舞台・アローン
隠井 迅
第1話 物語の舞台探訪とは
「なんか、つまんない」
だから僕は言ったんだ。きっと、君にはオモロないって。
僕の趣味の一つは、物語の舞台探訪(たんぼう)である。
これを、一般的な呼び方で言い直すと、いわゆる<聖地巡礼>だ。
しかし、オタク趣味の持ち主ではない一般の人に、「趣味は何ですか?」と尋ねられた時には、「旅行です。とくに独り旅ですね」と答えることにしている。
というのも、仮に「聖地巡礼です」と言った場合、文字通りの意味で、聖なる地を巡っていると解釈されることもしばしばで、その場合、説明に時間を要して、面倒くさい思いを何度もしてきたからだ。
聖地巡礼の一般的意味とは、教会や神社仏閣、あるいは、その宗教に関する奇蹟が起こった場所などを参拝するために巡ることで、巡礼は、その宗教の信者にとっては特別な行いで、例えば、四国の八十八か所の霊場を巡る、<おへんろ>などがその代表であろう。信仰心がもっと軽い聖地巡礼だと、<御朱印集め>も、これに含めることができるかもしれない。
これに対して、少しでも何らかのオタク趣味を持っている同好の士に、「他に何か趣味とかあるんですか?」とか、「どんな目的で地方に行ったのですか?」などど訊かれた場合には、「<聖地巡礼>です」と答えることにしている。
オタク仲間に対して聖地巡礼と応じた場合には、今度は逆に、教会や神社仏閣に行っていると思われる事の方がむしろ少なく、漫画やアニメなどの舞台となった地の訪問と即座に理解されるので、この<聖地巡礼>という語の新たな使い方は、実に使い勝手が良く、非常に便利な言い回しなのだ。
なるほど確かに、オタクに自分の旅の目的を説明する場合には、<聖地巡礼>というタームは利便性があるものの、他者に簡単に説明する必要もない時には、僕は、この<聖地巡礼>という言葉を使わない。聖地の<神聖>なる地というそもそもの意味を考えると、神性も聖性もない、単なる舞台になった地を<聖地>と呼ぶのは大仰に思えて仕方がなく、どうしても気恥ずかしさを覚えてしまうのだ。
だから、僕は、何らかの虚構作品の物語の舞台を訪れる際には、<聖地巡礼>ではなく、その代わりに、<舞台探訪>という語を使うことにしている。
もちろん、旅に出た時、一般的な観光地を訪問したり、神社仏閣で御朱印集めをすることもあるにはあるのだけれど、僕の旅の主たる目的は、虚構作品における物語の舞台探訪なのだ。だから、日程の問題で、時間の余裕がない時には、舞台探訪の方を優先させてしまう。
そして、限られた時間内で舞台地を効率的に巡るためには、事前準備を怠るわけにもいかない。
まず、訪問予定地を舞台とするアニメ作品を繰り返し観て、舞台地を把握する。そして、ネット上の地図アプリの現地の写真と見比べながら、アニメの背景地の大体の位置を確定する。その上で、どういったルートで移動するのかを、あらかじめ考えておくのだ。
それだけ準備をしても、実際に現地を訪れてみると、背景地が正確には分からないケースも多々あって、その場合には、アニメのシーンと実際の場所を見比べながら、周囲を経巡って、背景地を探し歩くのだ。
そうして、事前調査でもはっきりと分からなかった場所を、現地を訪れたことによってようやく特定できた時の<発見>の喜びは、まさに至高の瞬間である。
こうして、場所が特定できて初めて、ようやく<カット回収>に取り掛かる事が可能になる。
ちなみに、カット回収とは、アニメのシーンと同じ写真を撮ることなのだが、この時に肝要なのは、持ってきたタブレットで視聴していた動画を一時停止した上で小窓にし、それを確認しながら、作品の場面と可能な限り同じアングルでカメラに収める事である。
そして写真を撮る時には、他の人が映り込まないように注意したり、背後の通行人にぶつからないように配慮したりもしなければならず、撮影の待機には割と時間を要する。
つまるところ、北海道や京都のある場所が舞台になっていたとして、その地に行けば、それで<聖地巡礼>をしたという話にはならない。作品をどんなに観込んで、いかに事前に準備をしたとしても、予定している以上に時間を要するのが、僕が行う舞台探訪なのである。
さらに、背景地を訪れた際には、一度の訪問でカットを可能な限り全て回収したいという欲望も生じてしまう。
たとえば、京都を訪れたとして、京都は、一つの作品の一つのエピソードにおいて一か所だけが舞台背景になっているわけではない。つまり、ある一つの地が幾つもの作品で背景になっていたり、ある作品で、何か所もの地が舞台になっているケースもある。
その場合、短い滞在時間で可能な限り、<舞台探訪>をして<カット回収>に勤しもうと思うと、折角の京都だとしても、普通の観光をする時間などなく、食事に時間を割く余裕がないことさえもある。仮に、舞台探訪と食を絡ませることがあるとしたら、それは作中人物が何かを食べている時だけなのだ。
こういった旅行のあり方を、非・舞台探訪者に語ると、せっかく旅をしているのにもったいない、と言われることも稀ではない。自分だって、時間の余裕があれば、観光地を巡って、さらに、地元の食も堪能したいのだが、食事って結構時間をくうのだ。何かを食べている間に、あと数か所、背景地を回れると考えると、その時間が勿体なく思えて仕方がない。
舞台探訪を主目的にしていると、こういう発想をしてしまうことが多々あるのだ。
名所景観の地にもいかず、名産も食べず、ひたすら物語の舞台背景地を訪れる、そのような旅のあり方が特殊であることは重々承知しているので、自分から他者を舞台探訪に誘うことは基本的にはない。
だが、時として、僕流の<舞台探訪>に同行したがる人もいて、求められた時には応じることにしている。
しかし――
作品の愛好者以外には、舞台背景地は普通の場所に過ぎないことが多い。そして、仮に作品を見たことがあるとしても、相当作品を予習しておかないと、僕の奇行に付いて来ることは難しい。しかも、ちょっと考えられないくらい歩き回る。
結局、一回は付き合ってくれても、再度、同行を希望されることは決してない。
これは、まだましな方で、あからさまに不満を言ってくる輩もいる。だから、一緒に来ても君には面白くないよって言ったのだ。
そして――
今日もまた、僕は、物語の舞台探訪地でアローンなのである。
<了>
舞台・アローン 隠井 迅 @kraijean
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