本を作るのが好きだったわたしの物語

くれは

わたしはきっと書かずにはいられない

 幼い頃、本を作る遊びに夢中になっていたことがある。本と言っても、画用紙とか折り紙とか、手近にあった紙を折りたたんでホチキスで止めていただけのものだけれど。

 表紙にはタイトルと絵を入れて、作者として自分の名前を入れたりした。裏表紙には、よくわかっていないけれど、家にあった本の裏表紙にあったマーク──つまりそれは、出版社のマークだったのだけれど──を真似して描いていた。

 表紙裏の見返し部分には、地図を描いた。その時好きだった物語は、そこに地図が描いてあったから、それも真似をしてのことだ。不思議な形の島と、大きな山とそこから流れ出る川、湖、お城、雲や波、お城や森、思いつく限りのものを描き込んだせいで、随分と賑やかな地図になった。

 めくったら中表紙があって、さらにめくると目次。まだ中身もないのに、立派な章タイトルが並んでいた。山に住む少年が、川を下って冒険して、森で仲間に出会い、湖で宝物を見付けて、そして海を渡って島に向かうのだ。

 なぜ島に向かうことになったのかはわからない。そもそも、そんなに先のことまで、きちんと考えた話ではなかったと思う。ただ、その頃読んでいた物語の印象的なシーンを継ぎ接ぎしただけのお話で、脈絡も何もなく出来事が起こっては次の物語が始まるような、そんなしっちゃかめっちゃかなお話だった。

 それでも、あの頃はただ唯一の読者であるわたしが満足できれば、それで良かったのだ。そうやって作った本文のない本をめくって、気紛れに中身を埋める作者のわたし。そして、それを読み返しては、次はどんな冒険だろうかと胸躍らせる読者のわたし。たった一人で、世界は完結していた。

 わたしの冒険の仲間は、それまでに読んだ物語やその登場人物たち、言葉たち。わたしは、本を作りながら、その本を読みながら、たくさんの仲間たちと確かに冒険をしていた。

 それで満足していれば良かったのにと思う。

 ある時、わたしはその大事な本をランドセルに入れて学校に持っていった。友達に見せてあげたいと思ったからだ。わたしはまだ幼くて、人と自分の境界線というものをわかっていなかった。幼いわたしが好き勝手に書いた拙い物語が、その世界が、伝わるだろうと、考えて疑っていなかった。友達と一緒に、きっと素晴らしい体験ができると、綿菓子を纏ったお月様のような夢想をしていた。きっと、独善的ですらあった。

 休み時間、わたしは友達にわたしの本を見せた。こうやって思い返しても、わたしはその友達を責めるつもりはない。ただ、あの時の世界が壊れてしまったという気持ちは、もう取り返しがつかないものだ。

 彼女は、わたしの本を見て「すごいね」と言ってくれた。わたしは少し得意になっていた。そして、彼女にこの冒険のお話をしようと口を開きかけたその時、彼女はこう言った。

「これ、わたしはお姫様を描くね」

 そして、まだ何も書いてない空白のページを開いて、彼女はそこにお姫様の絵を描き始めた。くるくると長い髪の上にティアラが乗っかり、ドレスにはたくさんのリボン。片手を上げて、にこにことウィンクしている。幼い子供がぼんやりとイメージするような、可愛らしいお姫様の絵。

 わたしが物語を綴るはずだったページが、お姫様になった。わたしは、どうして良いかわからないまま、ただ呆然とそのお姫様を眺めていた。

「ほら、可愛いでしょ」

 わたしは声が出せないまま、それでも頷いた。ここで何かを言って、彼女と喧嘩をしたりしたくないと思ってしまった。もしかしたら「それはわたしのだから描かないで」って言えば良かったのかもしれない。それとも「別の紙に絵を描いて、それでお姫様の本を作ろう」って、そんなこともできたのかもしれない。

 なんにせよ、わたしも彼女もまだ子供だっただけだ。

 わたしは家に帰って、その本をぐしゃぐしゃに潰してゴミ箱に放り込んだ。お姫様のページだけ切り取ってしまえば良かったのかもしれない。でも、わたしの世界はわたしの中だけにしかなくて、それは誰にも伝わらないのだと思ってしまった。幼いわたしは、その幼稚な潔癖さのせいで、何もかもが許せなかったのだ。

 それきり、作者としてのわたしは、わたしの世界の中に閉じこもって眠ってしまった。けれど、読者としてのわたしはずっと求めている。物語を。

 たくさんの本を読んで、わたしの世界の中にはたくさんの仲間が増えた。その仲間たちが、眠っている作者のわたしを起こそうとする。わたしの中の読者が、わたしの物語を求めている。

 目を覚ましたら、わたしはきっと書かずにはいられない。

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