尊いあなたを堕としたい

うめもも さくら

悪の姫と英雄

 誰にでも平等なあなた。

 優しいあなた。

 純粋なあなた。

 気高いあなた。

 私にさえ出逢わなければ、ずっとそのままでいられたのにね。


 これぞ、豪華絢爛ごうかけんらんといわれるような城で、この国の姫が笑っている。

 この国の姫はとても美しい。

 それこそ誰もが見惚みほれるほどに。

 けれどこの国にいるどの男も、彼女に求婚しようとは決して思わない。

 見目麗みめうるわしく、この国の姫という申し分ない立場でありながら、これといった縁談話がない理由。

 それはこの国に暮らしている者たち、老若男女ろうにゃくなんにょ問わず皆、彼女の性格を知っているからだ。

 彼女の性格を知れば、一度でも彼女と相見あいまみえれば、彼女に求婚しようとする命知らずはいないだろう。

 美しい花にはとげがある。

 彼女の性格は、彼女の見目の美しさをさせるほどに悪かったからだ。

 悪いなどとは可愛らしい表現だろう。

 みにくいびつゆがみ取り返しがつかないほどねじ曲がって壊れていた。

 これぞ、豪華絢爛といわれるような城で、この国の姫が嘲笑わらっている。


「今日もご機嫌取りお疲れ様!けれど全部捨ててくださる?こんな趣味の悪いもの見たことないし見たくもないわ!」


 姫は、目の前に並べたてられた豪奢ごうしゃな飾りやドレスを一瞥いちべつして、それをみついだ者の眼前がんぜんに立ち、そう言い放った。

 そして口を金魚のようにパクパクとさせ、何も言えないでいる相手にあざけた笑みをさらに深くして、罵詈雑言ばりぞうごんののしるだけ罵ると、姫はきびすを返し自室へと向かう。

 相手が怒りに震え、小さな声でポツリと反論した。


「生意気な小娘め」


 その直後、小気味こきみよく一定のリズムで廊下に響いていたヒールの音が止まった。

 そのままドレスのすそをふわりと揺らしながら、姫は振り返り壮絶そうぜつに美しい笑みを浮かべて言う。


「あぁ、そうだわ!こんな趣味の悪いもの、なかなか見れたものではないし、わざわざ持ってきてくださったのだから……礼をしなくてはね!」


 相手は“礼”という言葉に顔を明るくした。

 そして彼女の言葉の続きを聞くと、一転して深い湖の水底のように顔を蒼白させた。


「町外れの森で、そこのかごいっぱいに木の実をとってきて!それができたら領土をあげるわ!こんな簡単なおつかいで領土が手に入るなんて嬉しいでしょ?それじゃあ……頑張ってちょうだいね?」


 町外れの森といえば、入れば出てきたものはいないと噂され、皆から人喰ひとくいの森と呼ばれた森だ。

 もちろん姫がそれを知らないはずもない。

 絶句している相手に姫は、この上ないほど優しい笑みを浮かべてみせた。


「早くしないと暗くなってしまうわよ?夜の森は寒いらしいから気をつけてね」


「……この悪魔め……私に死んでこいとでも言うのかっ!」


 姫は最後に相手を冷たい瞳で一瞥すると嘲笑った。


「言わなければわからない?」


 その言葉を最後に、姫は美しい振る舞いで自室に戻っていく。

 人喰いの森に、籠を手に持ち入っていったその者をその後、見たものはいない。


 姫が自室に戻ってから少し経った頃、自室の扉が開かれ礼装を身にまとった美しい騎士がうやうやしく入ってきた。


「御呼びになられましたか?姫」


 彼はこの国の騎士であり英雄だ。

 精悍せいかんな顔立ちと、細みの体躯でありながら力は強く、幾度もこの国を敵から守ってきた彼の愛国心には、この国に暮らす貴族も民も王族さえ脱芒だつぼうした。

 この姫一人を除いては。


「遅いわよっ!この愚図ぐずっ!!私が来いと言っているのよっ!?何より優先させるべきでしょっ!?」


 けたたましい声で、姫がひどく興奮した様子でわめき散らす。

 一方、英雄の方はといえば反論することもなく、ただ静かに彼女をみつめていた。


「姫様、騎士様は野盗の討伐とうばつから帰ってこられたばかりなのです。それなのに息をつく間もなくこちらに足を運んでくださったのですよ?」


 横にいる姫付きの女官が、とがめるような目で姫をたしなめる。

 女官の発言と眼差まなざしに腹を立てた姫が、狂気と怒りに満ちた目で、女官に向かって手を振り上げた。

 女官は青ざめた顔で怯え、恐怖に目をつむる。

 パシッ……と肌と肌がぶつかる音がしたが、不思議と女官は痛みを感じず、恐る恐る目を開けた。

 そこには姫の手首を掴んだ英雄の姿があった。

 姫の振り下ろした手が女官に届くより先に、英雄が姫の手首を掴んで止めた。

 姫は一瞬だけ驚いた顔をして、その後きつく唇を噛むと、忌々いまいましそうに英雄をにらみつけ手を振り払う。


「離してっ!この無礼者ぶれいものっ!!私の手に誰が触れていいと言ったのよっ!!」


「けれど姫の手が当たってしまいそうだったので」


 英雄は表情を崩さないまま、ちらりと女官の方を見やった。

 女官は美しい瞳をむけられて、顔を紅潮こうちょうさせた。


「私の物を私がどうしたっておまえには関係ないでしょっ!!この女、偉そうにして、私を馬鹿にして腹立たしいのよっ!!そんな女をかばい立てするなんておまえ……殺されたいの?」


 歪んだ嘲笑みを浮かべて姫は英雄に問う。

 英雄は尚も表情を崩さず静かに姫を見ていた。

 少しの静寂がこの部屋を包んだ時、おもむろに姫が英雄に近づいた瞬間、パシーンッと部屋に乾いた音が響いた。

 先ほどより強い力で振り下ろされた姫の手が、英雄のほおに命中した。

 その場にいた女官を含め、城の者たちは凍ったように動けないまま、皆ありえない物を見る目で姫を見やる。

 英雄は一瞬だけ顔を痛みに歪ませたが、すぐにいつもの表情に戻り、静かな瞳を姫に向けた。


「そんな目で睨まないでちょうだい?もう一回叩きたくなってしまうじゃない」


 周りの目など気にすることなく、いけしゃあしゃあとそう言い放つ姫の心は、ひどくひび割れて歪んでいた。


 英雄と話があるから、と城の者たちは姫の自室から叩き出される。

 城の者たちは皆、一様に英雄に同情した。

 騎士としても、人としても、素晴らしい男だというのに、この国の騎士というだけで、姫のたわむれであんな扱いをされて、おいたわしいとあわれんだ。

 その憐れみ中、一人の従者が思い出したように言った。


「そう言えば……確か隣国の姫が騎士様と婚約したらしい」


 隣国の姫といえば、美しく愛らしくとても優しい姫だという話だ。

 城の者たちは皆、声をあげて自分のことのように喜んだ。


 姫の部屋では、姫が狂気の目を向けて英雄を睨めつけ怒声を浴びせていた。


「隣国の姫との婚約なんて許さないわっ!!」


 この国一番の英雄の縁談話が、もちろん姫の耳に届いていないわけもなく、姫は英雄に掴みかかる勢いで喚きちらす。


「単なる噂でしょう。そのような話はお受けいたしておりません」


「嘘を言わないでっ!私が父上から直接聞いたんだからっ!!」


 姫は近くにあった飾りを英雄に向かって投げつけながら、さらに怒声をあげる。

 そんな興奮状態の姫とは違い、何を言われても何をぶつけられても、英雄は冷静なままだった。


「嘘ではありません。姫は噂を信じ、私の言葉をお疑いになるのですか?」


 そう真っ直ぐな瞳で言われ、少しばかり姫はたじろいだが、すぐに強い口調で言い放つ。


「ではただの噂なのね?なら隣国の姫とは絶対結婚しないでっ!!そして私に疑われたくないと言うのならばその忠義を私に示しなさいよっ!!」


「忠義を示すとは如何様いかように?」


 英雄の言葉に、姫は狂気がにじんだ歪な笑みを浮かべて言った。


「裸になりなさい」


 英雄は動かず、そのまま冷静な瞳で姫をみつめる。


「聞こえなかったの?早く服を全て脱ぎなさい!私は犬に洋服を着せる趣味はないのよ!!」


 英雄は反論することもなく、言われるがまま身に纏っていた全てを床に落とした。

 さすがの姫も一糸まとわぬ英雄の姿に、少々顔を赤らめたが、そのまま引き締まった筋肉を持つ美しい肢体したいねぶるように眺めた。


「おまえは美しいわね。従順で気高くて純粋で強くて優しくて誰にでも愛されて」


 少しの静寂の後、姫は落ち着きを取り戻し静かにつぶやく。

 英雄は自身の恥辱ちじょくなどには目もくれず、姫をみつめ静かに言葉をつむぐ。


「姫はあの日と変わらず美しくあられております。私は姫の物なのです。このからだもこの力もこの魂も未来も全て、私の全ては姫の物なのです」


 英雄は自身の胸に手を当てひざまずくと、姫の手を取り、忠誠を誓い、手の甲に口づけた。

 その瞬間、姫は英雄にすがるように抱きつき、駄々だだをこねる子供のようにただ泣いた。


「私はっ……おまえがいないと何もできないの!食べることも、歩くことも、息ひとつすることすらもっ!!何もできないのよっ!!おまえは私の犬っ!私のものなんだからっ!!」


 そんな姫の背に腕をまわし、英雄は何も言わないままきつく抱きとめる。


「結婚しないでっ!どこにも行かないでっ!!私のそばから離れないでーーっ!!」


 そこには狂気など忘れ、ただ英雄に縋りつく美しい姫の姿があった。

 そんな姫を見て英雄は破顔はがんした。

 彼は本当に姫を愛している。

 彼は本当は姫だけを想っている。

 自身を、自身だけを必要とし、縋り付いてくれることに幸福を感じ、自身がいないと何もできない彼女に愛しさを溢れさせている。

 振り上げた彼女の手を掴んだのだって、誰にも触れてほしくなかっただけ。

 強くなったのもこの国を守るのも全ては姫のため。

 英雄は姫に出逢い、恋をしたその日から彼女のことしか考えていなかった。

 彼女を自分しか見ないように執着させ、狂わせた。

 姫に向けられたその英雄の微笑みは誰も見たことのないものだった。

 この上ないほど優しく美しく満足そうで幸福そうで狂気にまみれた歪な狂喜だった。


 誰にでも平等なあなた。

 優しいあなた。

 純粋なあなた。

 気高いあなた。

 私にさえ出逢わなければ、ずっとそのままでいられたのにね。




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