河原にて

一縷(いちる) 望

河原に流れていった自分の心

 河原にて。

 

  春めいた、ある日のことだった。

 

 何時ものように、愛用の白いスポーツカーを出すのではなく、その日はくたびれたクロスバイクを持ち出した。10年過ぎた、ボロボロの自転車だ。

 タイヤはゴツゴツとした、マウンテンバイク用の物が付いている。

 このタイヤは3年前に変えたものだ。まだ山が8割以上有る。

 

 白い虫のようなヘルメットを被り、何時ものようにプロテクターの付いた手袋。

 靴は少しごつい、フィールドワークのウォーキングシューズで、革製のやや重いやつ。

 腕時計。よし。携帯。よし。保険証入りの免許ケース。よし。財布、よし。

 

 …

 

 ゆっくりと、春の日差しと、穏やかな風を感じて暫く走る。

 

 河原まで、それほどの距離はない。せいぜい3kmくらいだ。

 ゆっくりと走り、途中で缶コーヒーを買った。シナモン味の。

 

 河原の土手に着くと、年配の人達の軽自動車が、だいぶ駐車場にあった。

 若い、中学生くらいの男女がジャージ姿で自転車にのっている。

 

 

 河原の向こう側にヘリコプターが見えた。

 何かを吊り下げて、何度も河の真ん中辺りまで割と低い高度で飛んだかと思うと、そこから旋回していく。


 高度は100mあるかも疑わしい低空飛行だった。

 何度もゆっくりと廻っては、対岸の広い場所で1度ホバリングする。

 そして、着地。3分かそこいらで、再び少し上昇して、河口の方に向かっていく。

 だから、着地してもローターは止まらない。

 

 何を運んでいるのか。ヘリコプターでないと出来ないことなのか。

 

 遊覧飛行なのだろうか。

 

 その視界の下。カイトが目に入った。

 4つの黒いカイトが、まるでツバメのようだ。

 縦横無尽に駆け廻る。

 カイトはあんなに、編隊飛行のように飛べるものだっけ。

  

 更に左の視界には、もう少し高い所を不思議なものが静止している。

 

 勿論、UFOなんかじゃない。長い尾を棚引かせて、翼を広げるその様はまるで飛竜。

 

 白い変わった形のカイトだった。

 

 ジチッ、ジチッ。と春先のツグミが啼いている。

 芝生の地面をあちこちつついては、啓蟄も過ぎた地面に這う虫を探しては食べている。

 

 穏やかな春の午後だ。

 買ってきた缶コーヒーはTULLY’Sのカプチーノ。シナモン味。

 

 暫く、シナモン味を堪能して、南側を見る。

 

 さっきの黒いカイトは相変わらず、急降下や急上昇をしていて、そして4つのカイトが急にシンクロする。そして4つが絡み合う様にして、踊り始める。

 

 糸がついているはずだ。眼鏡越しに目を細めて糸が見えないか、見てみるのだけど、見えない。

 

 あれがラジコンのはずがない。

 でも、糸が絡んでしまいそうな動きをして、4つのカイトが縦横に駆け巡る。

 

 私は、見に行ってみることにした。

 操縦者が居る筈。

 

 自転車を暫く漕いでいくと、見えてきた。広いグランドの奥にいたのは、40代から60代くらいの男性4人。

 

 1人の中年男性が他の男性に、掛け声をしている。

 それに合わせて、他の3人が糸の操作を合わせる。

 

 なるほど。なるほど。

 そう言う事だったのか。

 

 その4つのカイトは真っ黒ではなかった。黒い中に青や白等のストライプが入っていて、明らかにモダンなデザイン布だ。

 そして、鳥の翼を左右くっつけたような骨組みに糸がついていた。

 

 風を捕まえると、一気に急上昇。他の3つがそれを追いかけていき、空中でダンスが始まる。

 

 それはツバメか、或いはヒバリの飛翔にも見えた。

 

 しかし、あの色からどうしてもツバメを連想する。

 あの4人の男性は、どうやらシンクロさせて飛翔させるのが目的らしい。

 

 そういう団体競技会でもあるのだろうか。あっても可怪しくないな。

 男性4人は、相当真剣に掛け声に合わせて、操作している。

 

 あのUFOのような飛竜のようなカイトを揚げていたのは、老人。

 帽子を目深に被った老人が公園のグランドに小さなペグを打ち込んで、そこに固定していた。

 

 見事なものだ。その飛竜のようなカイトをそれで固定しているのだが、カイトは戦ぐ風にびくともせずに、同じ位置に浮いている。

 

 その光景を暫く見て、更に奥へ。河原の河に近い場所には鬱蒼と樹木が茂る。

 

 そしてケキョケキョケキョと谷渡りする鶯の声が聞こえた。

 野鳥がかなりいるのは知っている。

 

 野鳥の会が、ここを1月に1度は定期観察していて、今私のいる場所の近くに、彼らが設置した野鳥の会の看板があるのだ。

 

 自転車を更に奥へと走らせる。もう道は砂利だらけでデコボコ。所々はかなり凹んで水が溜まっていたりする。

 

 そして、行き止まり。

 道はまだ先があるのだけど。チェーンで止められている。

 『ネコ ニ エサ ヤルナ』 『シゼン コワレル』と誰かがスプレーで書いたらしい、黒い文字がコンクリートブロックにあった。


 まあ、そうだろうな。野良猫が増えていけば、ここの生態系が破壊されるのだろう。

 

 野良犬でもそれは同じだが、野良犬はもういない。

 もうかなり前に保健所がここいら一体を刈り取ったのだろう。 

 この一帯はかなり工事が行われているから、野良犬が出ればそれは目立つ。

 だから、猫より犬のほうが先に対処されたのだ。

 

 そんな事を考えながら、自転車を降りて周りを見る。

 私が知っている景色は、もう何も残っていなかった。

 

 ここは昔は大きく凹んで水が溜まっていて沼になっていたはずだと思うところには、流木のゴミがびっしりと堆積し、もう沼はなくなっていた。

 周りには枯れたススキが鬱蒼とした景色を作り出し、その先は全く見えない。

 所々に灌木が生え、そこには野鳩が泊まっていた。

 

 カラスも殆どいない。辺りにいるのは、うぐいすとホオジロ、アオジにツグミ。モズにジョウビタキ。

 

 クワィ。クワィ。ツグミが啼いていた。

 

 そして大量にいたムクドリ。あの特徴的な白い毛の混ざった顔は見間違えることがない。

 

 双眼鏡を持ってこなかった事を後悔した。

 

 暫く野鳥の声を聞きながら、戦ぐ風の中にいた。

 

 海岸の方を、モーターパラグライダーが浮かんでいる。

 プーンと言う音を立てて、ゆっくりとパラグライダーが飛んでいく。

 

 私は、暫くそこにいて、考え事をしていた。

 

 もう、何のために生きているのか。

 

 仕事と家族を失っていて、私の生きていくやり甲斐を急激に失っていた事が、所謂何とかロスと似たような状況に陥っているのだろうと、自分では思った。

 

 テレビを殆ど見ないので、ドラマが終わったロスだとか、そういうのは、私には無かった。でも、たぶん今の私の胸にぽっかりと空いた、埋めがたい穴がそれなんだろうな、と想像はする。

 

 最低限、生活は困っていないが、それは私がギャンブルをやらない。かなり昔にタバコをやめた。大酒も飲まない、せいぜい嗜む程度。豪華な食事もしないし、観光に行くでもない。

 そんな調子だから、それほど経費がかかっている生活じゃない。

 

 貯金を取り崩しながら、まだ生きては行ける。

 

 たぶん車を止めたら、もう少し経費削減なのだろうけど。

 車を失うと、田舎では暮らしていけない。

 

 自転車に乗り、また来た路を戻る。

 だいぶ戻ると、消防車が2台。なにかあったのだろうか。

 濃紺のつなぎを着た彼らは、周りの土地の何かを点検するかの様な風景だった。

 挨拶をして、更に公園の中を進むと、今度はツートンカラーの軽自動車。

 ミニパトカーだった。

 毎日1回は、巡回していると聞いていたが、こんな場所まで来るのか、と初めて知った。

 

 時間がだいぶ経っていて、だいぶ風が出てきた。

 もう、さっきのカイトの人たちはいなかった。銀色のワンボックスがなくなっている。

 あのワンボックスだったのか。

 

 時間は流れていく。そして自分の心も、流れていく。

 

 これからをどうやって生きていけば良いのか。

 

 もう暮れなずむ河原に、茫然として、私はそこにいた。

 

 

 <了>

 

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