第33話 ガレス領の守護者
クロとヨゼフが向かった先は、とても静かな町だった。良い意味でよそ者への関心が薄く、穏やかに暮らしていることが分かる。そのため、2mを超える長身のヨゼフであってもそれほど目立つことなく歩き回れた。
ガレスが治めていた地域はかなり広い。ほとんど辺境と言ってもいい田舎ですらこれだけの平和を実現している。ガレスの名君ぶりが分かるというものだ。ガレスが民衆から身を隠してからそう時間が経っていないこともあるのか、まだ平和は保たれている。これがいつ崩れ始めるのか。クロはそう遠くないと確信している。しかしいささか平和が過ぎる気がしないでもなかった。
「なかなか良い町だな」
ヨゼフがポツリと呟く。
その呟きを耳にしたクロはあえて聞き流した。普段のヨゼフの声量はでかい。それなのに呟くように言ったということは、おそらく独り言だろうと推察したのだ。それに、今のは何かを知っている口振りにも聞こえた。そのため今は触れないでおくことにした。
クロとヨゼフは白いローブに身を包み、一見して誰か分からないようにしていた。旅人などがよくしている格好であるため、お忍びの行動にはうってつけであった。
「食いたいものはあるか?」
「何でもだ!」
「何でもか」
「人間の食い物など知らんからな。お前が決めろ」
相変わらず態度もでかい。
しかし思ったよりも大人しく従って行動してくれている。
ヨゼフの行動原理はわりとシンプルだった。そしてそれは、アカとクロのそれとも酷似していた。
食。
ヨゼフは食べることを非常に楽しみにしている。
長い間娯楽も何もない山で過ごしてきた弊害か、それとも元々の性質か。とにかく食べることを、文字通りエサにすればそこそこ
「ここは羊が美味い町だ。羊を食いに行く」
「羊か! あれは好きだ! 昔ガレスが持ってきたことがあってな!」
ザワッと周囲の視線が集まった。
ヨゼフが「ガレス」という言葉を発した瞬間だった。
「ヨゼフ。これからしばらく『ガレス』という名前は口にするな。出来ないなら羊は無しだ」
「なにぃ! むぅ……」
ヨゼフは渋々その忠告を受け入れる。ヨゼフにとって2番目にストレスなのは指図されることだった。しかし1番目にストレスなのは食事が出来ないことなので、それを上手く組み合わせれば言うことを聞かせることができるのわけだ。
町中をしばらく歩いたあと、2人は町外れにあったレストランに入った。
かなり年期が入っていたが、店はそこそこ混んでいた。こういうところは美味い。
クロは適当に『羊肉のソテー』と『羊肉とジャガイモのスープ』を12人前注文した。10人前はヨゼフが、2人前はクロが食べる。注文を受けた店員は驚いて何度も確認してきたが、クロはそれで合っていると何度も
ほどなくして料理が運ばれてくると、ヨゼフは一も二もなくガツガツと食べ始めた。
「本当によく食うな。それだけ食う奴を見るのはアカ以来だ」
「アカか。あいつの料理はなかなかだったな!」
『アカもそんなに食べるのか』と驚くこともない。自分が大食いだという自覚も無いのだろう。『自分が全て』そういう世界で生きてきただろうヨゼフに《普通》や《世間》といった感覚はないのかもしれない。
「俺とアカの料理はどっちがうまかった?」
単純で、純粋な問いだった。幾度となく料理勝負をして客を相手にしてきたが、どちらの腕が明確に上であるかは未だ決着つかずだった。だからこうしてたまに第三者に聞いてみている。
「お前の料理もなかなかだったな。まあ同じじゃないか?」
食べる手を休めること無くヨゼフは言った。
ろくに考えてなさそうな答えだったがクロにはそれでよかった。ヨゼフに正確無比な答えは求めていない。
「しばらくアカの料理は食えないぞ」
「む? それは困るな」
「早く食いたいならしっかり働いてくれ。仕事が全て終われば、合流できる」
「それなら早くその仕事とやらを終わらせるぞ」
「なるべく早くはやるつもりだが順序がある。まずは飯を食っててくれ」
そう言ってクロは立ち上がった。
「どこかに行くのか?」
「ああ、だが俺1人でいい。30分後に迎えに来る」
自分用に注文した2人前もヨゼフに食べていいと言い残し、クロはレストランを後にした。
この町は平和だ。それ自体は何も悪いことではない。問題なのは平和過ぎることだった。ガレスというこの国の王であり中心であり支柱が無くなったというのに、辺境にあるこの町ですら驚くほど平和なのだ。
それは不自然極まりない。竜界にも隣国にも近いこの町がガレス不在の影響を受けないはずが無いのだ。それなのにそれを感じさせない平穏がある。クロはそこに人為的な何かを感じ取っていた。
そして疑問を感じたなら行動して確かめるのがクロだ。いつもやっていることである。
第7翼であるガレスの領地は広い。土地も資源も人もある。つまり狙いどころが多いということだ。ガレスを
つまり、誰かが瀬戸際で食い止めている可能性が高い。そしてそれをできる人物となると、それなりの強者であるはず。いったい何者なのか──
向かった先は建物と建物の間の狭い路地だった。路地に入るとクロはローブを脱ぎ捨てる。町の中心から少し外れていて閑散としているため人に見られることも無いだろう──すでに目を付けていた者以外には──。
「止まれ」
建物の影となっている暗闇から声がする。
ここにはクロしかいない。クロに対する静止の命令だ。
「何をしに来た? 知らない気配だな。どこから来た?」
矢継ぎ早に投げかけられる質問にクロは答える。
「そうか……。助力をしに。はじめまして、いや二度目かな。所属してるわけじゃないが第11翼の関係者だ」
クロは安堵する。目の前にいる、ガレス領を密かに守る者。その正体には覚えがあった。この時点でクロは全面の信頼をその者によせた。
反対に『二度目』という言葉に覚えのない声の主は眉をひそめる。
「……証拠は出せるのか?」
「証拠はない。信頼してももらうしかない。なんなら血の契約を結んでもいい」
声の主は黙った。
数秒の沈黙──。
そして
クロはそれを片手で受け止める。
受け流された衝撃が建物に伝わり、巨大な亀裂が壁に刻まれた。
すぐに距離をとり再び声をかけてくる。
「分からないな。本当に第11翼から助力に来たのか?」
何故。
声の主は考える。今の手刀を止められる者はこの世界に数えるほどしかいない。敵であるならば間違いなく脅威となる。しかし味方に引き込めるならそれは──それは復興への大きな助けになる。
この侵入者に戦う気がないのは先の交戦で感じ取っている。消すなら今だ。だが消すには惜しい。
そう考えているとクロが口を開いた。
「ガレスに聞いたことはないか? 竜界にいた2人の話を」
その言葉に声の主は衝撃を受ける。
「お前……なぜそれを!?」
「その内の1人が俺だ。助力を申し出るには十分な証拠になりそうか?」
ガレスもさすがに側近には話していたようだ。目の前の男がこの話を知らなかったならば、少し遠回りをしなければならなかっただろう。
目の前の男は頭の中で点を繋げていく。
ガレスが死んだあの日のことを。あの日感じた2人の気配を。そしてガレスの言葉を。
頃合いを見てクロはこの町に来て初めて竜威を解放する。
「そうか……お前は、あの時の……」
目の前の男の中で全てが繋がった。クロの竜威には覚えがあった。
「……名前は?」
「クロだ」
「そうか。やはりそうなのか……。無礼を働いてすまない」
目の前の男は態度を変えた。急に牙が抜け、泣きたくなるのを我慢しているような、そんな弱々しさすら滲み出ている。
「構わない。この町を、いやこの国を守っていたんだろう? ガレスの代わりに。警戒するのは当然だ」
クロもこの男の事情をすでに察している。
「あなたの事は、ほんの少ししか知らされていない。ガレス様の遺言として。クロ様とアカ様、お2人が最後まで助けようとしてくれたこと。そして、また力になってくれるだろうということ。──それが、今日というわけか」
「ああそうだ」
目の前の男は遠くを見据えるように目を細めた後、片膝を着いて
「第7翼所属『
「もちろん最初からそのつもりだ。顔を上げてくれ」
そう言ってクロはヒルベルトに手を差し出した。ヒルベルトがその手を掴むと強引に引っ張り立たせる。
「これからここを立て直すに当たって俺は対等なビジネスパートナーとして協力する。打算は無い。第7翼陣営は重要な立ち位置にある。ここが崩れると世界にとっても俺たちにとっても大損害だ。世界が安定していてこそ俺たちは生きたいように生きられる。だから全力で復興に協力すると誓おう。よろしく頼む」
「こちらこそ。よろしくお願いいたします」
2人はしかと握手を交わした。
「さっそくだが第7翼の現状と諸問題への対策を聞かせてくれ。ざっくりでいい。それともう1人紹介したい奴がいる。着いてきてくれ」
ヒルベルトに現状説明をしてもらいつつ、クロは先ほどの店へとヒルベルトを案内する。クロの計算ではまだヨゼフは食事中のはずだ。
クロとヨゼフがまとっていたローブは少し特殊で、竜威をかなりの精度で隠すことができるものだった。そのため、クロとヨゼフがこの町に足を踏み入れたのにヒルベルトはすぐに気付けなかったのだ。
クロはローブを脱いで竜威をわざと漏らしたが、ヨゼフはそのまま着ているはずだ。ヒルベルトはまだヨゼフの存在を認識していないだろう。
こちらの戦力を惜しみ無く差し出すことでクロはさらに信頼を得ることになる──はずだった。
「……い、いない」
店の中に残っていたのは、盛大に食い散らかされて散乱している皿たちだけだった。
竜の食べ方さばき方 ─ドラゴン倒して作って食べる─ 酢味噌屋きつね @konkon-kon
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