第3話「dinner」


「レジー、来週からしばらくいないの? 仕事?」


 土曜日の朝。仕事は休みだったけど、僕はいつものルーティン通り、ルーカスのフードドラックで朝食を取っていた。もちろんいつものベンチには今日も可愛いリベカがいる。リベカは半分に切ったツナメルトを食べながら、さらに問うた。


「いつまで仕事なの?」


「多分だけど金曜日までかな。変則シフトだから、朝はここに来られないかも知れない」


「そうなんだ……。レジーの仕事がどんなのか知らないけど、気をつけてね。それにね、私も来週は、ここに来れないかも知れないんだ」


「リベカも仕事?」


「うん。私も仕事。嫌いだけど、生きていくには仕事しないとね」


 リベカは薄く笑った。それは何かを諦めたようにも見える笑みで。少しだけ、僕はその顔を見て寂しくなる。どうしてここにリベカはいるのだろう。この危険な街で、どんな仕事をしているのだろう。

 聞きたい。でも聞けない。この街ではそれが不文律。簡単に、他人に干渉してはならないのだ。


 ──でも僕は。故郷から遠く離れたこの地で会えたこの子のことを、もっと深く知りたいと思った。自分のことは極力話さない、ミステリアスなリベカ。だからこそもっと近づきたい。本当のリベカと仲良くなりたい。言わば本当の意味で「はじめまして」をしたかった。僕と彼女の物語は、そういう意味ではまだ始まってもいないのだから。


「あのさ、リベカ。この仕事が終わったらさ。今度は朝メシじゃなくて、ディナーでもしない? 僕、この街はわりと長いから。いろんな美味い店を知ってるんだ。僕はもっと、リベカのことを知りたいって思ってる」


 それは勇気のいるセリフだった。当たり障りのない会話をやめて、一歩踏み込んだセリフだったから。

 リベカはどう出るだろう。やんわりと断るだろうか。これ以上はやめた方がいいと、ストップを掛けてくるだろうか。

 それならそれでいい。僕は、やった後の後悔とやらなかった時の後悔なら、絶対に前者を取る。結果が同じでも、自分で納得できるから。

 納得は全てに優先する。これは誰のセリフだったか忘れてしまったけれど、僕はそれを正しいと思う。いつ死ぬかわからないこの街で、「あの時やっておけばよかった」と思いながら死にたくない。人はいつ死ぬかわからないからこそ、後悔を抱えたくなかった。


「──どうかな。迷惑じゃなければだけど」


 継いだ僕のセリフを受けたリベカは。少しだけ言葉を止めた後、微笑みながら頷いてくれた。


「嬉しい。すごく楽しみだよ。私も、レジーのことをもっと知りたかったから」


「僕の仕事はきっと金曜日には終わる。だから土曜の夜7時に、ここで待ち合わせ。それでいいかな、リベカ」


「うん、約束。それじゃあ指切りしよう? ちょっと子供っぽいけどさ」


 僕たちは小指を絡め合う。子供の頃にはよくしたけれど、大人になってからはやった記憶がない「Pinky swear指切り」。

 指が離れると、リベカは嬉しそうにまた笑った。


「本当に、楽しみにしてるからね。レジー」


「僕も楽しみだよ」


「あぁそうだ、忘れないように書いておかなきゃ」


 リベカはそう言うと、胸に差していたペンを取り出した。そしてそのまま、左手に文字を書いていく。


「この前も言ったけどさ。私、すぐに色々忘れちゃうんだ。だから大事なことはこうして左手に書いておくの。シャワーを浴びたりして薄れてきたら、また書き直すの。そしたらきっと忘れないじゃない?」


 クスリと小さく笑うリベカ。僕はその笑顔を見て思う。この約束だけは、何があっても忘れられる訳がないと。




   ──────────────





 ──そして、金曜日の午後6時が来た。

 月曜から始まった護衛任務は、あっけないほど何も起こらずに時間が過ぎていった。本当にこの護衛対象は、方々から恨みを買っているのだろうか。そう思えるほど不気味なくらいに凪いでいる。

 だけど決して短くはない経験からわかる。こういう局面が一番危ないのだと。だから何かが起こるという前提で仕事をこなさなければならない。


 今日の僕の仕事は、対象の演説会場を見下ろせる建物からの索敵、及び敵の無力化。スナイパーライフルの技術に長けている僕がこの役に選ばれるのは、必然のことだった。

 耳につけたヘッドセットに、ライアンからの無線通信が入る。


「──レジー、そっちはどうだ? 不審人物の影は?」


「今のところ否定ネガティヴだよ、ライアン。とりあえずこの建物から敵らしい存在の影は見えない。そっちは?」


「こっちもネガティヴだ。対象の近辺はきっちり護る。レジー、お前はオレたちの目だからよォ。敵影が見えたら即座に報告してくれよ、頼んだぜ」


「了解」


 短く言った後で、僕はライフルを構え直した。この演説が無事に終わり、護衛対象の拠点に搬送すれば任務は終わり。報酬を貰えば、しばらくバカンスでも楽しもうか。隣にリベカがいてくれれば、もちろん最高なんだけどな。


 リベカのことがふいに頭をよぎって、少しだけ集中が切れる。あぁダメだ、もっと集中しないと。まもなく演説が始まる。この時間が一番危険だ。

 眼下にはその演説を聞こうとする聴衆の群れが、対象の登場を今か今かと待っている。その中に対象の命を狙う敵が紛れていてもおかしくない。それに敵は聴衆の中だけとは限らない。別の建物に、僕のようにライフルを構えている敵もいるかも知れない。

 僕は可変スコープの倍率を落とし、周囲の建物を検索する。


 ──その時だった。僕が陣取る建物から300メートルほど離れた別の建物の屋上。そこに、伏せ撃ちプローンでライフルを構える敵影を認めたのは。ボロ布を被っていて全体は見えない。だけど先から出ている鋼鉄の筒は、間違いなくスナイパーライフルの消音器サプレッサだ。


 即座にスコープの倍率を上げる。僕がいる建物よりは低い場所。でもあの建物に僕の仲間は配置されていない。そこから護衛対象までの距離は約700メートル。腕が良ければ充分に狙える距離だ。つまりここで敵を無力化しないと、対象が撃たれる危険性がある。

 僕の仲間の多くは、対象から程近くに配置されている。今、あの敵を無力化できるのはライフルを持つ僕だけだ。


「──ライアン、お前から見て11時方向、距離700メートル。4階建の建物の屋上、スナイパーがいる」


「なんだと? そこにウチの仲間はいねぇじゃねーか」


「対象に連絡を。しばらく出てくるな。きっと腕のあるヤツだ、700メートルのスナイプにトライするつもりだぞ」


 ──僕から敵までは約300メートル。スナイパーにとって、あくびの出るくらい近い距離だ。僕はスコープを最大倍率まで上げる。今回の任務にはオーバースペックかと思うほどの重い高倍率スコープだけど、積んでいて正解だった。50倍に拡大された鮮明な像が目の前に映る。

 敵は1人、観測手スポッターはいない。あそこから700メートルの狙撃を単独で試みるとは、よほど腕に覚えのあるヤツなのだろう。

 被ったボロ布から頭だけが出てくる。顔の左側を僕に晒しているけど、黒いバラクラバ目出し帽を被っていて顔貌までは見えない。

 だけど雰囲気から感じる。コイツは歴戦のスナイパーだ。きっと金で雇われた殺し屋。その証左に、照準エイムに無駄が一切感じられなかった。


 ここでやらないと、ヤツは絶対に当ててくる。ヘッドショットを狙っている。不思議とそう思えた。それくらいの凄味を、その相手から感じたのだ。

 僕はゆっくりと、ライフルの安全装置セーフティを解除する。自分もプローンポジションに構え、銃口を敵へと向けた。

 スコープを覗き、敵の左のこめかみにエイムを合わせる。風は左から微風。僅かにスコープのレティクルを左にずらす。


「ライアン、こっちで処理する。僕がいいと言うまで対象を会場に出すなよ」


 トリガーにゆっくりと力を込めていく。焦ってはダメだ。万力のようにゆっくりと確実に、絞るようにトリガーを引いていく。



 ──あと数ミリで撃針が落ちると感じた、その時だ。僕がそれに気がついたのは。

 最大倍率にした50倍のスコープ。肉眼で6メートル先を見るのと同じ距離。捉えた敵が銃を保持していたその左手。グローブもしていない素手の甲。そこに何かが書かれている。


「そん、な……」


 思わず声が漏れ出る。僕の動揺が、銃を伝ってエイムを狂わせる。

 揺れるスコープに映し出された、左手のその文字。



 Dinner with Reginald.

 Saturday, 7pm.



 ──ウソだ。こんなこと、あるハズがない。あっていいワケがない。こんなところで。こんな時に。

 本当の彼女と、会うことになるなんて。


 砂塵の混じった風が吹き抜ける、建物と建物の間。相対距離は約300メートル。


 それが僕とリベカの、はじめましての距離。




【終】



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はじめましての距離 薮坂 @yabusaka

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