ソロキャンプへの第一歩

豊科奈義

ソロキャンプへの第一歩

 雲ひとつない晴天のある日、関東近郊に佇むアカシデ茂る山林。少し前まで積もっていたであろう雪は、とうに溶け切って川の水と同化し流れている。その中にある未舗装の山道を、一台の車が進んでいた。その車は黒の軽自動車で、車体を上下に揺らしながら頂上へと登っていった。後部座席には、テントにチェア、ランタンにシュラフと新品のキャンプ用品を積んでいる。

 運転席に座っている男は鼻歌を歌いながらハンドルを握り、ナビに表示されている時刻を数秒感覚で見ていた。

 やがて、その自動車は山林を抜けた。山頂部は木々が少なく、地面も土というよりかは岩寄りだろう。

 中に乗っていた男は停車すると、外に出てその遠望に口を開け一驚した。

 近くの山が一望でき、少し奥を見れば薄っすらとだが海が見える。他にも、灰色の低地などが見える。

 男は鞄の中に入っていたビデオカメラを取り出し周囲の光景を撮り始めた。慣れない手付きで、男は山頂の周りを走って一周する。だが、こうしている内に快晴だった空は徐々に灰色の雲が近づいてきていた。


「はぁ……」


 男は、徐々に歩きに変わっていった足を止めた。そしてビデオカメラの撮影も止める。そして、岩のような地面になにもひかずに寝転んだ。

 当初は空を仰ぐように仰向けだったが、すぐに横向きへとなった。


「なにやってんだ俺……」


 男の上空には、真っ黒と化した雲が淀んできている。しかし、男は雨を避けようとはせずそのまま眠りについた。



 深夜12時のとある小さなオフィス。そこには、焦点が定まらずひどいクマのある目をしたシステムエンジニアが数名。目の前のパソコンへただただキーボードを叩いていた。キーボードのとなりには空と未開封が混在したエナジードリンクの缶と錠剤が転がっている。


「あがります」


 男はそう言いうと、パソコンの電源を切る。だが、その言葉に反応する者はは誰もいない。そして、男も無反応を気にしない。これが普通なのだ。


 翌日の出勤は9時。いつも通りに来ると、社長が紙を持って男の元へとやってきた。


「作ってもらったやつだけど、取引先から仕様変更言われたから修正しといて」


 社長は男をなにも案ずることはなく、ただ淡々と事実だけを述べ紙を押し付ける。そして、男も既に諦めの境地に達しておりなにも文句は言わなかった。

 そして今回、二日連続で休みが取れてしまった。男はなにも考えず、ただキャンプがやりたいと思いつきで実行に移したのだ。



「ああ……」


 男は、山頂で目が覚めた。そして、認識してしまった。会社の労働環境の悪さを。

 やがて黒く淀んでいた雲からぽつぽつと雨が降り注ぎ、男の顔にも滴り落ちてくる。それが雨なのか、涙なのかはわからないほどに。

 雨はどんどん激しさを増し、山の周囲では小さいながらも土砂崩れが発生し大量の土埃が川へと入り淀んでいく。

 だが、それでも男はその場を去ろうとはしなかった。


 その後再び男は目を覚ました。不眠が恒常化していたため、雨の中ですらゆったりと眠れたのだ。

 ふと男が空を見上げると、あの黒かった雲はもう無い。あるのはところどころに点在する雲だ。


「よしっ」


 男はせっかく新品のキャンプ道具を拵えたのだというのに、再び運転席へと乗り込むと下山していった。

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ソロキャンプへの第一歩 豊科奈義 @yaki-hiyashi-udonn

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