青海剣客伝 ―江戸桜日篇―

藤光

一之太刀

 ふと気づけば窓から差し込む日差しがいくぶんか傾いていた。

 すこし眠っていたのかもしれない。


 風呂屋の二階の板の間に落ちる影は、日に日に濃くなっていくように思われる。

 いましも、窓に四角く切り取られた青い空から、風にあおられた数枚の桜の花弁が吹き込んで、冷たい床に舞い降りてきた。


 春も、いまがたけなわだ。


 兵庫は、そのうちの一枚を手に取って眺めた。

 白い花弁は、小さく、可憐で、美しい。


 春なのに、斎兵庫いつきひょうごは、風呂屋の二階で煩悶はんもんを持て余していた。

 仕事前にひと風呂浴びようとする朝と、仕事終わりに汗を流して帰ろうとする夜は、人で込み合う風呂屋も、日の高いうちは人が少なく、昼過ぎ間もないこの時刻はほとんどだれもいない。まして、風呂のあと、汗がひくの待つために時間をつぶそうと二階の板間にまで上ってくる者などひとりもいない。


 ここには客の無聊ぶりょうをなぐさめるために、将棋盤や、読本よみほんなど暇つぶしの道具がいくつも置かれていおり、兵庫はいま、足元にを引き付けて眺めていた。さいころを振って出た目にしたがって駒を進め、いちばん早くを目指すという、あのすごろくだ。錦絵の刷られた美しいもので、標題に「剣術すごろく」と書かれている。


 江戸へやってきて、一年が過ぎていた。

 なにもかも国許くにもととは流儀のちがうことに戸惑っていた半年が過ぎ、江戸の水に馴染みはじめたこのごろでは、職人やお店者たなものたちにうち混じって町の風呂屋に通うことにも抵抗がなくなっていた。同僚や上役の目がある藩の下屋敷しもやしきのなかにばかりいては、息が詰まってしまう。


 ――見聞を広めるのも、役儀のひとつでござる。


 江戸での見聞を広めるためと称して、毎日、下屋敷を出てくるのだが、昼食に寿司か蕎麦を腹におさめると早々に風呂屋へしけこむのが、最近の日課となってしまっていた。


 藩からは三年の期限をもらい、江戸へ出てきていた。遊学の目的は、剣術修行のためである。決して風呂屋の二階ですごろくを振るためではない。


 兵庫は年齢二十三。代々、青海あおみ藩十二万石の剣術指南役を務める斎家の跡取りだ。あと数年もすれば、父の跡を継ぎ、剣術指南役として出仕しなければならない。この江戸遊学は、藩が兵庫の剣才を認めたことの表れだった。


 しかし、当の兵庫はといえば、


 ――わずらわしいことだ。


 わざわざ百数十里の道のりを江戸までやってきて、昼日中ひるひなかから、ひとりすごろくを眺めているのだった。


 足元のすごろくは、剣術すごろくと銘打たれている通り、その紙面にはさまざまな剣豪、剣客が描かれている。


 には、面小手を身につけた若侍が、三マス目までは侍が剣術修行に励む様子が、それぞれ描かれている。そして、その次のマスからは、いよいよ名の知られた剣術家が描かれる。


 杖術じょうじゅつの創始者、夢想権之助むそうごんのすけ

 鎖鎌くさりがまの達人、宍戸梅軒ししどばいけん

 巌流がんりゅう佐々木小次郎ささきこじろう――


といった具合である。


 有名な巌流島の決闘で、その佐々木小次郎を打ち破った二刀流、宮本武蔵みやもとむさしは、から下ること三マス目にその勇ましい姿が描かれている。


 ――意外に妥当な番付ではないか。


 剣術すごろくは、江戸っ子が好きな相撲の番付になぞらえて、歴代の剣術家を順位づけしたものをすごろくに置き換えているようで。宮本武蔵は第四位というわけだ。


 第三位は、将軍家指南役、柳生但馬守やぎゅうたじまのかみ

 第二位は、新陰流しんかげりゅうの開祖、上泉伊勢守かみいずみいせのかみ

 そして、第一位――は、幾多の達人を指南した剣聖、塚原卜伝つかはらぼくでんとなっていた。


 ――おれだったら、どこに番付されるのだろうな。


 と、すごろくを見て兵庫は考える。


 このすごろくほどではないが、江戸には綺羅星のごとく全国から腕に覚えのある剣術家が集まっていた。その中に混じってしまえば、国許では無敵と誉めそやされてきた兵庫の剣も霞むほどに。


 この一年、いくつもの道場を訪ね、稽古を重ねてわかったことがある。それは兵庫ほどの腕前があったとしても、江戸では数多いる剣術家のひとりに過ぎないということだった。


 ――このくらいになれはしまいか。


 すごろくのなかほどに、神子神典膳みこがみてんぜんが描かれている。またの名を、小野忠明といい、その流派、小野派一刀流は柳生新陰流と並ぶ将軍家指南役である。



 同じ将軍家指南役でも、番付第三位につけた柳生新陰流とは、かなり評価に開きがあるところも、似つかわしい。青海藩に剣術指南役はニ家あるが、上士を多く門弟に抱える柳井道場と比べて、兵庫が継ぐべき斎道場は明らかに格下だったからだ。


 しかし、じぶんと神子上典膳とを比べるのもおこがましいような気もする。なにしろ典膳は今に至る一流をひらいた人物だ。単なる道場の跡取り息子とはわけがちがう。


 ――一流をひらくか。


 江戸は本郷、赤城藩上屋敷かみやしきで江戸の諸道場の剣士を集めて他流試合が催されるとの噂が立ったのは、三ヶ月前のことだった。


 武芸好きの赤城藩主が、幕府の許可を得て行う上覧試合で、江戸の剣士のあいだでは、身分にとらわれず、道場主の推薦さえあればだれでも参加できる試合として話題となった。


 兵庫は通っている道場の推薦を得て、出場が決まっていた。対戦相手もすでに決まっている。


 ――玄武館道場、千葉周作ちばしゅうさく


 中西派一刀流を学んだ千葉は、その後自身の工夫を加えて「北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう」と称する流派を興し、お玉が池そばに玄武館という道場を開いた剣客である。兵庫がじっさいに目にしたわけではないが、「今武蔵」とあだ名されるその巨漢は、凄まじい剣を使うらしい。


 ――臆したか、兵庫。

 ――なんの一介の剣客ふぜいに。


 ここ数日、兵庫はこの風呂屋の二階でこの自問自答をずっと続けている。意識はただひとつ、「勝てるか」「勝つならどうやって」と。しかし、試合のことを考えると、思いが千々に乱れて収まりがつかなくなり、めぐり巡っての問いに、――「勝てるか」という問いに、戻ってしまうのだった。


 この問いがであるならば、となる答えがあってよさそうなものだが、そこへ至る道は、容易には見つかりそうもなかった。


 兵庫が見ている間に、また桜の花弁が部屋に舞い込んできて、今度はふわりと広げたすごろくの上に落ちた。落ちたのはのマスだ。


 そこは塚原卜伝のマスだった。

 塚原卜伝は、居合術の創始者、林崎甚助はやしざきじんすけをはじめ、天流の齋藤伝鬼坊さいとうでんきぼう、一羽流の師岡一羽もろおかいっぱなど一流を編み出した剣術家を多く指南し、そのなかには室町将軍・足利義輝あしかがよしてるや伊勢国司・北畠具教きたばたけとものりといった名前も含まれる、剣術家としてまさに別格の人物だ。


 卜伝も一流の開祖である。称して新当流。

 新進の北辰一刀流とは比べるべくもない古流のひとつだが、斎家累代の剣術流儀でもある。兵庫は、時と場所を超えた塚原卜伝の孫弟子といってもいいかもしれない。


 ――おれに一之太刀ひとつのたちの奥義があれば。


 玄武館の千葉など恐れはしなかったものを、とも思う。


 一之太刀とは、講談師の語りで有名になった、卜伝が体得したといわれる新当流の奥義だ。

 先年、師である父から免許を受けた際に、家に伝わるの秘伝書も受け継いだ。そこに一之太刀に関する記述がなかったため尋ねたが、そのとき父は、「そんなものはない。わが家には伝わっておらぬ」と笑って言ったものだ。


 講談師によるつくり話か。それとも、長いあいだ人づてに伝わるうちに、その奥義は失われてしまったのだろうか。江戸にならその答えがあるかもしれぬと、いくつもの新当流の道場を訪ねたが、同じ新当流の看板を掲げるだけで、その刀法は互いに似ても似つかぬものばかり、一之太刀につながる手がかりすらつかめなかった。


 ――そんなものはないのかもしれぬ。


 そのとき、また一枚の花弁が兵庫の目の前を横切って、すごろくの上に舞い落ちた。

 ふたたびに落ちたのだが、どう見ても二枚落ちたはずのそのマスに、桜の花弁は一枚しかない。不審に思ってその花弁を指でつまむと、途端にはらりと二枚に分かれた。一枚の花弁と見えたものは、じつは二枚がひとつに重なり合って一枚に見えていたのだ。


 雷に打たれたような震えが全身に走って、兵庫は立ち上がった。


 ――そうなのか!


 ひとつに見えてふたつある――。

 一之太刀の極意をみた。

 一之太刀はひとつの奥義と思えるが、じっさいは複数ある。いや無限にある。


 それぞれの気力、体力、技量に応じた、その者にとって唯一無二の太刀さばき、それを指して卜伝は「ひとつのたち」といったのに違いない。秘伝書に記載されていないのは当然だ。一之太刀の刀法は、人それぞれに異なるはずのものだからだ。


「そんなものはない」と父はいったが、まさにそのとおりだ。

 一之太刀は、それを見つけた者の内にしかない。人に教えようとして教えられるものではないのだ。


 胸の中の霧が晴れていくような心持ちだった。




 どんどんどん。

 午後の静寂を踏み破って、階段を風呂屋の二階に駆け上がってきた者がいた。


「見つけたぞ、兵庫! こんなところにいたか」

「彦右衛門か」

「彦右衛門かじゃない! これまで五軒も風呂屋を探してきたんだぞ。早く支度しろ、他流試合はもうはじまってるんだぞ!」


 急にやってきてまくしたてるのは、藩の同輩、橘彦右衛門だった。

 赤城藩上屋敷での試合は、もうはじまっており、数試合後には兵庫の出番が回ってくるらしい。


「なにこざっぱりとした顔をしてるんだ。急がないと、間に合わないぞ!」

「支度を済ませて駆けていけば、すぐそこだ」


 彦右衛門とは対照的に、兵庫は泰然としてあわてない。


「藩公もおでましになるんだぞ。……ああ、間に合わない!」

「ちがうぞ、彦右衛門」

「え」

。ぎりぎり間に合ってくれた」


 心の迷いはなくなっていた。

 不得要領な表情の彦右衛門を逆にせっつきながら、兵庫は風呂屋から駆け出していった。


 濠端に立つ桜の花がいままさに満開である――。



☆☆☆


 戸棚の奥を整理していると古いすごろくを見つけたので、兄の兵庫にたずねると話をしてくれた。


「千葉周作というと、あの有名な?」

「うむ、先年亡くなったそうだ」


 兄が若いころ、江戸に遊学していたことすら知らなかった。いまをときめく北辰一刀流の千葉周作と剣を交えたということも、もちろん初耳だった。もっとも、その頃、絵都は物心つく前の子どもだったので無理はないが。


「試合。勝ったのですか」

「……」

「負けたのですか?」

「そのようにあけすけに訊くものではない」


 それきり兄は、そのことには答えず、道場の稽古をのぞきにいってしまった。


「つまらない」


 絵都が外を眺めると、斎道場の中庭に、先日から咲きはじめた桜の花が、いままさに満開になろうとしている。兄がわざわざ江戸から取り寄せた桜である。南国である青海の春は、江戸よりも早い――。

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