破滅を望む氷の女王は最近料理にご執心のようです
折原ひつじ
第1話 誰も食べてはならぬ
参ったなあ、とアレンは心の中で何度目かのつぶやきを漏らした。
両手が空いていれば頭でも抱えるところだったが、あいにく手首はきつく縄で縛られているものだからそれは叶わない。小説か何かで見たことのある場面だが、まさか自分がそれに巻き込まれるだなんて。
どうしてこんなことになったのだろう、というところまで考えてアレンはいやいやと頭を振る。理由は明白である。しがない一介の下町の料理人であるアレンが王室の私有地に不敬にも足を踏み入れたからである。
ため息を吐いたタイミングで、自分を監視していた兵士のもとにもう一人兵士がやってきてなにやら耳打ちをした。そして彼らはアレンに向き直ると重々しく口を開く。
「女王陛下がお前にお目通りを許すそうだ。くれぐれも粗相のないように」
そうして連れられた先は、女王陛下が鎮座する玉座の間だった。ゲームや漫画で見たことのあるその光景に、アレンは知らず知らずのうちに感嘆の声を漏らした。
もちろん、この世界に漫画やゲームなんてものは無い。それがあるのはアレンが元居た世界である。
中世ヨーロッパをベースとした、しかし衛生環境の整ったここはアレンにとってまごうことなき「異世界」だった。
ある日いきなりこの世界に飛ばされたアレンは持ち前の料理の腕を生かして料理人として生計を立てていたのだが、そのための食材探しをしていたことがあだになってしまったのだ。
もう一度ため息を吐けば、不意に上から声が降ってくる。
「顔を上げよ」
その声に導かれるように顔を上げた先に待っていたのは、雪のように肌の白い女の姿だった。ブロンドの髪に水色の瞳、ほっそりとした小柄でたおやかな姿は女性というよりは少女に近いだろう。
この人が、エリザベータ女王。
肖像画で見たことはあった。年に一度の新年の儀では国民の前に姿を現すらしいが、未だにアレンはその経験がなかった。なので実際に見るのは初めてである。
美しいけれど、その表情はどこかかたくなで人を寄せ付けない雰囲気があった。氷の女王の名は伊達じゃないらしい。
「アレン、そなたは高名な料理人らしいな」
「ありがとうございます」
鈴の鳴るような声がアレンの名前を呼ぶ。高名かどうかはわからないが、自分の店に来た客は誰も彼も笑顔で帰っていくという自信はあった。なので素直に礼を言えば、彼女の瞳が細められる。
「ではそなたに命令を下そう。今から何か一つ料理を用意してみせよ。そうすれば罪は許してやる」
それは思ってもみない提案だった。
下町の料理人である自分が女王陛下に料理をふるまうなんて思ってもみない機会である。口に合わなければ首をはねられる可能性もあったが、ここで断るのもこわい。なので結局アレンはおとなしくうなずいたのだった。
「城の設備は自由に使って良いぞ」
しかし今からとなると手間のかかった料理はとても作れないだろう。少し悩んだ末にアレンは一つのレシピを思い付いたのだった。
そうしてアレンが用意したのは、ベーコンにたまねぎ、ニンニクのシンプルな食材だった。そこに大ぶりの真っ赤なトマトを加えて作るのはトマトスープである。
ニンニクと玉ねぎを丁寧にみじん切りにして鍋に放り込む。細く切ったベーコンも同様に入れて、それらをオリーブオイルでいためてやればキッチンに肉の焼けるいいにおいが立ち込めた。
しんなりとするまで炒めて塩で味付けをすれば具はこれでできあがりだ。そこに乱切りにしたトマトを放り込み、水を流しいれる。そうして火を入れれば、少しずつトマトがぐずぐずと熱でとろけていった。
アクが出たあたりで火からおろして、アクを取り除いてやる。そうして少々の砂糖をとかしこめばこれで完成だ。
できたのは真っ赤で食欲をそそるトマトスープである。
それを真っ白で上品な食器に丁寧によそって、お盆ごと控えていた従者に手渡してやれば確かにそれが女王陛下のもとに運ばれていった。
女王陛下の口に合うかはわからないが、味見をした限りでは良い出来だったと思う。だからアレンは不安と期待で胸を高鳴らせながら後をついていった。
けれど彼女のもとに料理が運ばれるや否や、女王陛下は一瞬眉を寄せる。けれどすぐさま彼女はまた表情を消して淡々とした口調で語りだした。
「私は壊す以外に得意なことはないんだ。何を食べてもきっと大した反応もできないだろう。それでは料理がもったいない」
そう呟く女王のアクアマリンの瞳はどこか空虚な色を映している。美味しそうな料理を目の前にしてもなお、眉一つ動かさないほど彼女の瞳は凪いでいた。
彼女には食事に対する楽しみや期待がこれっぽっちもないのだ。
「だから、食べさせるのは私ではなくシェフに食べさせてやってくれ。きっと勉強になるだろう」
その言葉がアレンの料理人としてのプライドを逆なでする。
もうどうなってもいい。
たとえ不敬であると断罪されようが、自分は今あの女王に一言「美味い」と言わせたい。料理で笑顔を作って見せたい。
そんな欲望がアレンの中で首をもたげて、気づけば彼は口を開いていた。
「僭越ながら、こちらは女王陛下のための一品です。ですから一口でも女王自らがお召し上がりを」
「まさか毒でも入ってるんじゃないだろうな」
側近の一人の言葉に周りの兵士が腰の剣を構える。それを止めたのは他でもない女王本人だった。
「良い。罪人とは言え相手は国民だ。刃を向けるべきではないだろう」
そうして空っぽの瞳をアレンに向けると、無表情のまま彼女は呟いた。
「そなたの願いをかなえよう。私にふるまうことを許す」
そうしてテーブルに置かれたスープの前に腰掛け、ついに女王がトマトスープをスプーンですくう。
そしてスープを一さじ、すっと吸って女王は「あ」とかすかな声をあげた。
「女王陛下?」
そうしてしばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開く。その声は僅かに震えていた。
「これは、誰も食べてはならぬ」
まさか本当に毒が、とざわつく城内の様子なんて気にも留めず、女王はまた一口、その小さな口にトマトスープを運ぶ。彼女の薄い唇が赤く染まって、口紅を引いたようだった。
そうして小さなスープボウルを空にした後、女王はまっすぐにアレンを見つめて小さな声で囁く。そのかんばせには僅かに笑みさえ浮かんでいた。
そうしていると年頃の女性らしく、可愛らしささえ感じられてアレンは相手が女王であるにもかかわらずどきりと胸をはねさせてしまう。
落ち着け、相手は女王陛下だ。
「そなたが高名な料理人であるということはよくわかった。褒美を与えよう」
その言葉にアレンは小さく安堵の息を漏らした。良かった、首をはねられることはなさそうだ。
「死ぬまで私の傍でその腕を振るうことを許す」
死ぬまで。
その言葉の重みに一斉に場が凍り付く。従者も兵士も思いもよらなかったようで先ほどよりも大きなざわめきが城内に広がっていった。
いや、オレには下町に残した店が、と口にしようとした瞬間、女王は手にしていた扇をわずかに上へとひらめかせる。
そうすれば周りを取り囲んでいた兵士が一斉に腰に下げていた剣をアレンへと向けた。
「私はこんなにも美味しい料理は初めて食べた」
そしてうっそりと表情で囁く彼女の表情の蠱惑的なこと。こんな状況でなければ見とれていたかもしれない。
「これは、わたしのものだ」
どうやら拒否権は無いようだ。
そのことを感じ取って、アレンはため息の代わりに返事を口にする。
「…………有難き幸せです」
こうして転生者アレンの異世界城仕え生活が幕を開けたのだった。
破滅を望む氷の女王は最近料理にご執心のようです 折原ひつじ @sanonotigami
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