まどろみを終わらせて

柳なつき

同窓会にて

 みんなとおなじように、大人になれると思っていた。

 でも、そうじゃなかった。

 だからわたしは、賭けをしている。21回目の誕生日をむかえても、大人になれなかったらわたしの負け。大人になれたらわたしの勝ちだ、って。



 ピアノの音がひびく。

 わたしの初恋のひとが、みんなの前でひいているピアノだ。


 季節は夏。わたしの生まれ育った海ぞいの町。

 古いライブハウス。小学校の同窓会は、いつもここでやっている。


 今年はみんな20歳か21歳か、誕生日しだいでどちらかになる年。わたしたちの小学校は仲がよくて、こうして年に何度かは集まって同窓会をしている。


 初恋のひとは、演奏を終えた。

 みんなが拍手する。

 わたしも、拍手する。


 次に演奏するのは、小学校のときには校庭をかけまわってた男子たちのグループだ。彼らは高校生になったらバンドをはじめて、いまでは有名になってしまった。


 彼らと入れ違いに、ピアノを演奏していた初恋のひとがこっちにやってきた。

 わたしは彼を見上げる。彼はほほえむ。

 しゃがみ込んで――みんなよりもとっても小さいわたしに、目線を合わせてくれる。彼の赤いネクタイ。彼のスーツ。……大人の、かっこう。


「ハナ、聞いてくれてたんだね。ありがとう」

「うん。だって、わたしミランの演奏って、大好きだもの」

「光栄だな。グラスが空っぽだね。なんか飲む?」


 通りがかりの女子が、ちょっとミラン、と彼に声をかける。


「ハナにアルコール飲ませちゃダメだからね」


 あの子はクラスがいっしょだった。ドレスを着た彼女をわたしは見上げた。彼女はわたしの視線に気がつくと、困ったように、ごまかすように笑った。


 ミランはわたしに言う。


「はは、余計なお世話って感じだよね。わかってるっつーの」


 ミランがわざと口調をくだけたものにして、対等な友達ぶって話してくれることが、みじめだった。わたしだって、そのくらいのことは感じとれてしまうのに。


「……オレンジジュースにする」

「おっ、いいな。俺も次はオレンジジュースにしようかな。カクテルなんかよりもよー、オレンジジュースのがうまいってーの、ははは」


 聞いてもないことをミランは言って、立ち上がってドリンクを取りに行った。

 ミランの姿は、わたしにとっては、そびえる山のように高い。ミランは白いテーブルでオレンジジュースを二杯ぶんそそぎながら、ほかのひとたちと笑って話している。

 その表情は、わたしには向けない、大人どうしの表情だった。


 わたしだけが。140センチにも満たないままでいる。

 背だけではない。わたしは、すべて、子どものままだ。




 この国では。100人にひとりの割合で、大人にならない人間があらわれる。

 この国をつくったひとはこの国のひとびとの遺伝子をいじって、これからずっと、そうなるようにした。


 大人たちは言う。

 この国をつくったひとは子どもが大好きだった。だからこの国を、「天使」と呼ばれる永遠に大人にならない子どものいる、神に祝福された国にしたのよ、って。

 100人のうち99人の成長できる子どもたちは、やがて大人になって。今度は大人として、「天使」を支えていく。そういう社会に、なっているらしい。



 わたしは100人にひとりのほうだった。



 ある日突然、成長が止まる。時期はひとそれぞれだ。赤ちゃんで止まってしまう子もいるし、幼稚園や、小学校低学年、中学年、……わたしみたいに高学年までは成長する子もいる。でもどんなに遅くとも中学に入る前までには、成長が止まる。


 成長の止まった「天使」は尊い存在として、すごく大事にされる。

 わたしのお父さんとお母さんも、すごく喜んだ。



 わたしはだから、死ぬまで小学生として過ごす。

 成長が止まっても、寿命は普通のひとたちと変わらない。

 わたしは20年生きた。

 だからあと下手したら80年くらいの時を、小学生として生きていく。




 大人になった男子たちがバンド演奏をしている。


 この同窓会は、わたしのいちばん最初の小学五年生のときのグループだ。

 学年で成長が止まったのは、わたしだけ。みんなはどんどん大人になっていく。

 そして、みんな子どものままのわたしに優しい。


 その優しさが、ちょっと、苦しい。


 ミランが戻ってくる。


「ハナ、ごめん、お待たせ。ほれ、オレンジジュース」


 ミランはいたずらっぽい小学生男子みたいな表情をしている。それは、子どものわたしのためのつくりものだ。

 だから、わたしは。うつむいたまま、そのグラスを受け取れなかった。


「ん、どうした、もしかして空気酔いしちゃったか。……ああそうだ俺、夜の海って好きなんだよな! 夜の船とかわくわくすんだよー。あー、見たくなっちまったなー。なあハナ、いっしょに来てくんねー?」


 わたしは泣き出したい気持ちをぐっとこらえて、うなずいた。

 ミランの後ろにくっつくように歩きながら。かつて同級生だった大人たちの視線を感じながら、ライブハウスの外に出る、……痛い。




 ライブハウスのわきのベンチに、ミランと並んで座る。


 夜の海には、あかりを灯した船がいくつかあった。

 潮風が、ほてった身体に気持ちいい。


 そのうち気持ちが、……すこしだけ落ち着いてきた。


「オレンジジュース、ちょうだい」

「どうぞ」


 ミランはわたしにグラスをくれる。わたしはオレンジジュースをすこし飲む。


「夜の船ってきれいだよな」

「うん、ぴかぴかして、夢の国みたい」

「……俺、ハナのそういうところがずっと好きだったんだよな」

「えっ?」


 ミランはグラスをわきに置いて遠くを見た。それは、大人の顔だった。

 わたしもなんとなく、グラスをわきに置いた。

 すこしの沈黙のあと。


「あのさ。残酷なことを訊いてしまうかもしれないが、大人のわがままと思って、つきあってくれないか」

「……うん、いいよ」


 びっくりした。

 ミランが、わたしの前で子どもぶらないなんて。


「ハナは、さ。ずっと子どものままでいられて、幸せか?」


 ああ。大人のように……きれいな言葉を見つけたいのに。


「……わかんない」

「そうか。そうだよな。……俺さ。この国を出て、遺伝子の研究と、法律や政治の研究をしようと思うんだ。『天使』の成長を再開させる方法を見つける。そしてこの国を、『天使』たちが大人になりたいと望めば、大人になれる国に変える」

「えっ」

「この国では『天使』の成長を再開させることは憲法で固く禁じられている。その方法も存在しないらしい。でも『天使』になった子どもたちって、ほんとうに幸せなのかな。……この国の創始者の勝手な価値観に生物としての自然なありかたさえ妨げられて」


 わたしは。

 いろんな気持ちがごっちゃになって、どう言っていいかわからなかった。


「ごめんな。いまのハナには、難しいよな。……ごめん。俺、ハナが10歳のままだってわかってるのにさ、成長したハナを自分のなかで勝手に思い描いて……いっつも、励みにしちゃってる気がする。気持ち悪いよな。子どもにこんな感情向けるなんて。俺、政府に逮捕されても文句言えないな」

「……成長したわたしを、想像してくれてるの」

「ほんっとうに、最低な男だ、俺は。……いくら小学校のときからハナが好きでも」

「そう、なの?」


 世界が、時間が。

 ぜんぶ――とまった、気がした。

 わたしだけじゃない。ミランごと、いっしょに。


「あはは、そうなんだ。俺、実は……夏のあいだには、この国を出るつもりでさ。準備も整った。もう同窓会は秋までないだろ。だから最後のチャンスだと思ってさ。俺ってずるいな。子どものハナに、大人の都合を背負わせるようなことを言って。……ごめんな」

「いいの」


 思わずミランの両手をとった。ミランが驚くのもかまわずに。

 ミランが大人の都合をわたしに背負わせるようなことを言っても、つらくない。


 それどころか、わたしは。

 こんなにも、嬉しい。


「あのね。賭けをしていたの。わたし、もうすぐ誕生日がくるの」

「知ってるよ。あと一週間だよな」

「21年、生きたことになるの。20歳って成人の歳なんでしょう?」

「……そうだよ」

「だからね。20回目の誕生日にもしかしたら、大人になれるかもって思ってたのね。でもなれなかったの。だから賭けをしたの……21回目の誕生日に奇跡が起きて大人になれたら、わたしの勝ち、って」


 ミランは、あはは、と声をあげて笑った。


「ハナは賭けが好きだよな。投げた消しゴムが表ならハナの勝ち、裏なら俺の勝ちとか言って。ハナのそういうところが好きなんだ。きっとすてきな大人になってたよな。ずっといっしょに歩めたよなあ……」

「わたし、だから、……苦しいの」


 はじめて、言葉にした。


「ほんとうは、みんなといっしょに大人になってみたかった」

「ありがとう、ハナ。その言葉が聞けてよかったよ。……ほんとうに」



 ミランは、外国に行くのだろう。


 けっきょくのところ。

 この子は、わたしを置いていく。

 大人だから。

 子どものわたしは、ずっとここで生きていく。

 同窓会にミランはいなくなる。



 でも。でも。――それでも。



「……待ち続けるって、言ってもいいの」

「もちろん。俺さ、頑張るから。一日でも早く研究を成功させて、帰ってくるよ」

「あのね、わたしも」

「……ん」

「わたしも、ミランのことがずっと好きなの。……ほんとよ」



 ミランの両手を、ぎゅっとにぎった。

 そっかとミランは言って、そのまま――その両目から、つうっと流れるものがあった。



 大人も、泣くんだ。



 わたしはミランの顔をまっすぐに見る。



「ねえ、お願い」

「なに?」

「外国に行ったら、わたしにお手紙をくれない? 文通したいの」

「もちろんだよ。手紙、書くよ」

「ありがとう、うれしい。わたしたち、ペンフレンドになれるね」


 ああ、とミランは笑った。流れる涙を、ぬぐうこともせず。

 わたしの大好きなミランの笑顔だった。




 あと一週間で、21回目の誕生日がやってくる。

 わたしはそのとき、やっぱり大人にはなれないのだろう。でも。



 波の音と船のあかりとともに、わたしの時間がすこしだけ動き出す。

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