第2話
「ただいま。」
誰もいない廊下に話しかける、当然のように返事などない。歩きながら靴下を脱いでカゴへ投げ捨てる。帰り途中のコンビニで買ったパン類の入ったレジ袋のガサガサとした音がより自身の内の寂しさを掻き立ててくる。この日は金曜で普段であれば日奈が食材を買い晩ご飯を作ってくれるのだが、そんないつものルーティンじみたものが一つ欠けるだけで心の底からざわつく。
「どこほっつき歩いてんだろうな、アイツは。」
買った惣菜パンをちぎっては口に放り込む。普段こんな食べ方をしないのだが、馴染みのある顔がないだけでここまで余裕が無くなるものなのかと自虐的に言ってみる。佇むテレビは闇を映すだけのオブジェと化し、絡繰式の時計の針音が余裕のない私の心を更に急かしてくる。夕飯は食べるだけ食べた。何もせず椅子にとどまって数時間たったのか、すでに夜の帳は下りていた。流石に苛立ちや焦燥がピークに達したのか、硝子が割れるかと思うほど窓を思い切り横に薙ぐように叩き開ける。
「早く戻って来いよバカぁぁぁぁぁぁ!!」
灯りの点在する街並に向かい叫ぶ。春といえど素足で踏むベランダの足場と手摺りポールは夜の冷えを反映してか僅かながらも冷たい。感情をここまで出して声にするのはおそらく初めてだった。響いた範囲はおそらく10mほどだろうか、声量がある部類かない部類かわからないがわかったところで特に何も得るものはないけれど。
「……寝るか。」
踵を返して部屋に戻ろうとしたその、刹那
『ただいま、カナデ。』
聞き覚えのある声音。一週間近く焦がれたその声の主が、背後に居た。
「日、奈……?」
振り返れば、冷たく感じた手摺りポールに腰掛けこれまで見せてくれていた笑みを浮かべて。月に照らされ酷く真白いワンピース姿が、不思議と不気味に見えた。
「今まで、何処に居
「寂しい思いなんてもうさせないから。」
瞬きの次の瞬間、日奈は視界の先から消え背後に移動していた。
その時、一瞬にして疑問が頭を巡る。カナデの住む部屋は、〔12階マンションの7階〕だということ。1.2階とは訳が違い、人が機械などの手段を用いなければまず窓側を登ってこれないはずだ、と。なのにそれを物ともせずベランダ塀の手摺りに腰掛けるのはあまりに人間業とは思えない。
ここまで考え抜き
がぶり、と。
空いた左肩に激痛が走る。歯が皮膚に食い込み、尖った犬歯が皮膚を貫くのがこの状況でもはっきりわかった。
「あああああああアアアア嗚呼あ唖々ッッッッ!!!」
あまりの痛みに、先叫んだほど響く絶叫。意図せずとも人はこんなに声が出るのかと感想じみたものが頭を過ぎる。同時に左の足を曲げそのまま日奈を、自分ごと床に向かって重心を傾け叩きつける体勢に移る。何故、といった感情より危機に陥った身体が先に動いた。
「ぐゥ……ッ。」
「カハッッ!」
すぐに2つの体は床に激突し、呻き声が重なる。同時に倒れ込んだ瞬間口の中を噛んだのか、肩と同時に口内からも出血していた。噛まれた瞬間反射的に吸血鬼という存在を思い出していた。吸血鬼が血を啜り人を眷属に変えるなら、吸血鬼に対して血を戻してなかったことにすることはできないかと。互いに倒れ込み生まれた隙を見逃さず覆い被さり手首を押さえ込む。そしてそのまま日奈の口へ、キスをした。開いた口に舌を入れ口内にわずかに溜まった血を日奈の口内に流し込んでいく。10秒ぐらいかそれ以上か、事態に気付いた日奈は暴れ塞がれた口で喚いたのち目を閉じて意識を失っていた。
「日奈は、そんな丁寧な言い方、しないはず……だけど。」
唇を離すと、私は息切れしていて肩も上下していた。肩と口の出血ダブルパンチからなのか、少しずつ力が抜けていく。そのまま床に倒れ意識も遠ざかっていく。思考力を使い切ったのかもう、何も気にならなかった。
日陰の君。 村崎 紫 @The_field
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