なろう(系)小説談義:対話篇

あじさい

なろう(系)小説談義

「最近ね」


「うん」


「面白いなろう小説を見つけたのよ。……え、何?」


「なろーしょーせつってwww」


「何その反応」


「あれでしょ? トラックにねられたいんキャの主人公が、ゲームみたいな異世界無敵な魔法使いに生まれ変わるとか」


「うん……」


「どっかの有名RPGそのまんまの世界で冒険者パーティにいた主人公が、仲間から無能だって勘違いされたときに言い返したり自己PRしたりする努力をおこたったくせに、仲間外れにされてずいぶん経ってから『本当は有能だよボケ!』ってキレて仕返しするとか」


「う、うーん……?」


「暴力をるうことしかのうがない人望皆無かいむの主人公が、人間嫌いをこじらせて中途半端な田舎に逃げて、スローライフと称して非生産的な毎日を過ごすとか――」


「いや、あの……」


「容姿にも性格にもさほど魅力がないはずの主人公が、作者が設定した魔法力とかスキルとかの暴力要素だけで美少女たちからモテモテになるっていう――」


「ん、ん……」


「世間の常識ある人々にすすめるにはあまりにうつわの小さい、ヲタクたちのオ〇ニーアイテムとして書かれた作文のことでしょ?」


「そんな言い方しなくても……っていうか、そこまで言えるってことは、キミもなろう小説のこと割と知ってるんじゃないの?」


「いや。読んでみようと思って投稿サイトのホーム画面をのぞいてみたんだけど、『異世界に行って最強になる』とか、『かつての仲間に嫌がらせする』とか、『スローライフを満喫』とか、いかにも浅ましくて怠惰たいだな人間の考えそうなタイトルばっかり並んでいたから、そこにそれ以上時間を投資するのはやめた」


「いや、でも、そういうテンプレものばっかりじゃないよ。なろう小説って本当に多種多様なのが書かれてるから。ほら、この本。これもなろう小説が原作で、異世界転生ものだけど、主人公はその社会の底辺に転生しちゃって、そこから成り上がっていくっていう話だから――」


「『社会の底辺』?」


「そう。魔法のある異世界なのに、主人公はごくごく弱い魔法しか使えないんだよ」


「けっ」


「何その反応」


「それで、その後どうなるって?」


「主人公はたゆまぬ努力を重ね、時に大切な存在を失い、苦悩しながら、立派な冒険者への道を――」


「バカか」


「え、罵倒ばとうされた!?」


「社会の底辺からの成り上がりって言うからどれほどのものかと思えば、そんなの底辺でも何でもねーよ」


「いや、でも、周りにはすごい魔法を使える奴とか、すごく剣の腕が立つ奴とかがいて――」


「それがバカだって言ってんだよ。『みんなが魔法を使える社会では、魔法が使えないのは落ちこぼれであり社会の底辺だ。そこから成り上がれば主人公の才能と努力が証明されるんだ』なんてのは、不勉強なバカと世間知らずのガキしか考えないうすっぺらい世界観だ」


「今日はいつになく口汚くちぎたないな」


いきどおってるからだよ、ヲタクどもの妄想のくだらなさと、無学で不勉強なくせにオ〇ニーにだけは余念がない下劣さにな。無能で周りが見えてないヲタクほど、自分がいかに多くのチャンスを無駄にしてきたか考えず、コミュ障で陰キャでモテない自分たちは『社会の底辺』なんだと軽く自虐してみせて、傷をめ合える仲間を探して安心した挙げ句、自分たちは冷遇されていると言って世間をうらみ、責任転嫁てんかして怠惰たいだむさぼる。ヲタクどもは、自分たちがまれていることばかり意識していて、自分たちが他の誰かを踏んでいること、自分たちの生活が他の誰かを踏んだ上に成り立っていることを自覚していない。だからろくな考えもなしに自分の作った主人公を『社会の底辺』だと言って、そこから成り上がる作文を書こうとか、そんなものを読もうなんて思えるんだ。ちょっとはちゃんと考えてみろ、中世ヨーロッパ的な世界だぞ! 白人で、異性愛者の男で、人種的に純血で、民族的に多数派マジョリティで、宗教的な迫害にったことがなくて、読み書き計算の教育を受けられて、外見や親の職業を原因としたイジメを経験したことがなくて、家が明日の食事に困ってない奴が、『底辺』なわけないだろ。そんなめぐまれた人間を軽々しく『底辺』って言ってしまえるのは、なろう小説を書いたり読んだりしている奴が、自分がいかに恵まれているか、本当の『底辺』はいつどんなことになやんでいるか考えたことがなく、想像力も勉強も教養も足りてないからなんだよ! 本当の『底辺』にはチャンスなんかない! いくらケンカが強くても、それを起点に成り上がろうとしたら周りにつぶされる。ちょっと目立ったら私刑リンチや性暴力や誹謗中傷や村八分にって、場合によっちゃ自殺に追い込まれる。だから簡単に成り上がろうなんて思えないし、そう思う意欲が生まれた時からがれ続けている。しかも、それは一代限りの問題じゃない。そういう抑圧が歴史的に、延々と続いてるのが人類おれたちの現実なんだ。親もじいちゃんばあちゃんもそういう人生送ってきて、精神的な余裕もまともな倫理観もない家庭で生まれ育って、顔も知らない誰かの道具として、顔も知らない誰かにまれ続けて一生を終えることが当たり前。それでも自分が愛する人たちのために必死に生きるしかない。それが紀元前数千年から21世紀、令和の今まで続く、世界の『底辺』なんだ! コミュ障だの仲間外れだのケンカに弱いだのごときで『底辺』だとか、個人の努力だけでひっくり返せる程度の問題を解決したくらいで『成り上がり』だとか『無双』だとか、軽く言ってんじゃねぇ!!」


「…………なんか、ごめん」


「分かったらキミもなろう小説なんか読んでないで、アフリカ文学やパレスチナ文学を――」


「いや、読まんけど。それに、なろう小説だって別に『底辺』とか『成り上がり』とか銘打めいうってるものばかりじゃないし」


「はぁぁぁーーーっっ!」


「何だよ、そのわざとらしいため息は?」


「さっきからキミの言い逃れを聞いてると、まるでなろう小説には決まった個性がないみたいじゃないか」


「個性がないんじゃない、多様性にんでるんだ」


「でも、それは純文学や大衆文学についても言える。純文学や大衆文学にも、人類の行く末をうれうるものから、日々の何気ない幸せやストレスを描いたものまで様々ある。なろう小説になろう小説独自の個性や特質がないなら、わざわざヲタクのオ〇ニーに付き合わされるリスクをおかしてまでなろう小説を読む理由は――」


「ああ、もう、分かった! 分かったよ! キミは一生なろう小説を読まなくていいよ! でも、ボクはなろう小説が好きだ。だから読む。読み続ける! 価値観と趣味は個々人のものだ、これ以上とやかく言わせないぞ。たしかになろう小説には問題含みな作品もあるけど、時にはキラリと光る名作に出会えることもあるんだ。ボクはそういう出会いを求め続ける」


「ああ、そう」


「何だ、まだ何か言いたげだな」


「そうやってなろう小説を読む時間があるなら、青空文庫か市立図書館で純文学を読んだ方が有意義なんじゃないかと思っただけさ。いや、キミがなろう小説が好きって言うならそれを止める気はないよ、どうぞなろう小説を読んでくれ」


「難しい本は軽く読めないから手を出しにくい。何も読まないくらいなら――」


「良い本とは元来がんらい腰をえて読むものだ」


「ボクが求めてるのは誰もが良いと思う、教科書にるような意味での『良い本』じゃない。ボクが好きになれる本だ。気が滅入めいってるときでも読み進められる本だ」


「なるほど、それもひとつの答えだ。ボクもちゃんと調べたわけじゃないが、官能小説やそれに類するものは、小説という文学形態が始まった頃から存在するだろうからね」


「その言い草はちょっとひどくないか。なろう小説には、一応R15になっているだけで全年齢対象の内容のものも多いぞ」


「文芸が当然追求するべき整合性や文学的な価値よりも、欲望の安易な発散を優先しているという意味で、なろう小説は官能小説やエロ漫画と変わらないと思うがね」


「ああ、そうかい。……それにしても、どうしてわざわざここカクヨムでその話を?」


「けっ」


「何だよ、その冷笑は?」


「いや、そんなことは聞かなくても分かるものじゃないかと思ってさ」


「……たしかに、作者の立場から考えても、作者が想定する読者から考えても、この会話を外に出すとしたら小説投稿サイトこういう所しかないわな」


「その通り。学者でも評論家でもプロの作家でもない作者が、ボクの発言を、届けるべき読者に届けられる可能性があるとすれば、こういう場所以外にない。ボクはさっき散々なろう小説をこき下ろしたけど、無学で不勉強な人間が文章を書いてそれを投稿できる場自体を否定することは自己矛盾だ。そして、ボクの発言もキミと似た価値観の誰かにとっては的外れな駄文にしか見えないだろう」


「じゃあ、ボクらが今までにしてきたこの会話は何だったんだ? キミは、いや、作者は、どうしてこんな議論を展開したんだ?」


「作者の中の葛藤かっとう、もっと言えば、葛藤とも呼べないような形なきを文章として表現する、そのこと自体に一種のカタルシスがあるからだろうね。実際、キミとボクの考え方は基本的には対立していて、この議論には今のところまだ結論が出ていない」


「カタルシスを追求することが文章を書くことの理由だと認めるなら、キミはさっきまでの発言に反して、誰かの欲求不満を解消するというなろう小説のあり方を否定できないことになるぞ」


「おいおい、芸術とも呼びうる創作活動とオ〇ニーを一緒にされちゃ困るよ。小説にしてもドキュメンタリーにしても、まともな文章を書くという行為には、自分なりに世界を切り取って、文章という形で再構成するという側面が付きまとう。自分の中の葛藤あるいはを文章に落とし込むことは、自分という人間、その人生、そして価値観に、正面から向き合うことだ。それは自分と世界に対して真摯しんしに向き合う中でたどり着く創作活動だ。文章を書くことは、本来、そういう誠実な活動であるべきなんだ。だというのに、なろう小説は誠実さを放棄して、現実逃避のオ〇ニーに終始している。自分と向き合うことから逃げ、人間としてあるべき生き方から逃げ、自分と他者の人生を真剣に考えることから逃げ、自分の価値観を問い直すことから逃げている。そして、読者もそういった幼稚な精神性メンタリティに同調して――」


「その話はさっき片付いたはずだぞ」


「そうだったな。結局、キミとボクでは文芸に対して求めるものがそもそも違う。ボクは、ボクの視野を広げるような、そしてボク自身の価値観やアイデンティティのあり方を揺るがすような作品を求めている。過激な言い方をすれば、『苦悩するための文学』だ。それこそが文芸の存在意義だと思っている。それに対して、キミは官能小説やエロ漫画に近いオ〇ニー文芸、つまり『苦悩から目を逸らすための文芸』を追いかけている。おそらく、いくら話しても決着はつかないだろう」


「言っておくけど、なろう小説好きがなろう小説しか読まないわけじゃないぞ。ちゃんと他の文学作品も読んで、その上でなろう小説を評価してる人も少なくないんだ」


「文字を追うだけなら誰にでもできる。そして、注意深く真剣に読まない人間にとっては文学もそうでないものも同程度のものにしか――」


「不特定多数にケンカを売るのはそこまでだ。誰かの趣味嗜好や価値観、文芸との向き合い方を、充分な根拠や合理性がないのに非難するとしたら、それはマナー違反だし、人として問題があるぞ」


「分かってる。ボクはただ考えてほしいだけだよ。物事は白と黒ばかりじゃない。いくら白く見えることでも、あるいは黒く見えることでも、実は白あるいは黒に近いだけの灰色なんじゃないかと、人間は疑い続けないといけない。問い続けないといけない。物事を根気強く本気で考え、その努力を続けていくのでなければ、読書によって開かれるはずの世界はその場しのぎの現実逃避のいきを出なくなるだろうからね」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なろう(系)小説談義:対話篇 あじさい @shepherdtaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ