きみの物語になりたい

蟬時雨あさぎ

この度、主様は物書きになりました

 こんにちは、リシャロッテです。

 リシャロッテというのは、主様あるじさまが付けた名前です。

 そしてこの度、主様あるじさまは“物書き”という職業になられたそうです。


   *   *   *   *   *


 それは突然のことでした。


「リシャロッテ」

「はい、主様あるじさま

「今日から僕は“物書き”になろうと思う」


 ある日、王城から帰宅された主様あるじさまは、いつもの“ただいまルーチーン”をすることなく開口一番にそう告げられました。

 リシャロッテは“物書き”なるものがどういうものかは知りませんでしたが、主様あるじさまがそう仰るならば。


「かしこまりました。リシャロッテは応援いたします」

「……そうか、ありがとう」


 その日から主様あるじさまは家にから出ることが極端に減りました。

 “お仕事でかけ”だといって毎日のように王城へと行っていたのも、なくなりました。

 ただずっと、座ってなにかを書き留めているようでした。

 ある日、リシャロッテは一度、聞いてみました。


主様あるじさま

「ん? なんだいリシャロッテ」

主様あるじさまは“物書き”になって、なにをされているのですか?」

「うーん、そうだねえ……」


 顎に手を遣る仕草をして、考え込んでいる様子です。

 それから椅子ごとリシャロッテの方を向いて、主様あるじさまは笑みを浮かべて。


「僕はね、“きみの物語”を書いているんだよ」

「……リシャロッテの物語、ですか?」

「そう」


 驚きました。

 物語というのは、往々にして自分ではない誰かのものであるという認識でした。それなのに、主様あるじさまはリシャロッテの物語を書いていると。


「リシャロッテがお医者さんになったら、魔法使いになったら。料理人に、絵描きに、それこそ物書きになったら。どんな時間を過ごせるか、どんな楽しいことが起こるか、それを僕は、書いているんだよ」

「――なぜ」


「なぜ、そんなことをするのですか」


 リシャロッテにはわかりません。

 リシャロッテは、主様あるじさまの手によって生まれました。主様あるじさまの身の回りの世話をするのが生きる意味です。

 それなのにどうして、ありもしない可能性の話をするのですか。

 物語の中に、リシャロッテを閉じ込めるのですか。

 リシャロッテには、主様あるじさまの意図が、わかりません。


「……きみの物語になりたい、きみ自身の可能性を知ってほしくて」

「もっとわかりやすくお願いします」

「きみの人生ものがたりはきっと、とてもとても長いから。僕が居なくなった後にどう人生ものがたりを進めるか、その道標を書いているんだよ――」


 思えば、この時もう既に、主様あるじさまは何かの心積もりがあったのでしょう。


   *   *   *   *   *


 それから“五年が経ちほどなくして”、主様あるじさまは永い眠りにつきました。


「リシャロッテ」

「はい、なんでしょうか主様あるじさま

「ちょっと疲れたから、僕は眠ろうと思う」

「……かしこまりました」

「書架に、僕の書いた“きみの物語”がある」

「はい」

「どうか、読んでくれると嬉しい」

「もちろんでございます」


 最後の会話は、静かに、そして主様あるじさまにしては言葉の少ないものでした。

 それでも、主様あるじさまはたいそう幸せそうなお顔をしておりましたので、リシャロッテはどこか“嬉しいふしぎな”気分でした。


 主様あるじさまの美しい瞳は、瞼に隠れて見えなくなりました。


 広いお屋敷を動き回るのは、リシャロッテだけ。

 書架に向かい、本棚を見ると、主様あるじさまが書いた沢山の“リシャロッテ”がそこには居ました。


 “リシャロッテ人生ものがたり”になりたい、“リシャロッテの物語”。


「……どの物語から、はじめましょうか」


 本棚を埋め尽くすように置かれた、主様あるじさまの書かれた物語。

 “幸せな結末ハッピーエンド”で満たされた、主様あるじさまの書かれた物語。


 そのすべてを、リシャロッテの人生にしてみせますから。


「次起きたときは……私の物語を聞いてくださいね、主様あるじさま

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きみの物語になりたい 蟬時雨あさぎ @shigure_asagi

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