読者がいるから仲間がいるから
烏川 ハル
読者がいるから仲間がいるから
物心つく、という言葉があるように。
人間というものは、それ以前は、色々なことがよくわからない状態らしい。
特に、生まれたばかりの赤ん坊だ。まだ目も見えないし、当時の出来事を人間は覚えていないという。
ならば、私と同じではないか。
今でこそ、こうして色々と思索に
私がこの世界に生み出されたのは、何本もの蛍光灯に照らされた一室。騒々しい機械が稼働する、工場の中だったはず。だが、それは後々に学んだ知識の中に含まれているだけであり、私自身の記憶の中には全く存在していなかった。
工場では、私と同じ兄弟姉妹もたくさん生み出されたはずだが、彼らの顔どころか、存在すら覚えていないほどだった。
私はその後、いくつかの保管倉庫を経て、お店へと運ばれたのだろう。
お店では、やはり大勢の仲間が一緒だったはずだが、それも記憶が曖昧。今のご主人様と出会ったのもそのお店に違いないが、記憶として覚えているわけではなかった。後から考えればそうだったはず、というだけ。
いわば、その頃の私は、まだ赤ん坊だったのだ。
私の記憶のスタートは、公園のベンチからだった。
明るい太陽の光が降り注いでいたのを、今でもしっかり覚えている。
子供たちの遊ぶ声が聞こえる公園で、ベンチに腰を下ろしたご主人様。彼女は鞄の中から私を取り出し、膝の上に乗せてくれたらしい。
初めて感じる、人間の温もり。その心地よさに身を委ねて、私がウットリしている間に、ご主人様は私を開いた。
正直、驚いた。
それまで閉ざされた状態だった私は、自分がそうやって開かれるということを、よくわかっていなかったのだ。今にして思えば、私の存在意義としては「開かれてこそ」なのだけれど。
それから数日の間、私は常にご主人様と一緒だった。
ご主人様には人間としての暮らしがあり、ずっと私を開いてくれたわけではない。鞄の中に入れっぱなしにされる時間の方が長かったが、それでも、暇を見つけては私を開いてくれて……。
数日かけて、私の体の隅から隅まで目を通した後、ご主人様は私を、部屋の壁際にある棚へとしまうのだった。
その棚こそが、私のようなものにとって、長きにわたる
つまり、本棚だ。
「ようこそ」
「歓迎するぞ、新入り」
「おめでとう」
本棚には、ギッシリと詰まった仲間たち。
彼らは皆、私が来たことを祝福してくれた。
「お前、買ってすぐ読まれたんだってなあ? 羨ましいぜ!」
「俺なんて、最初の方しか読んでもらえなくて……」
書店からの帰り道、家に着くまで待ちきれず、途中の公園で私を読み始めたご主人様。
彼女にそのように扱われるのが、どれだけ恵まれた話なのか。仲間たちのおかげで、初めて私は理解するのだった。
こうして私が本棚に入ったのは、もうずいぶんと昔の話だ。あれから私も、たくさんの新しい仲間に出会ってきた。
だから、あの日の『おめでとう』の意味も、今ならばよくわかる。
あれは「誕生おめでとう」だったのだろう。
形の上では、印刷工場で作られた時に「生まれた」と言えるのかもしれないが……。
それは私たちの誕生日ではない。
本というものは、読まれることで命を吹き込まれるのだ。私も仲間たちも、読者あってこその本なのだ、と私は思う。
(「読者がいるから仲間がいるから」完)
読者がいるから仲間がいるから 烏川 ハル @haru_karasugawa
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