夜を歩く

タカテン

第1話

 それはまるで強く降りつける雨に、全てが曝け出されたようだった――。

 

 ナイトウォーキング。

 その名の通り、一晩かけて60キロを歩くという悪夢のようなイベントに僕は参加していた。

 勿論、自分の意志じゃない。社長命令だ。

 一応はメタボ気味な僕の健康を心配しての事らしいが、実際は同じく参加する社長に何かあった時の為のサポート要員としてご指名されたのだろう。

 見れば僕と同じ境遇らしい連中が何人もいて、思わず苦笑してしまった。

 

 イベントは静岡にて行われ、300名以上が参加し、途中のチェックポイントでのお世話係なども数えたら500人を超える大規模なものだった。

 僕たちは15人ほどでグループを作った。この仲間で協力し合ってゴールを目指すらしい。

 スタート前にグループで集まって写真を撮った。写真は僕たちが歩いている間に現像され、ゴールで記念品として貰えるとのことだった。


 ナイトウォーキングと言っても、スタートはお昼の2時過ぎだった。

 ただ、途中で十分な休憩を取ろうと思えば、平均で時速6キロぐらいで歩かなくてはならない。なかなかの速度だ。

 でもさすがに最初はみんな体力的にも余裕があり、グループ内でお互いに自己紹介をしながら歩いた。

 やはり僕たちと同じく中小企業の社長さんとそのお供がほとんどだったけれども、ふたりだけで参加しているのは僕たちだけで、中には社員全員で参加しているところもあるという。

 なんでもそこの会社の社長さんは一位でのゴールを狙っているらしく、グループは社内でも健脚自慢で固めたとか。

 まったく何事にもムキになる人はいるもんだ。

 

「だったら、俺たちがそのグループよりも早くゴールに着いてやろうじゃないか」


 そしてうちの社長もそんなムキになる人だった。

 グループの皆さんが愛想笑いを浮かべるのも構わずぐんぐん歩く。

 この時から僕はなんだか嫌な予感がしてたまらなかった。

 

 最初の8キロのチェックポイントでは何の問題もなかった。和気あいあいとしていて、見知らぬ土地の景色、とりわけ富士山の光景をみんなで楽しむ余裕もあった。

 次の15キロでさすがに疲れは出てきたものの、まだみんな元気だった。

 陰りが出てきたのは25キロ地点の休憩所。その前から雨が降り出し、日も落ちて、僕たちの体力は確実に減っていた。

 その疲労たるや、夕食のおにぎりと豚汁が振舞われる公民館の床に腰を落とした時は、もうしばらく立ち上がりたくないなと思ったほどだ。

 周りを見渡せばもっと疲労困憊している人もあちらこちらいて、そろそろリタイアする人が出る班もあるみたいだった。

 

「よし、そろそろ行こう!」


 が、そんな僕らを尻目に社長がみんなへ声を掛けたのは、休憩してたった15分ほど経った時のことだ。

 一応みんなが食事を取り終えたのを確認しての号令だったらしい。

 でも。

 

「いやいや、もうちょっと休んでからいきましょうや」


 僕たちを代弁するかのように関西で小さな工場をやっているという社長さんが異を唱えてくれた。

 

「は? だってトップはすでに出発してるんですよ!」

「そうは言うてもみんな疲れてますやん。ここで無理したらそれこそ完歩できなくなりまっせ」

「そんなの……」

「焦ったらあきまへん。トップだって社長さんが結構なお歳やさかい、そのうちペースが落ちるでっしゃろ。そこで抜けばいいですやん」


 そう言って関西の社長さんはごろりと床に寝転んだ。

 これ以上聞く耳持たないという態度に、うちの社長が顔を真っ赤にする。みんなが僕に「なんとかしろよ」と目で訴えてきた。

 仕方なく僕は少し重い腰を上げると「社長、この間にマッサージするのでどうぞこちらへ」と声をかけた。

 

 35キロ地点。

 最悪なことに雨はどんどん強くなっていった。。

 周りはすでに夜の闇へ完全に覆われ、さらには土地勘のないところを歩いているものだから、折り返し地点を過ぎたと言っても「まだそんなにあるの?」と絶望しかなかった。


 僕たちグループは完全にふたつに分かれていた。

 つまりは僕と社長と、そしてそれ以外の人たちだ。雨で増水し轟轟と流れる大井川に架かる大きな鉄橋を、先頭を歩くうちの社長からどん尻の関西社長まで距離にして100メートル以上離れている。

 もはやグループとは呼べない状況になりつつあった。

 

 そして45キロ地点の休憩所でそれは起きた。

 

「俺はもう行く。あんたたちはゆっくり休めばいい」

 

 社長がついにキレた。

 このままではグループ優勝は無理と見て、代わりに個人でのトップを目指す腹らしい。

 

「何言うてまんの、あんさん? これはみんなで協力し合ってゴールを目指すもんでっせ」

「あんたたちを待ってたら俺のペースも崩れる。非効率だ」

「非効率って……助け合うって気持ちはないんかい、あんた?」

「ないな。この世は弱肉強食、弱いものは淘汰されるがいい」


 そう言って社長は勝手に歩き出した。俺はただおろおろと社長の背中と、うんざりしたみんなの顔を見比べ、やがてぺこりとみんなへ頭を下げて社長を追った。

 

「あんな社長の下であの子も大変やなぁ」


 後ろからそんな声が聞こえたような気がした。

 

 そこからはただ黙って社長の後ろに従って歩いた。

 雨足はさらに強さを増している。合羽は着ているものの、もう頭から足の先までびっしょりだ。

 ああ、どうして自分はこんな状況で歩いているんだろう? まるで戦争の強行軍じゃないか。

 やっぱりナイトウォーキングなんて断ればよかったなと思った。

 社長は見ての通りワンマンな方で、僕たち社員の意見なんて聞く耳を持たない人だった。それでも確かに仕事が出来る人なので従ってはいたものの、さすがに今日のやり取りを見ていたら色々と気持ちがぐらつく。

 

「おい、見てみろ!」


 と、その時、黙々と歩いていた社長が声を上げた。

 見ればそれまでトップを歩いていたグループがコンビニの駐車場に集まっている。

 最初は休憩を取っているのかと思っていたが、近づくに連れて深刻な状況に陥っているのが分かった。

 

「なにをしている!? あともうちょっとなんだぞ! さっさと運ばんか!!」


 足を挫いたか、あるいは疲労で歩けなくなったのか。駐車場に停められたワゴン車に鷲鼻のお爺さんが腰かけていて、雨の中を立たされ、肩で息をしている部下の人たちに檄を飛ばしていた。

 

「あの爺さん、途中でギブアップしたのをここまで部下に運ばせてきたんだな」


 社長の呟く声が聞こえた。

 いや、呟きじゃない。彼らに自分が来ましたよと知らしめる為の声、雨音に負けない力強い声だった。


「すみませんねぇ、先に行かせてもらいますよ」


 更にそんな声をかけながら、鷲鼻のお爺さんがたちが忌々しそうに見つめる中、社長が堂々と歩き去っていく。

 僕は居たたまれない気持ちになって、とても彼らの方を見ることが出来なかった。

 背後から部下を怒鳴りつけるお爺さんの声が、今度ははっきりと聞こえた。

 

 55キロ地点。

 ゴールまではあと5キロ。

 雨はようやく止み、東の空が仄かに白みはじめた頃、僕と社長は海沿いの道を歩いていた。

 

 疲れているはずなのに、前を行く社長の足取りは何だか軽いように感じた。

 一方、僕はと言うと「一体このナイトウォーキングは何だったんだろう?」と考えながら、後ろに付き添っていた。

 健康のためのイベントの筈だけど、全く健康的な感想はない。ただひたすら嫌なものを見せつけられた感じで、心がもやもやする。

 言うまでもなく、身体は疲れ切っている。これなら家でゴロゴロしていた方が疲れないし心も安泰だっただろう。

 

「どうだ、いい運動、いい経験になっただろう?」


 それなのに社長と来たらさっきから僕に「参加してよかったです」という感想を言わせたがっている。

 ああ、なんだろう。いつもだったらうんざりしつつも「そうですね」と言えるのに、今は何だかその言葉が出てこない。

 

「お、見ろよ! 日の出だ!」


 気が付けば夜はとっくに明けていて、海の向こうから雨雲をかき消すように太陽が昇ってきた。

 思えば日の出を見たのはこれが初めてかもしれない。僕は妙に感動した。

 そして人間が生まれる遥か昔から繰り返されてきたこの光景を見た僕は、なんだか急にこのナイトウォーキングを意味あるものにしたくなった。

 

「綺麗だな……ってオイ!」


 後ろから社長の慌てた声が聞こえる。

 が、そんなの構わず、僕はぐんぐんと歩くスピードを速めた。

 

「待て! おい、ふざけるな!」


 待たないし、ふざけてなんかもいない。

 一晩かけて歩いて、ようやく分かったんだ。

 僕はこの人の背中を見る為に生きているんじゃない。

 自分の足で歩くために生きているんだって。

 

「ちくしょう!」


 社長が走って追いかけてきた。

 だから僕も走った。

 さっきまで重かった体が嘘のように今は軽い。

 

「おーい、あんた! あんな奴に負けるんじゃねぇぞ!」


 隣を走り去るミニバンから、同じグループだった関西社長が窓を開けて声援をくれた。

 どうやら途中でリタイアしたらしい。が、顔はこの上なくご機嫌そうだった。

 

「ふざ……けんな……待て……」


 社長の怒鳴り声がどんどん小さく、遠くなっていった。

 代わりに僕はどんどんペースをあげて、このナイトウォーキングのゴールへ目指す。

 

 きっとそこに僕の新しいスタートが待っている。そんな予感を抱きながら。

 

 おわり。

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