手のひらとゴール

大臣

 

 ラジオのノイズと、心臓の鼓動は似ていると、窓辺で目当ての放送を待ちながらふと思った。意識すればそこにあって、普段は気にも留めない。そんなことを思ったのは、今日、自分が最初にして最後の悩み相談をお便りとして投稿したからだろうか。

 十九時。ジジッと、ノイズが乱れて、穏やかなBGMが流れ始める。そこでふと、首を傾げる。いつもならこれは軽快なBGMのはずだ。

『リョウの星空ラジオにようこそ! 常連さんならこのBGMが流れた意味をわかってくれるかな?』

 小さく首を横に振る。ラジオそのものはよく聞いていたが、この番組は二週間くらい前から聴き始めたのでわからない。

 そんな新参者なのにここを頼ったのは、この番組に流れる空気感がそうさせたのだろうか。普段のラジオからも、この番組は優しい空気が流れていたから。

『そう、このBGMは俺の気まぐれが発動した時に流れるやつだな。前にも二、三回あったけど、知らない人の方が多いと思う』

 窓辺から見える電波塔を見る。そこに彼の姿がある訳でもないけれど、何か真意がわかるかもしれないと思ったのかもしれない。彼は一体、気まぐれで何をするつもりなのだ。

『どうしてか知らんが、この番組はたまに悩み相談が持ち込まれる』

 そう言われて身構える。まさか最初に持ってこられるとは思っていなかった。

『今、俺を手伝ってるスタッフも何年か前の悩み相談の縁でここにいるやつだし、特にそういうことを生業にしてた訳でもないのにな』

 ラジオから苦笑が聞こえる。確かにそういうコーナーがある訳でもないから、そう言われると少し申し訳ない。

 それでも、と、息を吸った後にラジオからしっかりとした声が聞こえる。

『それでも、聞こえちまったからにはしっかり答える。想定はしていないから、これはコーナーにはない気まぐれなのさ』

 誇る訳でも、詠い上げる訳でもなく、あくまでも普段と同じ調子で、当たり前のこととして、彼はそう言い切った。

 なんとなく、この番組に流れていた優しい雰囲気の根っこがわかった気がした。

『さ、それじゃあ始めようか。P.Nプレアデスさん』

 下の名前から引っ張り出したペンネームが読み上げられて、間違いなく自分の話なのだと理解した。

 体が少し震える。手を握りしめてこらえる。

『こんにちは。いつも楽しく拝聴しています。今回初めてお便りを書かせていただきましたのは、僕のやってしまったことについて、どうすれば良いか教えてもらいたかったからです』

 昨日、衝動的に書いた文章がそのまま読み上げられる。ああ、確かに僕は過ちを犯したのだと、自分の文章で改めて突きつけられた。

 実感したのは昨日だった。でも、もっと早くから過ち続けていたんだと思う。


 僕の幼馴染に姫宮香澄というやつがいた。長い黒髪とどこか日本人形を思わせる顔立ち。なんとなく孤高で近寄りづらい雰囲気を元から持っていた上に、小学生の段階で高校生の勉強をするという天才っぷりを発揮して、さらに近寄りづらさに拍車がかかった。

 だから、そんな天才の親と、うちの親が繋がりがあったなんて知らなかったし、結果僕らが友人関係になるなんて思っていなかった。

「あの頃のあんたはいつも頭抱えてたわね」

と、先日理由もなく小学生の頃のアルバムを引っ張り出した母親は言った。本当にそうだ。何を話せば面白いのか、そもそもこいつは同じ人類なのか。全くわからなかった。

 僕らが遊ぶ、というか話すのは図書館で、それも僕が一方的に話すのが主だ。よくわからない記号が並ぶ化学の本を香澄が読む横で、全力で中学生向けの参考書を読み、適当な一文をよむ。

「……バカみたい」

と、ある時香澄が口にして、そこからようやく僕たちの友人関係はわりと正常になった。まあ今度は、僕が持ってきた参考書について、香澄が滔々と説明するという形になったが。

 それでも質問にはしっかり答えてくれたし、教え方もわかりやすかったおかげで、僕の成績が伸びたりもした。

「友達とか、欲しくないの?」

 ある日、それなりに日が経ったあとにふと気になって聞いてみた。自分にはそんな孤高を貫く生き方は無理だと思っていたから。

 でも、香澄はきょとんと首を傾げてから、にこやかに笑った。

「あなたは友達なのだと思っていたけど、違う?」

 ほぼ初めてみた表情と発言の内容に顔が真っ赤になるのを感じた。

 いや確かにそうなのですが僕が聞きたかったのはそういうことではなく人数とか質の問題であって……。

 などと色々思ったが、全て飲み込んで顔を背けた。こんなの、反則だ。

「……うん、そうだね」

 多分、香澄を好きになったのはこの時だ。

 

 それからも僕らの関係はそこまで変わらなくて、一般的な「仲の良い幼馴染」という形で収まっていた。

 もちろん気恥ずかしさとか、もどかしさとかはあったけれど、香澄はこの手のことに無頓着だし、下手に切り出すのも墓穴を掘るようで、そのまま言い出せないまま中学生になった。

 そしてここから、香澄の立場が明らかに悪くなる。

 実力があってそのくせして群れない香澄はおそらく気に食わないと判断されたのだろう。推測系なのは一度もこのことについて聞けなかったからだ。

 なんとなくクラスの香澄への雰囲気が変わったような気はしていたけれど、香澄自身、会っても何も言わなかったから気にしていなかったのだ。

 それが一昨日になって、ついに形になって現れた。


 放課後、クラスメイト達と他愛無い話をした後にいつも通り図書館に向かおうとしていたら、いつもなら先発しているはずの香澄の鞄がまだあった。クラスメイト聞いても答えてくれないということはわかっていたのだろうか。教室を出て、彼女を探した。

 しかし、めぼしい場所にはほとんど居なくて、ここに居なければ帰ろうと思った校舎裏庭に差し掛かったころ、地面に大量の水が打ち付けられるような音がした。

「まさか……」

 この時だ。この時ようやく、空気感の変化が僕の中で像を結ぼうとしていた。

 それでも、急がなきゃという気持ちが先走って、僕はなんの覚悟もできないままに音がした方に向かった。そこで見えたものは、今でもはっきりと覚えている。

 地面にしみこもうとしている水、壁際にもたれかかって、嗤ったままこちらをむこうとしている女子。確かクラスのリーダー格だったろうか。奥の方には後ろ姿が二人分。このリーダーの取り巻きと背格好が似てる気がしたが、誰も同じように見えていた。

 そしてさらにその奥に、水に濡れた香澄がいて、力無さげにこちらを見上げようとしているのが目に見えてしまった。その目は、今まで見たことがないほど弱々しくて、揺れていた。

「っ……!」

 だというのに、僕の足はすくみ、前に進むことを許さなかった。ここから離れなければと思って、逃げ帰るように走った。


 ああ、そうだ。僕は逃げたのだ。一番逃げてはいけないところで。逃げたのだ。

『——許されるはずはない。このまま放っておくのもおかしな気がする。でも、怖くて足が出ないんです。僕は、どうすれば良いのでしょうか?』

 その便りは、僕の臆病が成した罪だった。昨日は香澄と顔を合わせられなくて学校に行けず、息苦しくて、それでも、なんとか息が出来れば良いと思ったのか、ここに便りを出したのだ。

『……君は悪くないとは、言わないさ。人間として正しい行いは間違いなくあそこで助けることだったろうからな』

 リョウはあくまでも淡々と事実をのべる。ああ、これは確かに罪だ。悪いことだ。

『でも、だからこそ、君はその幼馴染に会うべきなんじゃないかい?』

 手をさらに強く握りしめる。わかっている。それでも怖いんだ。あの目を裏切ったことが恐ろしくて、もう会えないんじゃないかと思って——。

『ああ、怖いのはわかるさ。きっと今だって、やるべきことと恐ろしさで雁字搦めになって、手を強く握ってるところなんだろ?』

 ふと、虚を突かれる。まるでこちらのことを見ているような言葉。

『でもな、プレアデス君。君の手のひらは後悔を握りしめるためには無いんだぜ? その両手は、君の握りたいものを握るためにあるんだ』

 何を言っているのかがわからない。いきなり始まる抽象的な言葉を飲み込もうと頭を回そうとする、でも、彼は言葉を止めない。

『君がそこでいじけていたら、君はその手の中に後悔しか握れないだろうさ。でも、例えばそう、今君がその幼馴染の家に走り出したなら、少なくとも何か他のものが握れるようになる可能性があるんだ』

 言葉がとまらないから、僕は深呼吸をした。ゆっくりと、飲み下すことなくそのまま飲み込む。咀嚼はせずに、彼の言葉そのままに。

『君と同じように、俺にも後悔がある。だから俺は、この両手でいつか世界を握りたいと思ってる』

 言葉の後に奇妙な沈黙。ラジオのノイズが、どこかふわふわし始めたような感覚を繋ぎ止める。きっと彼の何かを思い出しているのだろうと思って、僕は電波塔を見る。

『だからさ、君は君の握りたいものを決めていいんだ。適当に謝って済ますでも良いし、何度も通って、いつかその子と手を繋ぐのでも良い。ただ、それが決まったなら走れ』

 そこでまた一呼吸の間のノイズが入った。耳をしっかりと澄ます。

『君が走っているなら、その手の中にはいつかゴールがあるさ。望んだ通りかはわからないけどな。俺は君が望んだ未来に辿り着けるように、この小さな放送室から願っとくよ』

 そう最後に聞こえるとしばらくの間を置いて、いつものBGMが流れ始めた。そこからはいつも通りの雰囲気に戻っていて、さっきまでの気配は無かった。

「僕の、未来……」

 そう思って思い浮かぶのは、やはりあの日の香澄の笑顔で、そこに至った瞬間、僕は部屋を飛び出していた。

 靴をしっかり履くことすらわすれて、扉を開ける。夜風が耳を撫でていって、それに逆行して僕は走っていく。

 自分の心臓の鼓動が、少しずつ早まっていくのを感じ、確かに僕は未来を握りにいくのだと思った。



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