ネコ様と俺と非対称性

芦原瑞祥

下僕、大いに悩む

「んもう、尊い~~!!」


 いつもはクールな純子が、足をじたばたさせながら黄色い声をあげる。

 さすがにカフェの中だから音量は抑えてくれているけど、そもそもカレシである俺の隣でBL小説を読むってどうなんだ?


「俺は男だからよくわからないんだけど、その、ボーイズラブを愛好する心理ってのは何なのかな。男女恋愛における女性キャラだと鬱陶しいとか、適度なファンタジー感がいいとか?」


 うーん、と言いながら純子がアイスコーヒーを飲む。

「理由は人それぞれだろうし、言語化するのが難しいな。強いて言うなら、二人の関係性が非対称じゃないから、かな」


「それは関係がつりあっていて平等ってこと?」

「うん。男女って、だいぶ是正されてきたとはいえ、やっぱり格差があるじゃん。デート代割り勘が当然とはいえ、まだまだ女性の平均賃金の方が低いし。同棲とかすると家事の負担はいつの間にか女性が多くなるし」

 そのあたりは、純子の友達の愚痴を伝聞しているから何となくわかる。そして若干耳が痛い。


「それに、有名な漫画家の先生が仰っていたのよ。少年と少女の恋愛を描くのは制約が多くて、少女が木に登るのすら理由が要る。でも、少年同士だと自由に描ける。女性読者はそれを読むことで『女の子らしさ』から解放され自由になれるって」


 女性として生きるのはいろいろ大変で、純子が純文学で書き表そうとしているのはそのあたりなんだろうな、と思いつつも俺は、純子が女性でよかったと思ってしまう。これって勝手なのかな。


 関係の非対称性かぁ、とつぶやきながら俺はアパートに帰る。


「にゃーん」


 ネコ様が玄関まで出迎えに来てくれたかと思うと、ぷいっと立ち去ってしまった。

「拗ねてるんですか? ネコ様。遅くなってごめんよー。今日もかわいいよ!」


 ひとしきりナデナデして、ネコ缶を開ける。しかし食べてくれない。

 もうこの味は飽きてしまったのかと、俺は別のレトルトを開ける。


 ようやく食べてくれた。俺は隣にスタンバイして、餅つきのような間合いで散らばった餌を一カ所に集める。

 ネコって何故か、バラバラに散らばった状態だと「餌がない」と認識するんだよなぁ。


 何度かおかわりして満足したネコ様が、布張り椅子に飛び乗って顔を洗う。

「君臨ですか! カッコイイ! 絵になる! どうしてそんなにかわいいのかな? そうか、ネコだからだね。愚問だったー」

 俺が褒め称えている間も、ネコ様は我関せずといったように毛づくろいをする。


 尊いってのはこういうことだよな、俺の場合。大事すぎて、愛しすぎて、計測しきれない感情が天井まで突き抜けた感じ。


 でも。


 純子が言っていた「関係の非対称性」という言葉がよみがえる。


 ネコ様のことは大事にしている。俺は飼い主だけど「ご主人様」なんかじゃなく「下僕」が近い。それでもやっぱり、ネコ様と俺の関係は格差がありすぎる。


 だって、ネコ様は俺がいなくなったら生きていけない。


 もし俺が出先で事故にあって、一週間ほど意識不明になったら? そのまま死んでしまったら? 

 ネコ様はこの部屋から出ることができない。水もご飯も、俺が出してやらないと食べられない。


 真っ暗な部屋で痩せ細りながら「ご飯ちょうだい、お水ちょうだい」とドアを引っ掻くネコ様を想像すると俺はたまらなくなって、時間になるとカリカリが出てくる自動給餌器と、ペット用自動給水器をネットで注文した。

 これなら数日は時間が稼げるから、その間に純子か実家の親がネコ様を助けてくれるだろう。


「夏冬はエアコンつけっぱなしだから大丈夫だよな。……でも落雷や地震で停電したらどうしよう。いや、もっと怖いのは通電火災だ。火が上がっても、ネコ様はこの部屋から逃げられない」


 調べてみると、災害時のブレーカー遮断装置というものがあるらしい。俺はそれもポチッと購入する。


「でも、そもそも大地震が来たら、俺が一緒にいようがいまいが、ネコ様を守り切れるだろうか……」


 とりあえず倒れそうな家具には突っ張り棒だ。できるだけ棚の上に物は置かない。ガラスには飛散防止フィルム。それから、それから。


 もし避難するとして、パニック状態のネコ様をつかまえてキャリーバッグに入れられるだろうか。ペットOKの避難所は? そもそも俺が負傷して動けなくなったら? 純子も親も被災して助けに来てもらえなかったら?


 考えれば考えるほどつらくなってきて、俺は涙ぐみながらネコ様を抱きしめる。


「ごめんよ、こんな頼りない飼い主でごめんよ」

 頬ずりする俺にネコパンチをくらわせて、ネコ様が走り去る。


 膝を抱えてべそべそしていると、携帯が振動した。純子からの定期連絡だ。


『今日はトータル五千字執筆。そっちは?』


 のろのろとスマホを持ち上げて、俺は返信する。


『あれから書けなかった。にゃーん』


 感情を言語化できないとき、俺は「にゃーん」を多用する。純子からは「ちゃんと言語化する努力をしなさい」と言われているけれど。


 とたんに電話がかかってきた。純子だ。


「なーに落ち込んでるのよ?」

「え、なんで俺が落ち込んでるってわかったんだ?」

「『にゃーん』一回のときは大体しょんぼりしてるでしょ。言いたいことがあるときは『にゃーにゃー』だし」


 まいったなと思いながら、俺は純子に経緯を説明した。

「だから俺に何かあったらネコ様を頼むよ……」


「わかったわかった。でも、そういうのを杞憂って言うんだよ」

「杞憂じゃないよ。危機管理だよ」

「対策は危機管理だけど、まだ起こってもいないことで落ち込むのは杞憂でしょ」


 純子の言うことはいつだって正論だ。

「でも、たとえば、俺みたいな一人暮らし会社員のところじゃなくて、庭付き一戸建てで常に誰かが家にいるようなファミリーのところに拾われていれば、ネコ様はもっと幸せだったんじゃないかって思ってしまうんだ」


「じゃあ、ネコ様にいい里親のクチがあったら、そっちに託す?」

「いやだ!!」

 俺は即答した。


「だったら、どこかで割り切りなさいよ。絶対に安全安心なんてことはあり得ないんだから。精一杯の対策を立てたら、あとは昔のドラマみたいに『僕は死にましぇん!』って言い切れる強い意志で、ネコ様のために生き抜くしかないんだって」


 電話をしている俺が虚空に向かってブツブツ言っているように見えるのか、ネコ様がやってきて俺の足に頭をなすりつけ、「にゃーにゃー」と鳴き始める。


 かわいいネコ様がいて、しっかりしたカノジョがいて。当たり前だけど幸せな日々を、いつの日か「尊い日々だった」と指をくわえて見上げるのだろうか。


 どうか少しでも長く、この日常が続きますように。

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ネコ様と俺と非対称性 芦原瑞祥 @zuishou

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