第535話 その日に備えて

 知識の塔に帰ってきてから数日。

 アカツキはヒロフミたちとリアの生活環境を整えるために忙しくしていた。共に過ごす時間が増えるにつれ、彼らの間にあったぎこちなさが薄れ、幼馴染らしい仲の良いやり取りが増えてきている気がする。


 そんな彼らを眺めてから、アルは作業を再開した。今は、サクラから受け取った剣とアテナリヤから与えられた無石を調査中なのだ。


 アテナリヤと交わした約束――リアをアカツキの傍におくための代償は、二人がイービルの手に渡らないよう守ることと、万が一の場合は無石を組み合わせた剣で二人を消滅させることだ。


 アルは二人をイービルに渡すつもりはない。だが、アテナリヤと約束した以上、万が一の場合に備えて準備はしておくべきだと分かっていた。


 それに、神の力を削ぐことのできる剣は、イービルと戦うことになってしまった場合でも、非常に効果的な武器となり得るはずだ。


「うーん、やっぱり、剣の扱いを訓練し直しておいた方がいいかな……」


 無石と剣を組み合わせるのはあまり難しくなさそうだ。そのため、作業と並行して、今後の展開へと思考を巡らせることができる。


 イービルと戦うというのは、アルにとってあまり現実味がない。

 アルよりも多い魔力量を持つ精霊さえ、イービルを倒すことはできなかった。その事実を知っているのだから、アルはイービルを、戦うより避けるべき相手だと長く認識していたのだ。その認識が簡単に覆るわけがない。


 だが一方で、イービルを滅ぼすことはできなくても、行動を阻止することはできるのではないかとずっと考えていた。


 死の森でシモリから受け取ったKHS携帯型は、イービルの指示下にあった悪魔族が保持していた兵器――周囲の魔力を消失させ、世界を崩壊させかねないもの――にとても効果的だ。

 難点は、それが使用される現場にアルがいなければならないことだけ。


 そして、過去にイービルがアテナリヤによって深い海の底に封じられていたことを知ってからは、似たようなことをアルもできるのではないかと考えるようになった。


 とはいえ、その状況に持ち込めたのは、アテナリヤがイービルとほぼ同じ神という立場だったからで、アルは当時、現状では難しいと思考を止めていたのだ。


 だが、今、アルの手の中には、イービルに対抗しうる武器が存在している――。


「……五分五分……いや、七:三で負け、かな」

『何がだ』


 現状でイービルと戦った場合の結果を冷静に判断していると、アルの独り言を聞き咎めたブランが顔を上げた。アルが作業している間、ブランは椅子で丸くなっていたので、てっきり寝ているのだと判断していたのだが。


「んー……」


 正直に答えたら怒られそうだ、と察してアルは誤魔化す言葉を探す。その間も、ジトッとした視線を感じてしまい、目を彷徨かせた。


『今お前が嘘をついて、誤魔化せると思うんじゃないぞ』

「えー、誤魔化されてほしいなぁ」

『我はそこまで甘くない』


 バッサリと言い切ると、ブランは『ほれ、さっさと吐かんか』とアルの脇腹を手でつついてくる。くすぐったい。

 アルは思わずハハッと笑ってしまった。


「そんなに気にすることじゃないよ」

『イービルに負けるなんてことを呟いてる状況を、気にしないわけがないだろう』

「……僕、言ってた?」

『言われんでも分かる』

「じゃあなんで聞いたの」


 つついてくる手を握って止める。ブランが呆れたように眇めた目でアルを見上げた。


『我は隠し事をされることが気に食わん』

「横暴だなぁ」

『アルは我のものだから、当然だろう?』

「待って、いつからそんなことになった?」


 アルはきょとんとした目で見つめ合った。アルがブランのものになった事実なんて存在していないのに、ブランの顔を見ていると、アルの方がおかしい気がしてしまうから不思議だ。絶対に流されてやらないが。


『最初からだ』

「出会った時からってこと?」

『うむ』

「うむ、じゃないって……」


 苦笑しながら、アルはブランの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 ブランの発言は魔物の感覚から生じている気がする。そして、頑固なところがあるブランが、その考えを変えるとは思えなかった。伊達に長い付き合いをしていないのだ。


「――僕、ブランのことは友だちだし、相棒だと思ってるんだけどなぁ」

『我もそうだぞ』

「それなのに、僕はブランのものなの?」

『何かおかしいか?』

「おかしいというか……それなら、ブランは僕のものと言ってもいいの?」


 対等な立場なのだから、とそう言ってみると、ブランはパチリと目を瞬かせた。少し考え込むように首を傾げると、再びアルを見上げる。


『いいだろう。我らは運命共同体、というやつだからな』


 アルは思いがけない返答に目を見開いた。ブランを見つめても、聞こえた言葉が変わることはない。


「……よく、そんな言葉を知っていたね」

『前にアカツキが教えてくれたのだ。アルが生まれる前から、神によって運命が操られていようと、我と出会ったことがその導きによるものであろうと――我がアルと共にいることを選んだのは、我の意志だ。アルの意志でもある。選んだ以上は最後まで運命を共にする。そんな関係を運命共同体というのだろう?』


 ブランがそんな思いを持ってアルの傍にいるとは気づかなかった。だが、なんとなく腑に落ちた気もする。


「運命共同体かぁ……」


 改めて言葉にしてみると、ブランとの関係を言い表すのにピッタリだと思った。そして、それをブランが嫌がっていないのが嬉しいと感じる。

 ブランがいるから、アルはこれからもずっと孤独になることはない。


「――頼りにしてるよ、ブラン」

『任せろ』


 当たり前のようにそう応えたブランが、いきなり尻尾でアルの手を叩く。痛くはないが、なぜそんなことをしたのか不思議で、アルは首を傾げて見下ろした。

 すると、驚くほど強い眼差しがアルを見つめ返す。


『――だからな、アル。我は負けるような勝負には挑まん。我は何者にも負けるつもりはないし、アルもそうでなくてはならんのだ。たとえ、神の力を持つ者が相手であっても、だ』


 宣戦布告するような口調に、アルは息を呑んだ。しばらく返す言葉を迷った後、ため息混じりに言葉を紡ぐ。


「……ブランが一緒に戦ってくれたとしても、確実に勝てると言える相手ではないよ?」

『勝てると言えるまで、準備を整えておけばよかろう』

「そんな簡単に言って……どうするつもり?」

『アルの最大の武器は魔道具だろう。あるいは魔法研究か』


 それこそ、イービルに対抗できる魔道具や魔法なんて、一朝一夕で開発できるものではないのだが。

 アルはそんな思いを込めてブランを見つめる。だが、ブランは『アルならできるだろう』と自信満々な雰囲気で言った。


「過大評価も困りものだなぁ」

『そんなつもりはないがな』

「それはそれで困っちゃうよ」


 本心で言われていると分かるから、アルも無謀とは知りつつも前向きになってしまうのだ。

 苦笑しながら、思考を巡らせる。


 ヒロフミたちを帰還させる予定日はもう決めていた。それまでにどれだけ準備を整えられるか――。


 ――イービルとぶつかる可能性が高いのはきっとその日なのだと、アルとブランは言葉にせずとも理解していた。


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森に生きる者 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です。 ゆるり @yururi-_-

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