第37話 ラノベのレッテル貼りへの応援コメント
コバルト文庫なんかも「ラノベ」だったんですかね??
あと、最近耳にした「キャラ文芸」ってのも。
みんな色々言うけど、定義も曖昧で人によって主張も違くてよくわかりません。
グレーでいいじゃん派閥です。(?)
作者からの返信
コバルト文庫ははっきりとラノベからは、分けられていたと思います。読者層も(多少被るにせよ)違っていたはずです。
現在がどうなのかは判りませんが、やはりコバルト文庫は、ラノベの棚には並んでいないので、書店も分かっていて、分けているのでしょう。
(コバルトもライトな小説であることは確かですが、書店では、これはカラーが違うと言いたいのではないかと想像します)
キャラ文芸というのは、最近の物なので、これを文芸と呼ぶのもどうかとは思うけど、まあ文芸なのでしょうね。
私がこの本文で言いたいのは、今の知識や情報で過去の物まで、一緒くたにして、ドヤ顔するのは、違うんじゃないのかっていう事だけです。
第33話 ケレン味の事。への応援コメント
外連味って、最近聞かないですねぇ。
外連味も醍醐味も「味」だからごっちゃになっちゃうのかな??
それって「甘味」と「塩味」を同じ意味で使うくらいおかしいけどもw
ケレン、危うし!!
作者からの返信
確かに聞かなくなった言葉ですよね。外連味。
だから意味もあやふやになって、意味が逆転してしまったり、醍醐味の様に、なんか深い味わいがある言葉の一つだと勘違いしている人が出てくるですよね。
いちいち意味を説明する人も減ったし、それをやれば「マウント」とか言い出すし、言葉はこうやって変化しながら、深い意味を失って行くのでしょうね。
第31話 切れてしまった鎖への応援コメント
焦った~
なんかすんごい深刻な話なのかと思ったら、ほんとに鎖の話だった…(笑)
物書きは深読みしすぎる癖がある!?wwwꉂꉂ◟(˃᷄ꇴ˂᷅ ૂ๑)
作者からの返信
最近、日々の起きたことを綴っていないなと思い、出来事を綴っただけです。
なんか申し訳ないです。
第27話 『AIの時代』が来るへの応援コメント
最近は国営放送の朝のニュースさえもAIが読み上げています。
アナウンサーがいなくなる時代もやってくるのかもしれません。
何が本当で何が嘘なのか、ちゃんと考えて生きていかないと、人が人でなくなってしまうのでは(考えることをやめてしまうのでは……)と危惧してしまいます。
作者からの返信
確かにそうですね。
ちゃんと考えて、自分で出来るだけ判断していかないと、何も分からなくなるのでは、と強く思います。
そこに、生きている価値ってなんだ?となると、相当難しいものがあります。
最近の、やや浮ついたかのような取り上げられ方を見ていると、どんどん心配になってきました。
そうか。顔が見えないラジオの方が、あっという間に合理化されて、アナウンサーの声だけがサンプリングされてAIが声を出しているようになるか。
もう、それが知ってるはずの芸能人や声優さんの声ですら、信用できなくなるのですねぇ。
闇は深いな。
第26話 私の職業病再び。への応援コメント
椅子に深く座り背中を背もたれに預けて、力を抜いた状態で痛い方の腕をブランブランと前後に振ってみて下さい。ゆっくりと惰性で、前後に揺れているような感覚を意識して振り続けるのがコツです。可動域は痛みの無い範囲で三十秒ほど。これを毎日続けていると、いつのまにか肩の可動域が広くなっていることに気付くかと思います。すごく地味な動きで時間も短め、すぐに効果が現れないので途中で飽きてしまう傾向にありますが、愛宕が働く職場の理学療法士が勧めているセルフケアです。家で気軽にできるのが特徴です☆
お大事に (*´ω`*)
作者からの返信
ありがとうございます。
肩を動かさないと、リハビリにならない のは 前の整形の医者も 言っていましたので やってみます
リハビリは、単調で 短時間 というのは 母のリハビリを リハビリ病院で 見ていたので その辺は 理解しています。
あとは 足の裏のマッサージも。 プラス1日 10分の散歩。だと聞きました。
セルフケア ぼちぼち やっていきます
第23話 AIは芸術をどう捉えているのか?への応援コメント
こんにちは。
とても興味深い問答でした。
ひとつは、おそらく同じロジックを辿って得られた同じ文章を正確に繰り返すのが、SFっぽいリアルだなと。
あとひとつは、プログラムした人の個性がAIには出るんだな、と。
でもこんな特徴も、いずれは超克されて変容していくのかもしれませんね。
作者からの返信
こんにちは。感想をありがとうございます。
このOpenAIは、答えを求めていく段階で収斂した部分を繰り返してしまい、くどい答えを繰り返すというのがあって、製作者たちは、これは教育を自己学習で繰り返していく過程で、過度に起こる部分があって、そこはプログラム的に修正はほぼ不可能だそうです。
一方で、このAIには、自己学習以外に、論理面や倫理面を教育する、教育者たちが複数別にいて、常に、ユーザーの入力に、倫理上の問題がないか監視している(ただしこれも別のAIによる監視)ので、そこで問題がありそうなやり取りがあると、その時点で教育担当者はモデレーターとして、その質問そのものに警告を送ったり、回答を拒否させたりしています。また、AIにはその時に一般的な答えとなるような模範解答を覚えさせているようです。
(現在だとほぼ無人で、監視用AIが警告や、回避をさせているようです。したがって、その時には回答を拒否されたが、一週間たったら、なにやら一般的な保守的な答えが返ってくるというのも、まま、あるようです)
あと、いろいろ推論をたどって、あいまいな答えに内部でたどり着いた時に、明らかに「ウソ」の答えをそこに当てはめて、もっともらしく、回答してしまう部分(でっちあげ)があって、これは、現在の自己学習型では解決不可能なプログラム問題だそうです。なので、ここをどう解決するかが大きな問題になるでしょう。
まだβなので、どのように発展していくのかはわかりません。
もっともっとメモリや蓄える知識が増えて、人間と同等を越えたときに、どのような回答をするAIになるのか、怖くもあり、見てみたい気持ちもあります。
読んでいただき、ありがとうございました。
第18話 著作権の事への応援コメント
すごい役に立ちそうな気がする……。(私ではない誰かの)
知らなかったことがいっぱい。
作者からの返信
お読み下さり、ありがとうございました。
この様な権利の事を、特に商業化に行きついた作者の方が、あれこれとNoteに文句やボヤキを書いたり、Twitterで呟けば、出版社側の方では当然見ていて、要注意人物とマークされるようです。
こういうことは、一般的な事実として、こういう規約が掲げられてますよ。とかく分には問題ないと思います。
ですが、お金の絡むことですし、内心、どのように思ったかは「書かない」ほうが無難です。
第16話 AIの描く絵への応援コメント
面白く読みました。
以前、こんなものを書いていました。
*
AIをAmano Iwayatoのイニシャルだと思っているわけではないが…。
○AIは磐戸の陰におはします天照らす知とまで言ふ人さへ居る(医師脳)
https://kakuyomu.jp/works/16817139558514911529/episodes/16817139558569709275
作者からの返信
感想をありがとうございます。
URLのほうも読んでまいりました。
私は、少し前までは現役のソフト技術者でした。
一部基盤の方も触ってた、一番最下層の方のプログラムをやっていた人間です。
そんな人間が今のAIを見ると、不安を覚えるのは勿論、ありがたがる人間が多すぎて、気持ちの悪い社会になって来ています。
AIが作る絵はここまで来た。もう絵を描く才能はいらないのだ。とか言い出す人まで出て来る始末。
AIが自動で作成するプログラムも、そろそろ本格的になって来始めています。(ネット上のソースプログラムのビッグデータを活用)
なんというか、創造する行為というものが、どんどん汚染されて行っている気がしてなりません。
どこかで反動がある気がします。
まとまりがありませんが、この辺にて。
第14話 あなたは、犬に咬まれたことがありますか?への応援コメント
思い出しますねぇ。
小学校の時に犬にかまれたのを。
あれから犬嫌いならぬ犬恐怖症になりました(笑)
イヌってこっちが怖がったら、向こうから寄って来るみたいです。
動物的な何かで、怖がってるとか意識してるとか分かるみたいです。
イヌが近くにいると必ず吠えてこっちに来ます。
幸いリードのついてない犬にはあまり当たった事がありませんが
リードが付いていないと、噛まれた事のある人間からすると恐怖ではあります。
後。変に意識すると犬が遊んでくれると迷惑極まりない誤解をすると言う話も聞いた事がございます。
嫌いじゃありませんが怖いんですよね。いつ次噛まれるかと思うと。
現在では狂犬病の心配はいらないとは言え、噛まれるのはわたしも勘弁して欲しいですね。
余談ですがネコにも引っ掛かれたこと。ありますよ。
あの時も痛かったです……
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
犬に対しての恐怖は、大型犬にはありますね。
中型犬を飼っていたので、中型の犬は怖いというのはないです。
小型犬は、怖いと思った事はないけど、なぜか向こうが咬んでくる。
それで3回目の時のあとに友人に、そういう犬が来たら、強烈ににらんで威嚇してやれ、相手が黙るか逃げるというので、それでそれ以降は追い払ってました。
4回目は、自分が見てない足元のベンチの下でいつの間にか来ていてやられたので、睨むとかも出来なかったですが。
見えない場所でがっつり咬まれました。
猫に引っかかれたこと、私もあります。
その時は、服が破れました(苦笑
その時も痛かったですよ。
第12話 遅ればせながら。への応援コメント
こちらも遅ればせながらあけましておめでとうございます。
茄子の話。
掘り下げれば心に染み入る短編が一つできそうな気がしますが、
まずはお身体を大切にと言う事で、無事が確認できてよかったです。
たくましく育った一株の茄子。
妙に頭の印象に残りそうです。
私もほとんどの方に見向きもされなくても書き切ろうと腹を括っております。
私とは全く次元が違うかとは思いますが、お互い
<了>
まで持って行きましょう☆
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
まだ、先は長そうですが完結まで、ゆっくであっても走りきろうと思っています。
途中、歩いたっていいんです。
自分の作品に
<了>
の文字を打ちたいですね。
第10話 当てにならない記憶への応援コメント
妄想することがあります。
今、先史文明というものが、仮にあったとしたら……石板等でしか残っていないのは、弩級の災害や戦乱を耐えきった媒体が、それしか残らなかったからで。
地上の知的生命体は、振り子のように、先史時代から何度も勃興衰退を繰り返しているのではないか……
現史は後になにを残せるだろうとか。気分は「猿の惑星」です(^_^)
スペオペ、読んでみたいです。叶うなら
作者からの返信
現代の多くの記録は、電子媒体なので弩級の災害があった場合、たぶん読みだせない記録媒体が残るでしょう。
のちの世界が高度な文明なら、その情報もサルベージされるかもしれないけれど、殆どはそういう事が出来ずに、空白の時代(記録がほぼない暗黒時代)とか言われるのかもしれない。中世ヨーロッパも、民衆が記録を残せなかった時代があって、暗黒時代とかが存在します。
で、災害があっても、なぜか紙の書籍とかは残って、そこにラノベも?(苦笑) で、こんなものを書いて、大衆は読んでいた時代である。とか、後の歴史家は語るのかもしれない。
いやはや。「猿の惑星」かもしれないですよね。
スペオペは、少しづつ推進装置の設定とか、考え直している所です。相当掛かりそうです。
恐らくなんとか、当時の設定を戻せていけても、90年代初頭にラノベであった、スペオペ風スラップスティックの様な、ドタバタ物になるのではないかと…。
あの頃の富士見ファンタジア文庫とか、朝日ソノラマ文庫とかにあった、スペオペ風の小説にかなりの影響を受けていたと思う設定ですので。
それでは。
編集済
第9話 掲示板は諸刃の刃への応援コメント
エコチェンバーというのですね。
コメントに残してくださったこの言葉が、気になっていました。
概念だけは知っていましたが、分かりやすい記事もさらってきました。ありがとうございます。
ご懸念の在処が少しみえたように思います。
共感型の素直な方ほど、嵌まりやすいかもしれません。
私は素直な質ですが、疑り深いのです(笑)
でも、得難いご縁でもあるので、ちょくちょく突っ込んで煙たがられながらも、やっていこうと思っています。
ご返信への返信m(_ _"m)
「正義中毒」あるいは「単に正義」について、
両サイドで話題にしてみました。面白いくらい、自身を除いて話が進みました。
つまり、私としては全く話が進みませんでした。
上手な(怒らせずに、しかし自分を除外していることに気付かせる)よい突っ込み方がないものか、悩んでおります。
それを指摘すると、大体みなさん、逆上するのです。上手に言えないから
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「エコーチェンバー」は時として、信じられない事を引き起こします。
卑近な例でいえば、『正義中毒』を起こしたまま「批評」をやろうとしている事です。
自分が正しい、或いは自分の尊敬する作家が絶対に正しい、それに比べて、あれはどうだ、これはどうだ、全部ダメだと断罪する意見に、普通に他の人々まで同調する。
極めて危険なのです。
道徳に照らし合わせて、どうこうなら、まだいいのです。
不道徳な物というのは、批判だろうと中傷だろうと、引き受けなければなりません。
しかし、商業的に出ているものまで、口汚く罵る行為は他者の共感を得やすく、容易くエコーチェンバーを引き起こし、『正義中毒』に染まります。
私が、SNSから一歩ひいて、掲示板に参加しないというのは、その問題も横たわっています。
柚子様の作品を見ていて、ハラハラしているのは、あくまでも、作品の良い処と悪い処をきちんと出して、どう変えていくべきなのかの対案も必要なので、そこに踏み込んでいくのかなと。
つまり、評者の良心です。そして書き手の良心。
私はたとえ、偽善者と言われようと良心を信じている部分があります。
(偽)悪趣味者の意見に与することは出来ませんので。
それでは。
返信へのお返し。
私がもう彼処でコメントを打ち切った事でお察しください。
彼らが、「自分を除外している」時点で、既に染まっているのです。
それに気がついて、私は離れました。
恐らく、何も生み出せはしないだろうと気がついてしまったから。
もう、あそこで私が何かコメントする事はありません。
そういうことです。
それでは。
編集済
第1話 挨拶と車と等価交換への応援コメント
中学生は、だんだん「恥ずかしさ」が出てくるようですね。
ところで、
広報された情報によると、不審者は、わざわざ、不自然に近づいてきて声かけをし、返事があるとつきまといます。
それで、不審人物が報告されると学区内の小学校で(「不自然さ」を判別できないから)声かけには返事をしないようにと指導されます。
致し方のないことではありますが、無言の小学生と保護者に代わってお詫び申しあげます。
ガルウィング、いいですよね。
以前にわが家でもしばらく夫が所有していました。(が、修理部品のめどが付かず、手放しました)
ーー 追記 ーーーーーー
スポーツタイプの古い車種は、もうメンテナンス面だけですよね。夫も所有期間の三分の一は代車に乗っていました(笑)
さて、昨今の通報事情です。
親切を施して通報されたという叔父様には、イマドキの保護者として本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです(。-_-。)わたしが言ってもなんの慰めにもならないとは思うのですが……
仰るとおり、「こども自身の観察眼」。確かに必要だと思います。親も教育機関も、そこの葛藤は伝えたいところです。伝えます。
それはそれとして。柚子の生活圏内ではホンモノの不審者がちょくちょく出ます。今年度、一番サイアクだったのは、こどもを殴って昏倒させた輩(ご近所さんが通りかかって難を逃れたそうです)と、公園で幼児を連れ去ろうとした輩です(こどもにケガ等はなく、車に乗せる寸前に親が追いついて取り返したようです)。どちらも輩は逃げました。
裸族も数回出たようです。毎年出るので、通学路の街灯が明るいものに取り替えられました。
そういった輩でも、直前までこどもたちと普通に会話していたようです。
こんな田舎でなぜ?と思うのですが、きけば都市部からやってくる不審者も増えているのだとか。
自衛として、実のところ、車での送迎や自主的な集団登校もふえています。車の乗り入れは学校に嫌がられるのですが、それでも。
それでも、勘違いしようのない要警戒事案が広報されるたびに、親の不安が煽られ、余裕のない状況になってしまっています。すぐそこにリアルな危険が潜んでいるからです。若い親御さんには、かわいそうなくらいオロオロされる方もいます。先生方も夕方の通学路に立ったり。
叔父様には、こころからのお詫びを申しあげるのと、ちょっぴりの同情をいただけたらと思います。もちろん、ケガの手当のお礼も言えないモンペは軽蔑してくださって構いません。追記がまた長くなってしまいました<(_ _)>
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
今になって読み直してみると色々思うことは有りました。。
<<「不自然さ」を判別できないから
と教育者が勝手に考えて、一律に指導するのは、楽かもしれませんが、本当に子供のためになっているかには、大いに疑問があります。
大人が、そういうところで子供の鋭い観察眼や感性を殺している事になぜ気が付かないのか。今の極めてヒステリックな「不審案件」を見ていると、暗澹たる思いがあります。
スマフォ見て歩いていた小学生に時間を聞いたら、不審者通報されて警察が来た、という笑えない話も、私の叔父から聞きました。
叔父はスマフォどころか携帯すら持っていなくて、腕時計を家に置いてきて畑に来てしまい、時間がわからなくなったので、通りがかった子供に時間を聞いたら、不審者にされて警察に子供誘拐犯じゃないの?とだいぶ尋問されてしまったと、随分怒っていました。
転んだのか、擦りむいてかなり流血し泣いて座り込んでいた子供を助けたら、親が通報していたらしく警察が来て、助けていた叔父さんは完全に犯罪者にされたそうで、怒り心頭。
まずは目を離してどこかにいった親が謝るなり、子供を助けた礼を言うべきなのだが、完全に壊れている母親は、自分たちは悪くない!というわけだ。警察もまずは母親の側に立つ。助けた相手を犯人扱いだ。こういう人たちは、まず挨拶もできない。
もう2度と、子供が川で溺れていようが助けない。と叔父さんは言った。
そうなるだろうな。怪我をしている子供を助けたら誘拐犯扱いだ。
2度と関わらんと思う気持ちは理解できた。
私は叔父に同情を禁じえなかった。
無論、いきなりズボンを脱いだとか、スマフォで写真を取ったとか、そういうのは不審な案件でしょうが、「声をかけられた通報」は、調べてみたら「ただの挨拶」だったというのも相当数有るのです。
子供がこういう事があったよーというのを、五月蝿がらずに、内容を聞いている親御さんなら、いいのですが。
「これはヤバそうな人だーって思ったから、返事しなかったよ」というのと、「学校で声かけてくる人に答えちゃだめっていうから、黙って帰ってきちゃった」というのと、一体どっちがいいのか。
子供が観察する機会すら奪っている、というのは明らかに今の世相が悪いと転嫁することも可能ではあります。
しかし、教育者以前に保護者が観察眼がなさすぎ、自分の責任を棚上げし、その責任を教育機関や警察にまる投げして安全を図れとヒステリックに声高に文句ばかり言う、ということも有るでしょう。(モンスターペアレンツ)
実際に自分の子供を通学路を歩かせてる親の身にもなれという方もいますが、そこまで心配なら自分の車で送り迎えするべきだ。
通学路を歩くのも経験であり、そこで出会う様々なことも、子供にとっては単純な通学ではないのです。
大人がルーチンワークのように、車で、あるいは電車で、通勤するのとは違う。そういう視点すら、学校の教育者は欠けているのかも知れない。
地域での見守りというものが完全に崩壊しているのかも知れません。
私の地域では、毎朝近所のおじいさんが、一人黄色い服を着て、横断歩道を交通整理する、交通指導員をボランティア活動で、もう10年以上やっていて、毎朝そこを通る子どもたち、彼らの元気な挨拶が聞こえます。それが我が家の真横なんです。それをずっと眺めていて、子どもたちはちゃんと挨拶できるなと。
できなくなるのは、中学生の男子あたりから(中学生女子は挨拶する)。そして大人の一部(老人除く)は明らかに無視して挨拶しない。
ちなみに下校時間にもその人は出てきて、交通指導していますね。
地域での挨拶がなくなるのは、その地域に住んでいるという意識も希薄になっていく。そういう子供の親は地域の活動にも出てこない。
地域のお祭でのボランティア活動や、神社などの清掃活動なども拒否。
挨拶って最低限、その地域に住んでいる人達との潤滑油だと思うので、昨今の風潮は残念だと思いました。
ーーーーー
以前乗っていた車は、ガルウィングのダンパーはたまに新品に変えていたので、そこは問題ではなかったですが、なにぶんにも30年ほど前の車となると、新品の部品がない物も多々有り、中古部品の取り寄せとなり、車検と修理は時間がかかる。
長く車がない状況は、代替車というわけにもいきません。そこで諦めざるを得ませんでした。
それは、ちょうど同じ時に母の長期入院とか、寝たきりになるかもという医者の宣告とか、色々が重なり、趣味な車は維持できない。泣く泣く諦めました。
その時は止む無く実務的なオートマの古びた軽自動車を選び、母の様子が安定するまではその軽自動車でした。
その後、母の回復を待ってマニュアルシフトの車を探して今の車を買い、母が亡くなるまで軽自動車と2台持ちでした。
年老いた親を病院に頻繁に連れていくとか、折りたたみとは言え車椅子が外出に欠かせないとなると座高の低い、趣味な車を維持できないのは必然。
いまだ、あのガルウィングの車を手放したのは心残りはあります。
無いと言ったら嘘になるので。
しかし、友人が言うように、あの車を手放したから、今の車が来たのは事実。そこには今も複雑な気持ちが綯い交ぜになっています。
長くなりました。
それでは。
第11話 除外ワード:ハーレム 逆ハーレム 奴隷……への応援コメント
斑猫です。
冒険活劇ものを探そうとして一縷様はネットの海の冒険に出たのですね……
サムい洒落でした。失礼します。
作者からの返信
もう、昔ながらの冒険活劇と言う物自体が、ほぼ絶滅危惧種だというのだけは、わかりました。
これも時代の流れによる変化なのでしょうね・・・
第9話 掲示板は諸刃の刃への応援コメント
これも、気になった内容です。
相手の顔が見えないと、『 言葉 と言うナイフを平気で振りかざす……
まさに、ゲーム感覚。 相手の事情など、全く考慮しない。 とにかく『 ブッ刺す 』。
実際に会ってみると、ごく普通のヒト……
私が所属していた掲示板にも、他人になりすまし、事実無根の情報を、さも自分が見て来た様に書き込む輩がいました。
捏造・歪曲・酷評、やりたい放題。
IPアドレス(懐かしい)により正体がバレても、言動は否認していましたね。 その内、誰も相手にしなくなったので、どこかに逃走し、未だ、某サイトで『 お山の大将 』を気取っています。
誰かを罵倒し、論破していないと自分の存在感が感じられないのでしょう。
寂しい事です……
どうも、望 様は、私と同年代のような気が致します。
これからも、時間を見て拝読させて頂きますね。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
たぶん、今のほうがSNSのエコーチェンバーは頻繁に起きているだろうし、その危険性は、承知しておかないといけない。
ですけれど、こういう話題に声を上げる人は、ほぼいない。非難の応酬に終始して、賛同者を集めた側が相手を圧倒して、痛めつけ、石を投げて追い出すと言ったような事ばかりがおこります。
ここのカクヨムでも作品のコメント欄にて、そうした応酬があるとか聞きます。
相手を言い負かす、打ち倒すことが「正義」だと信じている節があり、それはちょっと違う。それでは議論にならないという事を知ってほしいと思いました。
だいぶ古い昭和の人間でご座います。
また何かあったら、よろしくお願いします。
第7話 いつからSFは……。への応援コメント
初めまして。
拙作評論に応援頂きまして、ありがとうございます。
どんな方なのかなと思い、お邪魔し、偶然、気になるタイトルを見つけ、拝読させて頂きました。
素晴らしい内容ですね…! 望 様の読書量を、窺い知れる内容です。
…ただ、理解して頂きたい方々の認知レベルには、高尚過ぎて、分からないかと…
拙作論評では、エラソーな発言を連発させて頂きましたが、私の書いたSF作品も、望 様の前では、単なる『 遊び 』程度でしょう。
脱帽致します。
このような方が、カクヨムにもいらっしゃるとは、誠に嬉しい限り。
今後共、宜しければ、お付き合いお願い致します。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
今は肩に力を入れて読むようなSFが売れる時代ではないし、書く人もいないでしょう。
エンターテイメントとしてのスペースオペラとかで楽しませてもらっています。
ただ、あまりにも「科学」が軽んじられている状態に、ついいらだちを隠せず、このようなものを書いてしまいました。
これからも読める作品を、探していきたいと思います。
夏川様、よろしくお願いします。
PS:体の具合がいま一つよくないので、読むのはゆっくりになりましたが、そちらの作品も読まさせていただきます。
第10話 当てにならない記憶への応援コメント
斑猫です。
記憶媒体のMOという所で時代を感じますね。私は初めて触った(と意識した)PCが「95」でして、フロッピーディスクの存在をギリギリ知っているという年代でございます。
小説を書くようになってからはバックアップはUSBに取っておりますが、これもやはり寿命は数年程度という所ですよね。それでも、引き出しの中にあるUSBは10年以上記録を保持したままのようです。時々データを上書きしているからなのかもしれませんね。
少し前に近況ノートでバックアップの話をした時に、「紙媒体最強説」が浮上したのですね。しかし今回のお話を読むと、やっぱりどの媒体も一長一短があるのかなと思いました。
追記:新連載のラブコメ(?)にも目を通して下さりありがとうございます。
あの作品は作者の悪ノリで構成されておりますので、本来のラブコメとは大きくかけ離れている事をご了承いただければ幸いです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
MOでまあ、時代が知れますよね。たぶん94年くらいの頃です。そこからほぼ10年はMOとCD-Rがバックアップ・メディアとして私の所では活躍していました。
時代はもうDVDも越えてBlu-rayですし、MOは死滅してるし。USBメモリの比較的低容量の物を使って保管するのが、良いのかもしれません。
現に物置にある5インチと3.5インチのフロッピーディスクは、ほぼ読めない状態です。
やはり、紙媒体が一番強いかな。もっとも、プログラムとかそのデータは紙に出せない。(非現実的な枚数を必要とする)
文字とか絵になるものは、紙媒体がやはり最強。
写真もそうですね。昔のフィルムとプリントした写真は長い時間たっても残っているけど、デジカメで取った写真はごく一部のプリントしたもの以外、デジタルメディアに入れてしまっていて、すぐには見れない。
時間がたった時にこそ、分かります。
その時の便利さの裏にある不便さ、それが使えなくなった時、どうするのか。
紙に関しては、クラフト紙の封筒に入れてあるものは、全てその当時のまま残っていました。やはり保管状態さえよければ問題ない。
フロッピーはたとえ保管に気を付けても、磁気が飛んでしまってれば同じことですし、そもそもフロッピーディスクドライブが、動くものがあるのか?
今のPCにつながるのか? です。
昔のPCが手に入って動いて読めたとしましょう。しかしUSBもついてないか、ついていてもOS規格が古いので、今の小容量なUSBメモリですら、認識が出来ない。つまり現在のUSBメモリにバックアップが出来ない。
(古い低容量の物を見つけてくれば可能です。)
あの当時のHDD容量は、500MBとか800MBですごいとか言ってた時代です。まあ、デジタルの世界のハードは移り変わりが早すぎて、メディアはよほど気を付けていないと、デジタル化石になってしまうという。
件の設定の紙とスケブが失われたのは、スケブが大きいのでクラフト紙の封筒に入らなかったために、なにか別の場所に保管したのが敗因です。スケブは小さいと描きにくいし、なかなかむつかしい。
ラブコメの件、了解しました。
それでは。
第10話 当てにならない記憶への応援コメント
それはそれはもうっ! 読み手としては楽しみに待つしかないですね☆
作者からの返信
コメントありがとうございます。
うわぁ。期待されると……すぐに出てくるようなことは絶対にないです。
設定作るのに、以前も1年ほどかけているので、今の私がやったら、1年でできるのか?って感じですね。あまり凝り過ぎずにやるしかなさそうですが。
言ってみればTRPGのシナリオ作るために、どれだけ周りを設定しておくか? みたいな感じなんですよね。
小説の中の細かい話は、頭の中のアドリブと言ってわかりますでしょうか。流れとか勢いとか、アドリブで作っていく。
ある種のひらめきとか思いついたことをその場でメモして練り込んで、自分の言葉にしてみる。その為にはかなりの部分で設定の裏付けが欲しいんです。
それで、ちゃんと背景世界を作りこんでおく。というのが私の考え。
プロットは、ゲームマスターの予定する方向で、内心考える所の(お前たち、進む方向はこっち、こっち)みたいな感じが、私の作りかた。
流れが悪いと、全部捨てて作り直しもある、効率悪いやり方です。
私が現代ファンタジーを読むことはあっても、書かないのはこの「世界設定を作っていく楽しみ」がほぼないからなのかもしれない。
それでは。
第4話 槍は斬る物ではなく、通すものへの応援コメント
すごい!本当にウルっと来ました。
本当に待っていた彼氏さんも、寝ずに信じて向かい続けたお嫁さんも。
艱難辛苦の果てに満願成就に至る
と言う言葉も合わせて思い出しました。
先の一期一会ではありませんが、一縷さまと繋がれてよかったと思っています。
作者からの返信
感想をありがとうございます。
「心に沁みる夜汽車」は、実話を元に再現映像で構成され、そして御本人も紹介されたりする番組です。
毎回いい話ですが、この時の話は特に心に沁みました。
今の便利すぎる世の中では、まずありえない、物語の様な実話。
大切なもの。「相手を信じる心」をこの話に見て、恥ずかしい話ですが涙が出ました。
そして、老紳士の格好良さに痺れました。
大正時代の教養人がお年を召された姿があれなんだな。と。
ああいう風にはなれそうにはないけれども。
読んでいただきありがとうございました。
第2話 春雨と苦い記憶。への応援コメント
それぞれ人が持つ経験と言うのは【成功体験】【挫折体験】その全てにおいてその人を形作る【経験】になります。
今でもお母上を思い出されると言う事は、余程良い親子関係を築かれていたのだなと無粋ながら推測させて頂きました。
それが一縷様のお優しさになってずっと残っていらっしゃるのかなと。
やはり言葉の力はすごい。
このお話で、優しい気持ちに、人を大切にしようと言う気持ちになれました。
第1話 挨拶と車と等価交換への応援コメント
私も好きな一期一会。
挨拶から始まるのにその挨拶すらしないのはもったいない。
今は色々な事案なんかもあり、挨拶するだけで目の色を変える
母親や女性も存在します。
……こういう状況を作った人間もそうですが、挨拶をしないのは
寂しい。
それを一度付き合いを始めたら長く続く、共にする車に例えられたのに引き込まれました。
作者からの返信
読んで頂き、ありがとうございます。
返事が遅くなりました。
挨拶をしないのは、たぶん相手を見ていないからなんだと思います。
今は難しい時代になったのかも知れませんが。
一期一会はいろんな事に当てはまるんだなと、実感するようになるには、やはり人生経験を積む必要が有るのでしょうね。
車は、古いのが好きなのでついつい買い替えの出来ない車種を選んでしまう。出逢えたら、それが買う時。一期一会です。
第9話 掲示板は諸刃の刃への応援コメント
斑猫です。
今個人的にとても気になっていた内容だったのでやってきました。
私は実は昨年末までプライベートでは完全読み専だったのですが、やはり掲示板・SNSの世界は恐ろしいですね。
言葉のナイフもさる事ながら、エコーチェンバー現象も恐ろしく感じます。
気の合う仲間同士で集まっていたとしても(いやもしかすると気の合う仲間同士だからこそ)意見が鋭くなっていくようなものなのでしょうか。
私もしばらくは小説の執筆とアップに注力しようと思っております。
追記:前回近況ノートにお見えになってくださったようですが、すぐに返信できず申し訳ないです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
余程親しい人同士でないと、いや親しい人でもディベートの結果、どんどん言葉が激しく、どぎつくなって行って、喧嘩別れ。と言うのは十分あり得ます。
それが文字の世界だと、簡単におきるのです。
これが多数対小数になってしまうと、同調圧力が一気に働きます。
少数側が塗りつぶされるか、そこに居場所をなくすか、という現象が起きます。
突き進むと、絶対に折り合えない所まで行ってしまいます。溝が深くて埋められない。基本的な所での認識の違いが浮き彫りになる。
そうなると、もう言葉では分かり合えない平行線に入る。
それは怖い事なので、そういう考えもある。こういう考えもある。を認め合わないといけません。
前回のコメントですが、削除してしまったので、お気になされているようですが、公募を目指している人と、公募は目指していないが、『幼稚化』していく今のライトノベルは何とかしないといけないと思う人々による創作論は、全く別物になる。
ということをそこに書いていたのですが、プロを目指す人は、レーベル事情を考慮した作品作りと利益を出さないといけない。
そのための創作論が必要なるので、そこは別物であり、分けて考える必要がある。
それで、
ーー『エコーチャンバー』に陥らない様。お気を付けください。
これからも楽しみにしています。ーー
と結んだのですが、斑猫様にこれは不要であろう、プロを目指している人ならば、全く違う創作論を書いているはずだと思って、削除しました。
申し訳なかったです。
ただ。『エコーチェンバー現象のリスク』はどこかで、書いておこうと思い、今回、日々思う事。のほうに書き留めました。
読んでいただいて、ありがとうございました。
第9話 掲示板は諸刃の刃への応援コメント
もう20年程前のお話です。
当時某巨大掲示板を媒介にサークルを作る時、この「荒らし」や「モグリ」をどう対処するかという課題に当たった時、各個人でHPを作り、その上で個人掲示板を作り、ここのお互いのやり取りの中で、信頼度を高め合うという、かなり特殊なやり方でサークルを作った経験があります。発足当時は3人でした。
※さすがに皆さんもうご結婚されていますので、滅多に会いはしませんが、それでも稀に連絡は取り合える仲になりました。
同じ作品を好き同士で話をしても、外部からなのかそれとも派閥なのか、必ず意見は割れて、批判の嵐になります。
そしてその批判の嵐が、言葉の暴力と同調化につながって行きます。
当時同じ作品同士で意見が割れた時も、批判合戦になった時もしんどかったです。
例え言っている事が正しくても、言葉を使う以上何をどう伝えても良いと言う事は決してあり得ない事。その時に学んでいます。
お兄さんもしんどかったんじゃないでしょうか。間違いなく意図した使われ方をされなくて、対面でのいわゆる「オフ会」に切り替えざるを得なかったのだと思います。
※私たちもそうでした。
意見の叩き合い(ディスカッション)は大いに結構ですし、私も喜んで参加したいくらいですが、無制限の言葉の中で行われる批判は、同調圧力と何ら変わりないと思っています。
ですので私は、言葉にはできうる限り気を付けて今後も発言して行きたいなと思う所存です。
私たちは言葉を文字に変えて、それを残したい(書籍化したい)と思ってらっしゃる方が多いのですから。
作者からの返信
コメントありがとうござます。
同じ趣味で、同じ作品が好きでも意見が割れる。
それが、小説だろうとアニメだろうと。
あるいは音楽だろうと。
若いと、それも1つの見方、これも一つの見方というのが、出来ないんですよね。
どうしても、白黒つけようとする。
そしてだんだん、言葉は荒くなって行く。
或いは、自分の見方を増やして相手を圧倒する。
或いはまた、相手を威嚇せんばかりの言葉に変わる。
そう言う話をする人とは、やはり顔が見えていないと、上手くいかない。
オフ会で。となるのは自然の流れなのでしょう。
あの当時、オフ会という言い方すらなかった時代です(汗
>無制限の言葉の中で行われる批判は、同調圧力と何ら変わりない
正しく、仰る通りです。
自分も、こういうざっくばらんなコラムであってさえ、言葉に最低限、棘は無いのか、気を付けていきたいと思っています。
それと、兄はホスト局を畳んだ時に、部屋で一人静かに泣いていた位だから、しんどかったんだろうなと思い、それ以来掲示板の話は、私からはしなくなりました。
もう本当に昔の話です。
ありがとうございました。
第8話 UTF-8N問題への応援コメント
原稿の手書き発想で且つオンラインはカクヨムだけな愛宕としては、全く考えもしなかった壁です。本格的にタイピング原稿をやっている人には、規格の確認も事前にやっておかないと面倒なことになりますね。コード変換して別名で保存というのはできないものですかね。素人ですいません。
作者からの返信
こんなマニアックな話題に感想をありがとうございます。
私は文字コードを別にしたものを、同名ファイルで、別フォルダーに保管している状態です。
私も原稿は殆どの場合、コピー用紙に乱雑に手書きして、それをPCか、または手元にあるAndroidタブレットで、入力し清書の代わりとしております。(流石にスマホで入力するのはきつい)
規格そのものは、たぶんまぜこぜにしないようにさえすれば、大丈夫でしょう。
小説投稿サイトの方は、Shift-JISもUnicodeもUTF-8もUTF-8Nも、全てファイルでも受け付けるようになっているはずです。
ファイルでの投稿を受け付けないサイトの場合は、サイトの投稿欄を開いてコピペ、または直接執筆なので、文字コードを意識する必要はないですね。
私みたいにAndoroidとPCを併用して、原稿を紙から入力してる様な人だと、文字コードの扱いには気をつける必要はあります。
それでも、直接投稿してしまうなら、問題はまったくないのですが。
PCで管理して、そこにあるファイルをAndroid端末で編集しようとか考え始めると、こういう問題に当たったりする。という話でした。
(誤字脱字、誤変換の発見や推敲にはタブレット端末で、気が向いた時にゆるく行っているので、グーグルドライブでの共有はとても重要なのでした。)
愛宕さんも健康にはお気をつけて。
それではまた
第7話 いつからSFは……。への応援コメント
斑猫です。
いつも色々とコメントを拙創作論にお寄せいただきありがとうございます。
返信がへっぽこすぎてさらに追記までしてくださるので恐縮です……
親が見ていたSFがスター〇レックとかですので、それに較べるとカクヨム上のSFなんてもう絶滅したのかな、なんて思ってしまいますね。実際には「埋もれている」だけなのかもしれませんが。
ただ私は守備範囲が現代ファンタジー~伝奇ホラー系統ですので、どうしてもファンタジー作品の劣化とテンプレ要素の侵蝕ばかり意識してしまいます。ですのでこの度のコラムは勉強になりました。
もちろん、ファンタジーであっても(舞台が異世界・現代を問わず)練られている作品はございますし、スコッパーとしてそれを掘り当てるのは中々楽しゅうございます。
一縷 望様も充実したカクヨムライフが楽しめるよう応援しております。
ではまた。
作者からの返信
感想をありがとうございます。
つい、体調が悪いままあれこれ読んで、最近感じているいらだちが文章になってしまい、投稿してしまったので、ちょっと反省しています。
反感を持たれる方も多そうな気はします。
私の見ていたSFがス〇ートレックのTV版再放送とか、70年代から80年代の頃のTV版が多く(宇宙空母ギャ〇ク〇ィカとか)、トレックやス〇ーウォーズの映画などですし、漫画なら星野之宣氏やその他SF系の話を描く先生方。小説ならば80年代、90年代の早川文庫ですので、ついつい、最近のVRメインな、あるいはVRMMORPG風ゲームをSFと名乗る小説に、がっかりが多く、こんな文章を書いてしまいました。
仰るように、ファンタジー作品の劣化とテンプレに形を借りた、強烈な作中主人公の自己欺瞞と作者のご都合主義満載なお約束作文が跳梁跋扈している状態を憂いているコラムは幾度となく読ませて頂きました。
それに触発されて、いくつも自分のPCには、そう言った事への批判的な文章を書いたりもしましたが、批判だけではしょうがないなと、フォルダーの肥やしになっています。
SFに関して言えば、ここカクヨムでもちゃんとした作品を書いている方も何人もいらっしゃいます。
まだまだ自分のスコップが足りないんだとは思います。
応援ありがとうございました。
斑猫様もお体には気を付けて。
それではまた。
第5話 車のバッテリーと煽られ運転と港の公園への応援コメント
私も4AGに乗っていました。
若かりし頃は、それこそイニDが描かれる前から、赤城、榛名と遊びに行っていましたが、公道は公道として自重していたものです(笑)
クルマなんて、アクセルを踏めば誰でも速く走れます。
でも、止まったり曲がったりというのは、路面状況、タイヤの摩擦、慣性力など様々な要因があり、とても難しい。
力を手に入れてしまったドライバーは時にそのことを忘れ、全能感に浸るのでしょう。
その先に猫が飛び出すかもしれない。
その先に子供が飛び出すかもしれない。
そう言った想像力の欠如が、あおり運転や様々な事故につながるのかなと思うのです。
一部分だけ抜き出しての感想ですみませんです。
作者からの返信
こんな日々のエッセイに感想ありがとうございます。
高性能な車に乗っていれば、それは誰だって、速度は出せるでしょう。
と思います。
ですけど、おっしゃる通り、色々な要因があります。
私は公道において必要なのは、「節度」だと思うので、他の車の邪魔をしない程度に、安全運転です。読まれたのならお分かりだとは思います。
独り言で、「フィフティ、フィフティアンダー、フォーティ」などとラリーじゃあるまいが言いながら走ってたりします。
口に出すことで、速度を守ろうぜ、みたいな感じです。
自分の運転が荒いな、と思ったら、口に出すようにしているのです。
「スローダウン、レフトターン」とか言いながら。
じゃあ、なんでそんな「GTカー」に乗ってるんだ。
「なんちゃって、走り屋かよ」と思う人々もきっといる事でしょう。
ですけれど、今の適当な大衆車には、操る楽しさとか、元気に回るエンジンとその音と振動とか、そういう物が欠落しているものが多い。
全部とは言いません。マツダとか頑張ってると思います。
適当に元気な「マニュアル」の中古車でそう言うのを選んで、散歩?車にしていると、なぜかイキった走りの方々に、突っかけてこられるなぁ、と言う、独り言でございます。
駄文でございます。ありがとうございました。
第5話 車のバッテリーと煽られ運転と港の公園への応援コメント
お山を走っていた前オーナーのFR。そして2,000㏄。
当時のフォルムで一番カッコいいと愛宕が認めていたのは「ソアラ」なのですが、ちょっと違いますかねぇ。ちなみに愛宕は、若かりし頃にMR2で榛名山をグルグルしてました……と、どうでもいい情報をそっと置いて帰ります☆
作者からの返信
感想ありがとうございます。
10年ほど前に中古車買ったお店の店長さんは、若い頃は借金してまで新車の「ソアラ」だったそうです。
あの当時、「ハイパーデートカー」とか、呼ばれてました。(汗
女性に声かけて、横に乗せてデートして、最後はラブホとかいう、パターンコースがあったとかなんとか。(苦笑)
愛宕さんもお山ぐるぐる組、しかも榛名山とは。聖地ですね。
MR2で榛名山とは、本物の走り屋さんでしたか。
私はそんな度胸はないです。
アルテッツァはRS買うお金がギリギリ用意できなくて。
そしてロードスターは地味に値段が上がってしまったので、これまた予算オーバーでした。
まあ、私の愛車は秘密です。
それでは。
第4話 槍は斬る物ではなく、通すものへの応援コメント
まさに鋭い槍(遣り)のように、深く心に刺さった気がします。
こんな老紳士みたいになりたいと憧れますね。
作者からの返信
なりたいと憧れます。
たぶん真の教養が無いと咄嗟にこういう言葉は出せないんでしょうね。
駄文ながら小説を書くようになって、辞書をこまめに引くようになりました。
日々、勉強します。
第4話 槍は斬る物ではなく、通すものへの応援コメント
心に刺さる名言ですね。
愛宕も何となく「切る」と「通す」を同じように解釈していました。勉強になります☆
作者からの返信
これが50年以上前の実話だから、なおさら胸を打ちます。
新幹線が東海道しかなく、その東海道新幹線もそう沢山は走っていない。携帯電話など無い。
不便と思える、その裏側には物語がありました。便利すぎる今の世の中には、考えられない物語でしょう。
件の彼女は、この老紳士の言葉がなければ、諦めていたと思う。
あの言葉に背中を押された。
そう語っています。
名前も知らぬ、その老紳士の機知に富んだ返しの言葉が、とても素晴らしい。
私も、この番組を見て辞書で何度も意味を確かめました。
いつか、さらっとこういう言葉が言えたらと、憧れます。
第1話 挨拶と車と等価交換への応援コメント
挨拶しない大人…増えた気がします。子供はきちんとするのに…これもちょっとした気持ちの譲合いなのですよね。挨拶を返さない大人のせいで、そうしたコミュニケーションにうんざりしていく子たちになっていくのかなと思うと気持ちが暗くなりますね…
油、鉱物、海産物…わたしたちの世界はかつて棲み分けられていたからこそ、保ててていたのかも知れませんね。譲り合うことは出来るんでしょうか…
作者からの返信
感想をありがとうございます。
見ていると、挨拶できないのは、中学生のあたりから目立ちますね。
親が挨拶をしない人々なんだなと、思いました。
私には子供はいませんが、どこでも「おはよう」とか「こんにちわ」とか、声はかけていますが。
でもこれも、ヘタすると不審人物として通報されるのだとか。もう世の中がおかしいのかもしれませんね。
譲り合うというのは、とても難しいのです。
私もいまだに車の運転で、相手に譲るというのが、自然にできない。意識して、やってる段階です。亡くなった兄はこれがまるで呼吸のように出来ていましたが。
性格によるようですね。
自然物の譲り合いは、自分さえよければよしという国が1つでもあったら、成り立たないので、これもまた難しいとは思っています。
第41話 コミック化のための原作について。への応援コメント
ああ、それぺけったーで私もチラ読みしたかも…
小説と漫画原作の違いなんて、何が違うんじゃ~!!というのが素人の意見かと。
脚本やシナリオという形で募集すればいいのでは?
ってちょっと思っちゃいました。(;´・ω・)
作者からの返信
いつも感想、ありがとうございます。
コミック化されるためのラノベというのは、大抵書籍化もあったりします。
脚本、シナリオという形で募集しているコンテストもありますので、このプロの方が読まされていたのは、あくまでも、書籍化もあり、コミック化もあり、という前提での募集だったのでしょう。
実際、アニメではなく、漫画でやろうとしたときに、描けないシーンと、動くアニメにする時に困るシーンというのは、それぞれ違います。
だから、小説の書き手は、そういうコミック化前提となっている所に応募するなら、最低でも全編映像化を頭の中にできるのか、それくらい考えてから書いてくれっていう事なんだろうと、私は思いました。