作が治まった。いきなり症状が無くなったものだから、私は目をぱちくり、とさせて、神様を見る。あっという間にクリアになった視界の中の神様は、金色の髪に、湖みたいな青い瞳の人間だった。


「よかった。これでもう、大丈夫だよ」


 綺麗な三日月のような形に唇を歪めた彼は、私が今までに見てきた人間の中で、1番美しかった。私の母親も美人だ、とは思っていたけれど、こんなに美しい人間を見たのは初めてだった。しかも、顔の造りや喉仏、そして全身を覆う白いローブから覗く体の部位は細かったけれど、角張っていて確かに男性のものだった。


「あなたは、神様ですか?」


 思わず問いかけると、何故だか彼はとても悲しそうに顔を歪めた。


「僕は神様じゃないよ。だって、僕は無から何も生み出すことはできないからね」


 隣、いいかな? と少しも拒否されることを考えていないような態度で、私が頷くのと同時に、彼は私の隣に座り込む。どうして私を助けてくれたのかと問うと、声が聞こえたからだと答えた。


「神様っていうのはね。何も無いところから何か新しいものを創り出すことができるんだ。だけど、そんなの人間には無理だ。人間は、神様にはなれない。空も湖もね、偽物なんだよ。誰も神様になんて、なれやしないんだ」


 淡々と呟く彼の言葉は、私にはまだ難しくって、ただただ、伏せられた睫毛の長さだとか、さらり、と風に揺れる金色の髪だとか、青い花園に囲まれた彼の美しさを見ていた。


「だから、僕はかみさまなんだ。在るものを変化させて、別のものにすることは、他の人よりも得意だったんだ」


 幼い私はちょっとした平仮名が読めるくらいで、彼の言う「神様」と「かみさま」の違いはわからない筈だった。しかも、音声だけで平仮名と漢字の違いなんて区別できない。けれども、この2つは確実に違うものなのだと、私は直感で理解した。


「じゃあ、かみさまは、何を創るのが得意だったの?」

「何、かぁ……」


 私の質問に、彼はくすり、と微笑むと、目を上げて、近くの青い花に手を伸ばす。


「毒は溜まるんだ。静かに、穏やかに。花はいつまでも咲いていることはできない。いずれは枯れて、ほんの少しの毒入りの種を残す。その種が芽を出して、花が咲いて、また種になる。それを繰り返すとあら不思議」


「それは猛毒になる」


 そう言って、彼は笑うのをやめた。表情を失った彼は何故か酷く人間臭くて、やはり彼は神様ではないのだと思った。

 何処からか、鉄の臭いが漂ってくる。それが何であったのか理解したのは、全てが終わった後だった。


「ごめんね」


 心から申し訳なさそうに、彼は私に頭を下げる。私には何のことかわからなかったけれど、とりあえず、何か謝らなければいけないことを彼がしたのだ、と思った。


「じゃあ、私はありがとう!」


 元気よくそう叫ぶと、彼はきょとん、とした目をしていた。青い瞳に、笑顔の私が映っている。


「私を助けてくれて、ありがとう!」


 しばらく彼は呆然としていたけれど、私がもう一度叫ぶと、一気に破顔した。妙に人間らしくて、太陽のような笑顔だった。


「そういえば君、なんて名前なの?」


 ひとしきり笑った後、彼は再び三日月の形に唇を歪めて、私に問うた。


「みずきだよ」

「……そっか」


 彼は少し目を見開いて、ふっ、と目を伏せると、私の頭を撫でた。


「じゃあみずき。君だけは覚えていて。僕という人間が、こうやって生きていたことを」


 微笑む彼の姿は、さみしげで、儚げで、美しくって、その後何度も夢に見た。






 気がつくと私は教会の外にいて、一帯が燃えていた。私はすぐに婦警さんに保護され、パトカーの中でその様を見守ることになった。

 消防車が来て、必死に火を鎮めようとしていたけれど、一向に火はおさまらず、一晩燃え続けて、突然ふっ、と消えたかと思うと、教会も何もかもがボロボロで、青い花は全て灰になっていた。

 朽ちた教会の中には夥しい数の死体が転がっていたらしい。ニュースでは、火災による事故として処理されていたけれど、私は違うと知っている。彼らは、炎に包まれるよりも前に既に死んでいたのだ。

 あれから成長した私は、彼の言っていた言葉を大体理解できるようになっていて、彼があの場にいた人々を殺したのだと推測していた。

 報道は規制がかかったのか一切されなかったけれど、あの宗教組織では何らかの研究が成されていて、彼はその中心近くにいた人物なのだと思う。庭中に咲き誇っていた青い花がその研究材料で、私に飲ませたものは、研究の産物だったのだろう。猛毒、というのもそうだったのに違いない。

 何故、彼は私を救ってくれたのだろう。他の人たちは殺したのに。

 私の心臓と肺は、その後全く不具合を起こすことなく、体は頑丈になり、今もこうやって生き続けている。あのとき彼にお礼を言ったけれど、あの花の効能だったのだろうか。今では真実を知る術はない。青い花はもう、燃えてしまった。

 そして私にとって、彼は私の両親を殺した人間だ。恨み、憎むのは当然で。

 けれども、あのときの彼のさみしげな笑みと「ごめんね」と囁く声が、いつまでもいつまでも、忘れられないのだ。そうして私はいつも、彼を憎むことに失敗し続けている。

 そういえば、当時あの場所にいたはずの人の人数と発見された死体の数が合わなかったらしい。それを知ったとき、私は少し、期待してしまった。

 今でも時々、夢に見る。薔薇に、チューリップに、桜に、菫に似た青い花に囲まれて微笑む、彼の姿を。

 私は、その青い楽園の中で、どうかそのさみしいかみさまがひとりぼっちではありませんように、と願い続けて止まないのだ。



 空も湖も、それらは本物の青ではないのかもしれないけれど。

 あの日出逢った彼の瞳は、それらと同じようにうつくしかった。

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さみしいかみさま 小夜 鳴子 @asayorumeiko

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