娘がくれた優しさ

花岡 柊

娘がくれた優しさ

 夫と結婚して二十年が経っていた。娘の成実は、来年成人式だ。振袖を仕立ててあげられるほど、うちは裕福ではない。けれど、せめてレンタルでも自分の気に入ったものを選ばせてあげたい。


 一人娘ということもあり、生まれた時から今までずっと。ささやかではあるけれど、馴染みの写真館で記念撮影をしてきた。


 生後一か月のお宮参り。生まれてから百日のお食い初め。桃の節句に七五三。もちろん、初めての誕生日にも記念撮影をしたし。入園、入学、卒業と、何かあれば記念にと写真におさめてきた。

 育児は大変だったけれど、今振り返るとあっという間のことに思う。次は、成人式だなんて。子供の成長は、本当に早いものだ。

 娘は、どんな着物を選ぶだろう。


「レンタルって言っても、早めに予約しないと気に入ったものを着られないんじゃない?」


 娘と一緒にキッチンに立ち、夕食の準備をしていた。今日は、娘の好きなグラタンだ。

 中学に入る少し前くらいから、娘はキッチンに立って私の手伝いをしてくれている。誰に似たのか器用なところがあって、テキパキと動いてくれるからとても助かる。

 幼い頃は、私がキッチンに立つたびに「何を作ってるの?」なんて可愛らしく訊ねてきたものだ。それが今では、身長は私より少し高いし。贔屓目に見ても、器量が良いと思っている。


「それ。私も気になってたから調べてみたら、一年前でも遅いみたいだよ」

「えっ!? じゃあ、すぐにでも探しにいかないと」


 慌てて娘を見ると「レンタルでいいからね」と微笑みながら付け加える。

 家計のことを気にさせてしまうなんて、親としては情けないところだけれど。本当によくできた優しい娘だ。


 私は何事ものんびりとしがちなせいで、夫にはよく能天気だと呆れられている。今話した娘の成人式にしても、なんとなく頭に浮かんだから口にしてみただけで。まさか、一年前でも遅いだなんて。こんなに焦る展開になろうとは、思いもしなかった。口に出してみてよかった。


 翌日からすぐに、振袖を貸し出してくれるところを探し回った。ヘアメイクと写真撮影もセットになっているところを絞り出していく。そうやって、何軒かのフォトスタジオを娘とめぐっている時だった。


 偶然通りかかったウエディングスタジオには、純白のウエディングドレスが、窓ガラス越しにいくつか飾られていた。


「綺麗ね」


 いつか娘もこんな素敵なドレスを着て、お嫁に行くのよね。成人式まであっという間だったけれど。お嫁に行ってしまうのも、あっという間になるかもしれないのよね。

 お父さんは、きっと泣くわよね。大事な娘をやるわけにはいかない、なんて怒り出したりしないかしら。

 色々と想像すると、感慨深くなっていく。


 そうやって、娘と並んでウインドウ越しにドレスを見ていたら、出入り口が開き店員さんが顔を出した。


「よかったら、中でご覧になりませんか?」

「いえいえ。そんな」


 お嫁に行くわけでもないのにウエディングドレスを見るなんて、と私は慌てて後ずさる。


「お母さん、私見てみたい」


 振袖を選びに街へ出たのに、成人式を飛ばして結婚式になってしまう。苦笑いで更に後ずさる私の手を握り、娘が入ろうよと誘う。


「遠慮なさらず。今は、ソロウェディングが流行っているんですよ」


 ソロウェディング?


 疑問を浮かべる私とは対照的に、娘はソロウェディングというものをよく知っているのか「そうですよね」と相槌を打っている。

 にこやかな表情をした店員さんは、大きくドアを開けて私たち親子を中へと招いた。


 通されたところには、壁一面に沢山のドレスが並んでいた。真っ白いドレスはもちろんのこと。お色直しに着るだろう、色のついたものもたくさんあった。


「ご覧になってお気に召したものがあれば、ご試着もできますし。撮影もできますよ」

「撮影?」


 写真も撮ってくれるというのだろうか。疑問を浮かべる私に、店員さんが丁寧に説明してくれた。


 聞くところによると、ソロウエディングとは。結婚の予定はなくても、両親に花嫁姿を見せてあげたいという気持ちから撮影に臨む人や。モデルさんのように、プロのカメラマンに撮ってもらうために来る人。式は挙げたけれど、他の衣装も着て記念に残したいという人。友達と一緒にドレスを着て、記念に残したいと撮る人など。結婚するしないに限らず、気軽にウエディングドレスを着て撮影することを「ソロウエディング」というらしい。


 説明を聞きながら、つい感嘆の声を上げてしまった。


「ねぇ。折角だから撮ってもらわない?」


 娘がキラキラとした目で私に訴えかけてくる。

 女の子なら、あこがれて当然のウエディングドレスだものね。目の前にして、断るなんて今更できないか。


「成実が撮りたいなら、いいわよ」


 金額もとても手軽なものだったから、私のお小遣いから出してあげてもいいと思った。


「お母さんも一緒に撮るんだよ」

「えっ!?」


 驚く私の手を引いて、娘はどれがいいかとドレスを選び出す。


「ちょっと待って。お母さんは、いいわよ」


 慌てて断ったけれど、娘は引かない。


「何言ってんの。式、挙げてないんでしょ。大丈夫。この前バイト代入ったし。任せてよ」


 娘は、自分が支払うからと、どうしても私と一緒にウエディングドレスを着て写真撮影がしたいと言い張る。


 確かに、夫の仕事の都合があり。式は、結局挙げることのないまま今まできていた。


「これは、素晴らしい偶然だよ。こんなに素敵なウエディングドレスを前にして帰っちゃうなんて、もったいないんだから」


 娘が私をはやし立てるようにして持ち上げるものだから、結局一緒にドレスを着て撮影することになってしまった。


 ドレスを選びながら、私は娘の様子を窺った。


 この店の前を通ったのは、もしかしたら偶然ではないのかもしれない。式を挙げることがないままの私を気づかった娘は、初めからそのつもりで一緒に出かけ、ここへ来るように仕向けたのかもしれない。

 どちらにしろ、娘が優しい子に育っていることに変わりはなく。私はその事が嬉しくてたまらなかった。


「お母さん。とっても素敵」


 年齢もあって、選んだウディンクドレスは落ち着いたものにした。それでも素敵なことには変わりなく。プロのヘアメイクもついていて、私は自分でも見違えるほど輝いているように見えた。姿見に映る自分を見ると、とても照れくさいけれど。やはり、嬉しくもある。


 式を挙げられなかったことで、夫に何か言ったことはなかったけれど。やはり、女性なら一度は着てみたい衣装だ。こんなに年をとってから着ることになるとは、思わなかったけれど。


 娘のウエディングドレス姿は、当然のことながら私よりもずっとずっと輝いていた。


「どう?」


 おどけたようにして笑っているけれど、このままお嫁に行ってしまうんじゃないかと思えて切なさが込み上げてくる。


「やだ、泣かないでよ」

「だって。成実、とても綺麗なんだもの」


 グズッと鼻を鳴らす私を見て、娘は穏やかな笑みを湛える。


「お母さんも、すっごく綺麗だよ」


 娘の言葉に泣き笑い、私たちはプロのカメラマンに写真撮影をしてもらった。

 出来上がった写真は、本当に素晴らしいもので。被写体が私でなければ、ファッション誌に載っていても不思議ではない出来だった。


 今すぐお嫁に行くわけでもないのに、写真の娘を見ているとやはり切なく感じてしまう。

 いつかはこんな風にウエディングドレスを着て、私たちのもとから巣立っていくのよね。


 家に戻り、二人で撮ったソロウエディングの写真を夫に見せると「成人式の振袖を見に行ったんじゃなかったのか?」ととても驚いていた。

 同時に、やはり私と似たような気持ちになってしまったのか。ウエディングドレス姿の娘の写真を見ながら、目じりに涙をためて微笑んでいた。

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