第4話 「けだもの」と「ちび」

 錠前師は、鐘つき塔の階段をぐるぐると上っていった。とにかく黒いけだものの目の届く場所に行かないことにははじまらない。

 鳥籠と、道具箱と、荷物は軽くない。

「おーい」

 鐘のあるてっぺんまで来た。この真上に黒いけだものはいる。

 しかし、なかなか起きないようだ。

「おーい」

 五度目に呼んだとき、のそり、のそり、と、重たいものが這ってゆく音がして、

「なんだ、ちびか」

 塔の上からこの窓を逆さまに覗きこむ、黒いけだものの金色の目が光った。

「そろそろ散歩は終わりにしないか。迎えに来たんだ」

「もうそんな時間か」

 日暮れも近く、空は桃色なのである。

 けだものが身体をゆすると、塔の上ですこし小さくなった。

 小さくなって、少々身軽になり、ひょい、と、錠前師の前に降り立った。

「親父が世話になったね」

「今年の土産はあるかい、ちび」

 舌なめずりするその様子は、今から錠前師をぺろりと平らげようとしているように見えた。よだれで牙がぎらぎらとしていた。

「お前さん、鳥籠の鍵が盗まれたのは知っていたかい。ぶっそうだから仮の鍵をつけておいたけれども」

「そうらしいね。

 でも、あれは、面白くもないただの鍵だったからね。あろうがなかろうが、知らないよ」

「でも、新しい鍵は要るだろう。

 こんなのはどうだい」

 道具箱を開けて、錠前師はひとつ取り出した。

「ほう」

 けだものは、金色の目をまるくして見つめる。

 新しい鍵。

 丸い形の南京錠で、小鍵は三つ葉のかたち。ぴかぴかした真鍮製で、これだけならなんでもない。

「これだけと思われちゃあ困るんだ」

 錠前師は南京錠をかちり、と小鍵で開けて見せる。

 すると、澄んだ音がチリリと鳴り、このあたりに住む誰もが覚えのある曲をうたいはじめた。

「これは、親父さんがいつも歌っている鼻唄じゃないか」

 けだものは、ふふん、と、いっしょに鼻を鳴らした。

「どうかね、これは」

「なかなか気が利いている。ちびは、ほんとうにからくりをよく勉強したんだね」

 そうしてその新しい鍵を、自分の住まいの扉に付けて、仮の鍵は錠前師に渡した。

「では、親父さんを呼んで来るよ。

 またなにか、こしらえてくれよ」

 鳥籠の中にするり、と帰っていくと、

「よう、見事お眼鏡にかなったな」

 じきに、上機嫌の年寄りがひょっこりあらわれた。

「親父」

「さあ帰るぞ」

「……発つつもりだったんだがなあ」

 もう一晩、またもう一晩と引き留められそうな雰囲気だ。

「あれ、それより、親父、」

 もうひとり、飛び出てくるはずの人物がいたはずだ、と、錠前師は思った。

「はっはっはっ」

 名人はカラカラと笑い、こう言った。

「もう少し、薄暗くないと都合が悪かろうよ」


 花火を景気よく打ち上げて、サーカスも終幕となるところだった。

 日が暮れて、面を着けていた小さいお客たちが、ご利益がもらえると喜んで次々に面を外し、空に放り投げた。面をつけるのは愉快だが、一日、ものを食べるときのほか――その時だけは外してよい決まりだった――ずっと窮屈だった。

「ありゃ、おとうちゃん」

 玉乗りが綿菓子をなめながら団長に、鐘つき塔を指して言った。

「あれ、いなくなっちゃったよ。どうしたんだろう」

 黒いけだものがいたはずなのだが。頭は獅子で、鹿の角を生やし、身体は熊。両手両足は虎で、尾は蛇の。

「おとうちゃん、あれ、買い取るはずだったんでしょう。次はもっと大きい町に行くんだからさ、火吹きと玉乗り、綱渡りと道化師だけじゃ、目玉が足りないって」

「ちぇ、坊主の口約束なんか当てにならねえもんだな」

「どこから取ってきたんだかわからない燭台を売ってたり、とにかく金を積んだら目の色変える、生臭坊主じゃ、当てにならなくてもしょうがないんじゃないの」

 玉乗りは子供たちが走っていくのを追いかけた。お見送りのご挨拶で忙しいのだ。


   **


 数日後。

 魔女の店にはいつものように、婦人が入れ替わり立ち代わり、うわさ話に興じて茶を飲み帰ってゆく。

「おや」

 教会の小坊主が、そっと頭を下げて入って来た。

「どうしたね」

「こちらを」

 教会の裏庭に落ちていたのだという。

 盗まれたはずの鍵だった。

「祭までに間に合えば、いろんな手を煩わせなくて済んだのにねえ。まあ、済まないことでした」

「いいえ。でも、新しい鍵ができて、けだものも気に入っているということですから、終わりよければ、ですよ。

 あの祭りの日はどうもおかしくて。

 鍵がこの通りで昼間から黒いけだものが現われましたし、陽が落ちてからは……師が、ここだけの話、下ばき一枚で裏庭を走っていたという話がありまして」

「下ばき」

 魔女がいぶかると、

「どうしたんでしょうねえ」

 小坊主もいぶかる。彼は、かの出世頭が鳥籠に吸い込まれてから後の話を知らない。

「まあ、一服していきなさい」

 魔女は湯の加減を見て、茶の目方を量りはじめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鳥籠には鍵がある 倉沢トモエ @kisaragi_01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画