海の文書
狼二世
いつか歴史的発見になる物語
私たちには秘密がある。
人が浮かぶ湖の畔、谷間に隠れた小さな洞窟。
岩の隙間に隠したツボの中にある、たくさんの羊皮紙。
私とみんなの、大人たちには言えない秘密の記録だ。
◇◇◇
どうして私たちには休まなければいけない日があるの?
どうして私たちはラクダを食べてはいけないの?
どうして私たちはこの乾いた大地で生きているの?
大人に聞くと、昔から伝わる教えを諳んじてくれる。
大人は沢山のことを知っている。
肉をどう捌いたら安全か。どのような生き物を食べられるのか。私たちはどこから来たのか。
大昔の預言者様が伝えてくれた言葉を、今でも大人たちは教えてくれる。
どれもとっても大切なもの。
私は、お話を聞くのが好き。日常の小さな決まりごとも好きだけど、もっと好きなものがある。
大昔の預言者様たちの物語だ。
苦難の旅路を歩いた指導者たち。彼らが歩いた軌跡はどんなものだったんだろう。想像する度にその険しさに胸が苦しくなり、その気高い精神に心が震え立つ。
「もっと聞かせて」
せがむ私に、カラカラ声と皺くちゃ顔のラビは言う。また明日って。
「今日、教えたことは絶対に忘れないように」
元気よく返事をすると、迎えに来た大人と一緒に家に帰る。
まだ季節の風は乾いていて、嵐の神様が訪れる気配はない。
「今日はどんなお話を聞いたの?」
それはね――夕暮れが黄昏に塗り替わる空の下、影法師を重ねながら物語を繰り返す。
預言者様たちはどんなことを考えていたのだろう。
この教えはどんな意味があるのだろう。
これは、こういう風に考えられないかな?
質問をしても、ラビは優しく教えてくれる。
でも、一つだけ怖い顔をされたことがある。風の噂で聞いた、異端と呼ばれる解釈。
だけど、口に出したとたんにラビの顔が険しくなった。穏やかな顔が、一瞬で変わったの。
それは聞いちゃダメなんだ、と幼い私でも分かった。
◆◆◆
私が十を超えた頃、ラビは亡くなった。
「すべてを伝えきれなかった。すまない」
そんなことを謝らなくてもいいのに。
たくさんの事を教わった。感謝の言葉を伝えると、皺くちゃの手からは力が抜けていった。
「――君なら、あの教えを見ても大丈夫だろう」
私だけに聞こえるように小さく囁くと、ラビは穏やかな顔で眠った。
◆◆◆
ラビが最後に伝えのは、とある場所と――『誰にも言ってはいけないよ』と言う言葉。
季節が変わったころ、私はその場所を尋ねることにした。
町を外れて湖が見える丘へ。
伝えられた場所には洞窟があった。
入り口に立つと、人の気配があった。
「誰だ?」
足を踏み入れると殺気が刺さる。
警戒感を剥き出しの声。血走った目の男が立っていた。
私は両手を広げて武器を持っていないことを示す。そして、ラビの名前を告げた。
「そうか、爺さんの仲間か」
警戒を解くと、男は手招きをする。数人の子供たちが岩陰から姿を見せた。
どうやら、ラビの知り合いだったようだ。
彼らにラビの死を伝えると、静かに涙を流していた。
「そうか……伝えに来てくれたのか、ありがとう」
「ええ、それと……」
『教えを見ても大丈夫だろう』とは、どういう意味かを問いかけた。
男は迷うように頭を振る。だが、すぐに子供たちに指示を与えると、私に待つように言う。
「ここに、我々と『これ』があることを他言はしないでくれ」
もちろんだ。あのラビが最後に私だけに伝えたのだから。
男はようやく微笑んでくれた。
子供たちが持ってきたのは、何枚もの羊皮紙だった。
一部は、私も知っている内容。ラビが教えてくれた預言者たちの物語だ。
だけれども、私が知らない内容がある。中には、大人たちの決まりに反する内容まである。
「これは?」
「昔、教えに新しい解釈を加えようとした人の記録だよ」
同じ神様の教えでも、いろんな考え方がある。
その中で、主流から外れた人の物も含まれている。
「私たちは、それを伝えているんだ。口に出してしまえば、磔にされてしまうからね」
うん。大丈夫。私は絶対に言わないから。
その日から、私は暇を見つけては彼らの住処へ遊びに行った。
羊皮紙を読み解き、どんな解釈であるか議論をする。時々ケンカ腰になっちゃうけど、どれも大切な考え方だって笑いあった。
あの時の預言者はどんなことを考えていたのだろう。天使様や悪魔は何を考えたいたのだろう。
みんな、思いを巡らせて、時々記録する。
誰にも言えない秘密。私たちの秘密の洞窟の物語たち。
いつか、これを誰かが読むのかな。
そうなったら、どんな感想を持つんだろう。
それが聞けないのは残念だけど――いつかの子供たちが読めるように、残しておきたい。
そう言えば、ラビが言っていたっけ。油に浸した亜麻布なら――
◇◇◇
二十世紀中頃、ひとりの羊飼いの少年が歴史的発見をした。
死海の傍にある洞窟。壺に納められた羊皮紙の数々。
そこに納められたのは誰かが伝えた物語――
何千年前に書かれた物語の読者に、我々はなった。
海の文書 狼二世 @ookaminisei
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