そして日常は続く
芦原瑞祥
物書きカップルの日常
「物書きにとってのゴールって、何だろうね」
日曜日にいつものカフェで、俺と純子は小説を書いたり、合間に雑談をしたりしていた。小説学校で出会った二人なので共通の知人の噂といえば、誰それが新人賞の何次まで通った、文芸同人誌評に取り上げられた、とうとうデビューするらしい、という話になる。
「そりゃあ、受賞して作家デビューなんじゃね?」
俺の言葉に、純子は予想通り生真面目に答える。
「デビューはゴールじゃなくてスタートよ。きっとそこからが、本当の闘いなんだと思う」
まあそれはそうなんだけど、「目標」という意味のゴールとして一つの目安ではあるよな。
「純子はさ、自分の作品が賞を取るのと、納得のいく作品が書けるのと、どっちが大事だと思う?」
「そりゃあ、納得のいく作品で賞をいただくのが一番でしょう」
そんな会話をしたのが先週の日曜日。
そして今。
「ねえ、どうしよう。B新人賞の最終候補に残ったって電話が来たの」
クールな純子には似合わない戸惑った声が、受話器の向こうから聞こえる。
「もしかしていたずら電話なのかな? でも電話番号検索したら出版社の代表電話と一字違いだったし、これは貴女が書いた作品に間違いありませんか、とかそれっぽいこと訊かれたし、私の作品名言ってたし」
早口でまくし立てる純子をとにかく落ち着かせて、俺は言った。
「おめでとう! すごいじゃないか。いい作品だったもん、最終候補も納得だよ」
「まだ早いまだ早い、たぶん落ちる絶対落ちる無理無理!」
人間というのは居心地のいい状態に落ち着いていると、それ以下になることはもちろん、それ以上になることにも恐怖感を持つ、と本で読んだことがある。今の純子がまさにそれだ。
「落ちるとか言わない! いつも身を切る思いで書いてたじゃないか。一作仕上げるのにどれほど精神をすり減らしていたか、俺は知ってるよ。いい作品なんだから胸を張れって」
「でも」
「とにかく結果を待とう。で、約束してよ。受賞したのならそれは、純子は神様から『もっと書きなさい』ってお墨付きをもらったってことだ。そのときは何の迷いもなく飛び込むんだぞ」
ぐずぐずと悩む純子をなんとかなだめすかして、俺は電話を切る。
そうか、最終候補か。
ずっと一緒に書いてきたカノジョがようやく次のステージにのぼろうとしているのだ。もちろん我がことのように嬉しい。俺が書いている小説とはジャンルが違うからか、不思議と嫉妬はなかった。
でも。
正直少しだけ不安はあるんだ。
実は、純子と付き合う一年前、俺には小説書きのカノジョがいた。
しかも書いているジャンルがまったく同じ。応募する賞も被っていたし、向こうの方が実力もちょっと上。強烈な上昇志向を持った子だった。
その子はある賞の最終候補に選ばれ、そして俺を振った。
これからは小説を書くことにすべてを捧げるから、色恋沙汰に関わる時間がもったいない、と。
あの子は正しい。
だから俺はちゃんと身を引いた。
「純子は……ああ見えて気を遣う人だから、俺を切り捨てられなくて苦しむのかもな」
そのときは、俺の方から察するべきなのだろうか。
悩んでいると、ネコ様が俺の太ももで爪とぎを始めた。
「痛い痛い! ああもう、ジーンズの糸が出ちゃったじゃないか」
ネコ様を無理やり抱きしめると、素早いネコパンチを二発顔面にくらってしまった。走り去るネコ様のおしりを見ながら、俺は去り際について思いを巡らせた。
そして一ヶ月後。純子はB新人賞を受賞した。
俺はすごく嬉しくて、誇らしかった。受賞の嬉しさよりもこの先の不安の方が大きい純子の代わりとばかりに、手放しで喜んだ。
奮発して高級ディナーをご馳走するという俺の誘いを、純子は「受賞作の校正の締切があるから」と辞退した。
ああ、俺、距離を置かれちゃうのかな。そう思ったのだけれど。
『今日はざっと校正した。削る作業が大変』
『日曜どうする? 私は朝からファミレスで作業して、一時くらいにいつものとこに行くけど』
純子からの毎日の執筆報告や、週末の作業のお誘いメッセージは変わらず届いた。
変わったことといえば、いつも俺に「ちゃんと言語化しなさい」と言っていた純子からのメッセージが「ふにゃあ」とか「うぎょー」とかになってきたことか。
「頭を使いすぎて、うまく言葉が出てこないのよ。でも何か会話はしたくて」
純子にとって受賞はゴールでもスタートでもなく、通過点だったのかもしれない。だから、そのままの日常が今日も続いている。俺はそれを嬉しく思いながら、小説を書き、合間に純子とやり取りをする。
『うにょー』
『にゃにゃー』
『ぎゃあぎゃあ』
……ねえ純子、そろそろ人語も話しておくれ。
そして日常は続く 芦原瑞祥 @zuishou
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