冒険者の尊厳 ギルドマスター・モーガンの奮闘記

荒木シオン

冒険者ギルドマスター、モーガン・アバン

 アーベント王国最北端セーヴェル領、領都りょうとシャマール。

 その冒険者ギルドの執務室で男は頭を抱え、デスクに広げた書類を睨み付けていた。

 巨漢きょかんといって差し支えないいわおのような赤髪の男が小さく背を丸めうなる姿に、


「マスター? また領主様からの無茶振むちゃぶりですか? どうぞ、お茶です」


 彼の秘書である青髪の女性リリナ・リリエールは心配そうに声をかける。

 しかし、男はれ立てのそれを無言で受け取り、一口飲むとまたうなり出す……。

 その様子に、これは重症だな、とリリナは軽く溜め息をき肩をすくめた。


 書類を睨む彼の名はモーガン・アバン。この領都の冒険者ギルドを束ねるギルドマスター、その人である。


 数時間後。

 モーガンはようやく書類から顔を上げる。そうして、すっかり冷え切ったお茶を一気に飲み干すと、


「クソがっ!! こんな依頼、誰も受けるわけねーだろうがっ! あの馬鹿領主めっ!」


 拳をティーカップごとデスクに叩き付け、天をあおぐ。


「もう、物に当たらないでください。意外と高いんですよ、そのカップ。あと、お代わりをどうぞ」


 空になったそれに熱いお茶を注ぎながらリリナは眉をひそませ注意する。


「すまない……。だが、これはあまりにもな……。あの馬鹿息子が……冒険者を便利屋かなにかと勘違いしやがって……」


 モーガンは愚痴ぐちりつつ心を落ち着かせようと、れ立てのお茶を口にする。そんな彼に一言断ってから、リリナは元凶の書類へと目を通す……。

 内容は鉱石採掘に関する依頼の申請。それだけなら普通だが、加えて例年この時期に鉱山周辺で動きが活発になる魔物の討伐も抱き合わせで発注してきていた……。


「うわぁ~……。え? これで報酬が去年請け負った鉱石採掘の依頼と同額とか……。まさか、魔物の討伐はサービスでやれと? 前年はちゃんと別件で申請されてましたよね?」


「あぁ。だが、今年からは違うんだと! しかも、断れば今後は鉱山における冒険者の行動を制限するとぬかしやがる……」


「それはそれは……いや、でも、それは結局、巡り巡って損をするのは領主様では?」


「そこが分からねーから、馬鹿息子なんだろうが! はぁ~、爺さんも爺さんだ。急にポックリ逝きやがって……」


 自分のような小娘でも分かることが理解できない領主がいるのかとリリナが小首を傾げれば、だから新領主はダメなんだと盛大な溜め息を吐き、前領主の死を嘆くモーガン。


「でも、実際どうするんですか? これ? 鉱石採掘はまだいいとして、魔物の方は時期的にそろそろですよ?」


 どこかうんざりした様子で摘まんだ申請書をピラピラと掲げるリリナ。

 そんな彼女からモーガンは書類を奪うような勢いで掴み取り、握り締めると、


「決まってんだろう。直談判じかだんぱんだ。冒険者の尊厳を守るのが俺の仕事だ!」


 そう力強く宣言し、執務室をあとにする……。その背を見送りつつリリナは、今日は残業確定かなー、などと思いながら少し冷めたお茶をひとり口にするのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 アーベント王国最北端セーヴェル領は、高い山々と万年雪まんねんゆきに閉ざされ王国でも最も過酷かこくな環境とされる僻地へきちである。

 そんな辺境へんきょうで人々が豊かに暮らしていけるのは、ひとえに土地の恩恵おんけいあってこそだった。


 セーヴェル領を他領から隔絶かくぜつさせる原因である山々、それが数多くの豊かな鉱床こうしょうゆうし、そこから産出される鉱石や宝石を求め、国中から多くの冒険者や商人が訪れるのだ。

 だからだろうか、モーガンが領主と話をするため館を訪れたとき、対応した彼の態度は随分ずいぶん不遜ふそんなものだった。


「つまり? なにかね? キミら冒険者ギルドはあの報酬では依頼を請け負えないと、そう言うのかね?」


 応接室のソファーに深く座り足を組み、対面するモーガンへさげすむような視線を向ける小太りの男。彼こそセーヴェル領の現当主、ナール・セーヴェルであった。


「先ほどから申し上げている通りです。あの額では採掘がやっと……。到底とうてい、魔物の討伐とうばつまで手が回りません。そうなれば、困るのは閣下かっかの領民です。なにとぞご再考を」


 もう何度目かになるか分からない頭を下げるモーガン。そんな彼を領主ナールは鼻で笑う。


「そこをなんとかするのがギルドマスターである貴殿きでんの仕事であろう? 例えば、そうさなぁ……。冒険者でも新人は報酬が安く済むそうではないか。そいつらを使えば今の報酬でもいけるのではないか? いや、もっと安く済むか!」


 これは良い案を思いついたと、笑う領主の態度に、しかし、モーガンは両手を強く握り締め、歯を食いしばって冷静であろうとする。

 感情に任せるのは簡単だが、それではなんの解決にもなりはしない……。

 

 確かに、新人を使えば報酬はおさえることが可能だろう。けれど、冒険者になりたての新人が過酷な環境を耐え抜き生きる魔物の相手をできるかといえば恐らく無理だろう。

 そんなことをすれば、みすみす命を捨てさせるようなものである……だというのに、それほど簡単なこともこの新領主には分からない。


「お言葉ですが閣下。当領地の魔物は熟練じゅくれんの冒険者でも時には手こずる相手です。新人ではとても手に負えますまい……。ですので、なにとぞ報酬に関してお考え直しを……」


 ただ、知らないのは罪ではない。しっかり教え、状況を理解してもらえば領主も人間だ、きっと話を分かってもらえると信じ、モーガンは説得を続けるが、


「くどい! 報酬は今より減額とし、従事じゅうじさせるのは新人のみとする! これは決定である! もし請け負えぬというのであれば今後、冒険者の鉱山での採掘、それ一切を禁じる! 流石にそれは貴殿も困るであろう? モーガン?」


 領主はニヤリと笑い彼を小馬鹿にした様子で見つめてくる。

 そうして、それが限界だった……モーガンは振り上げた拳をテーブルに叩き付けると凄まじい形相で領主ナールを睨み付けた。


「かぁ~っ! 分かんねぇ~かなぁ~、この馬鹿領主が! そんなことすりゃー、セーヴェル領は一気に衰退すいたいするぜ? 親父さんは優秀だったが、お前さんいったいあの人のなにを見て育った?」


「ヒッ……き、貴様、なにを言って……」


 無頼漢ぶらいかん無法者むほうもの野蛮人やばんじん揶揄やゆされる冒険者を実力で束ねるギルドマスター、その鋭い眼光を本気で向けられ領主は言葉を詰まらせる。


「お前さんの言う通りにことを運んだとしよう? そうしたら次の瞬間、この領に冒険者は寄りつかなくなる。すると、どうなる? 領内や街道には魔物があふれ、鉱石を採掘しようにも採掘できない。仮に採掘できたとしてもそんな危険な領に商人はこねぇーよ!」


 今までの鬱憤うっぷんを晴らすがごとく、感情のままにまくし立てるモーガン。

 しかし、彼の言ったことは何一つ間違ってはいなかった。

 結局のところ、冒険者とは究極の自由人、国から国へ渡り歩く根無し草である。自由に活動できず、リスクしかない土地にはさっさと見切りをつけて消えてしまう。


「ぐっ……だが、それをまとめ上げるのがギルドマスターの職務であろうが! それこそ指名依頼でもなんでも使って縛ってしまえばよかろう!」


 指名依頼、それは緊急時などにおいてギルドが冒険者に向けて発注する強制依頼。原則、指名された側は依頼を断ることが許されない。


「あ? お前さん、国中の冒険者を敵に回すってか? そんなことしてみろ! 冒険者は全員セーヴェル領はおろかアーベント王国からいなくなっちまうよ! こんな危ない国にはいられないってな! アンタにその責任が取れんのか? あ? 取れんのか?」


「ぐっ……ぐぐっ……」


 反論はんろんうつむき怒りからか小さく震える領主の肩を、モーガンはさとすように軽く叩く。


「俺はなにも報酬を増やせとは言っていない。例年通り……お前の親父さん、先代領主がやっていたようにやってくれといっているんだ。なぁ? 難しいことはないだろう?」


 そう言うと現領主のナールは手にした書類になにごとかを書き殴り、


「クソがっ! これでよいのであろう!」


 わめきながらモーガンへ突きつける。手に取り確認すると報酬と依頼内容がしっかり例年通りに修正されていた。


「ヒュ~♪ 流石は閣下。私などのご要望をお聞き届けくださり、誠にありがとうございます」


 受け取った書類を丁寧に懐へ仕舞い、大仰おおぎょうな態度で頭を下げると、


「うるさい! よく覚えておれよ、モーガン! 貴様、ただではまさんからな!」


 そんな彼を一瞥いちべつし領主ナールは捨て台詞を残すと、周囲の使用人に当たり散らしながら応接室をあとにする。

 それを見送り、やれやれと肩をすくめてからモーガンも冒険者ギルドへの帰途きとにつく。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 深夜、冒険者ギルドの執務室へモーガンが戻ると、自宅に帰らずに待っていたであろうリリナが優しく出迎えてくれる。


「お疲れ様です、マスター。今、お茶を準備しますね」


「あぁ、頼む……。いつもすまないな……」


 モーガンの言葉にくすりと小さく笑い返すリリナ。

 そうして彼女がれてくれた温かいお茶を飲み、彼は今日ようやく一息つく。


 アーベント王国最北端セーヴェル領、冒険者ギルド。

 そこには冒険者の自由を、尊厳を守るため、日夜奮闘する一人の男がいる。


                   完


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