策士の愛(さく)に溺れたい

藤咲 沙久

あざとくて、可愛い。

 最後の一冊を閉じて、俺はイス代わりに座っていたベッドの上へ倒れ込んだ。深く深く息を吐く。

「んあ~~~……マジ無理しんどい、尊さの極み。合掌」

 言いながら実際に手を合わす。囲碁漫画なんて、と敬遠していた去年の俺が憎らしい。あまりにブームがすごいので試しに一巻を買ってみたのが三日前、面白くて最新巻まで大人買いしてきたのが昨日、そして今ついに読み終わった。

 修行の厳しさと熱い真剣勝負。日常パートのハートフルコメディ。いやらしさのない萌え要素と胸キュン展開。どれをとっても素晴らしかった。俺が選ぶ名作で五本の指に入る。

 おめでとう、そしてありがとう。

「やーっと読み終わったんや。無理とかしんどいとか、それ褒め言葉なん?」

 うっとりと細めた視界いっぱいに、逆さまになった愛しい彼女の顔。ちょっと起き上がればキス出来るかもしれない。

 しかし俺の心は今、ヒロインちゃんで満たされている。兄貴もどうせ実写化に出演するならこういう作品に出てくれないかな。それなら俺だって見るのに……でも兄貴がヒロインとくっつくのは嫌だな。うん、やっぱダメだ。

「最大級。小銀こぎんちゃんは好きの権化、俺も主人公と一緒に小銀ちゃんのおとうと弟子でしになりたい」

きょうちゃんの言い方わかりにくいねん。面白かったんか、そうやなかったんか」

「面白いという表現では足りないほど面白かったです」

 そんならええねん、とさくらはニッコリ笑った。八重歯を覗かせるその笑い方はどことなく幼さを思わせ、俺より一つ年上だなんてたまに忘れてしまいそうになる。

 膝から上だけをベッドに投げ出して寝る俺に倣って、桜も隣に飛び込んできた。スプリングが軋む。それと併せて自分の体も跳ねたのが可笑しかったのか、桜がまた笑った。

 こういう時間は愛しいと思う。

「彼氏が読書するんを邪魔せんといたるなんて、優しい彼女やろ。せめて面白かったって言うてくれな救われへんわ」

「ん、それは本当に感謝してる。しと彼女に囲まれるお家デート最高……」

「んふふ。京ちゃん、ウチのこと好きやろ? ウチも“とーとい”?」

 ころり、とこちらに向けて転がりくっついてくるのが可愛い。そしてあざとい。でも可愛い。

 顔にかかってしまった桜の柔らかな髪を左手でけてあげながら、俺も頬を緩めた。とーとい、と発音するのはワザとだろうか。やっぱり可愛い。

「そういうのとは違うんだよ桜。オタクはね、自分の推しに対する萌えが限度を越えると信仰心に近い感情を抱く。仰げばとうと、我が推しの恩。これは究極のファン心理だから彼女への愛とは別物なの」

 いたって真面目に答える。もちろん真剣だ。桜はオタク文化に寛容だが、理解はまったく出来ないらしく、今回もパチパチと長い睫毛を瞬かせて不思議そうにしていた。

「なに言うてるんか全然わからへん。京ちゃんのそういうとこも、好きやで」

 起き上がって両手を揃えた体勢で、豊かに膨らんだ胸元が強調されている。思わず目で追った俺を放って、桜はひらりと軽やかにベッドを降りてしまった。もう少し見ていたかった。

 仕方なく俺も体を起こし最初に本を読んでいた姿勢に戻る。その間に自分の荷物をごそごそ探っていた桜が、スカートの裾を揺らしながら戻ってきた。

「ほらこれ、一条いちじょうあきら主演の映画。DVDうてん。お兄ちゃんの活躍一緒に見ようや。京ちゃんが本読み終わるん待っとってんで?」

 差し出されたパッケージ、そこへ大きく写った自分によく似た顔面。さっきまでの穏やかな気持ちがやや削がれたように感じた。

「いやいやいや。普通に嫌だよ兄貴のラブシーン見るのとか」

「そんなん言うたって演技やん」

「桜も芸能人の身内になってみろ、そしたら俺の気持ちがわかる」

 桜はそのまま床に腰を下ろすと、しばらく考えるような表情をしていた。癖なのか右手が上唇に触れている。

 何を言うのかと一応待ってみる。とりあえず、手に持ったままのDVDを諦めてほしいんだが。

「わからせてくれたらええやん」

「桜?」

「京ちゃんがウチのことお嫁さんにしてくれたら、わかるやんか。京ちゃんの気持ち」

(お……)

 お嫁さん。なんだその単語チョイス。可愛いかよ。結婚、奥さん、妻、入籍、いろんな表現が選べる中でのお嫁さん。少し子供っぽさもあって可愛い。何より桜に似合っている。

 コンマ何秒で思考が駆け抜けた。ちょっと真顔になっていたかもしれない。

「……あかんの?」

 黙ってしまった俺を上目遣いでそっと見つめながら、首を傾げて小さな声で聞いてくる。追い討ちだった。

 普通なら重たくなりがちな問い掛けだ。付随して考えないといけないことがあまりにも多い。それなのに、もうこの瞬間は桜のことが好きとしか考えられないくらいの破壊力だった。

「あ…………あかんく、ない」

 呟くように転がり出てきた言葉は、俺の本音か、はたまた策にはまった結果なのか。どちらにせよ、まったくもって桜には敵わないと思った。

「ふふ。京ちゃんの関西弁や。かわええなぁ」

 そうやってまた嬉しそうにする。どこまで最強なのか、俺は降参を示したくて両手を挙げるしかなかった。

「可愛いのは桜だ……」

「ほんま? ウチも京ちゃんの“とーとい”になれた?」

「それとこれとは別!」

「なんでなん!」

 桜が八重歯を見せて笑う。楽しい時間が過ぎる。

 俺の言う尊いは、やっぱり推しに向ける感情であって彼女への愛とは違うと思う。

 それに君は尊いと言うよりあざと可愛い。そして、愛しい存在だ。

「──で、DVD見るやんな?」

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策士の愛(さく)に溺れたい 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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