聖女・リリスは神託を授かった。

夕藤さわな

第1話

「聖女・リリス……神託か!?」


 名前を呼ばれてハッとした。

 目の前には勇者・ロルフの顔があった。眉根を寄せて、心配そうな顔で私を見つめている。

 銀の髪、色の白い肌、整った顔立ち。聖剣を振るうにふさわしい、美しい青年だ。その美しい顔は傷だらけになっていた。額から血が流れている。鎧もあちこちにひびが入っていた。


 あたりを見回す。

 聖騎士・デリクが身をていして魔王の攻撃を防いでいる。

 魔王の拳は、聖騎士・デリクの巨躯きょくよりもまだ大きい。拳一つで、だ。そんな巨大な魔王を前にしても怯むことなく、聖騎士・デリクは私たち仲間の盾となってくれていた。


 ここは洞窟の中――。

 ほんのわずかな足場を蹴って、狩人・セシルは一所ひとところに留まることなく洞窟の壁を駆け回り、魔王に矢を放ち続けていた。

 元々、身軽な少年だけど、風の精霊の加護を受けた靴のおかげで飛ぶように走る。


 聖騎士・デリクよりも後ろで杖を掲げているのは、大魔法使い・アイリーン。二十代半ばの妖艶な女性の姿をしているが、千年を生きている。

 本来は攻撃魔法を得意としているのだが、今は聖騎士・デリクに回復魔法を掛けていた。


 私が――聖女の私がぼんやりとしていたからだ。


回復魔法ヒール――!!」


 慌てて、勇者・ロルフと聖騎士・デリクに回復魔法を掛けた。


「ありがとう、聖女・リリス」

「いいえ、勇者・ロルフ! こんなときにぼんやりしてしまって、ごめんなさい……!」


 勇者・ロルフは微笑んで首を横に振った。


「気にすんなよ、嬢ちゃん!」


 聖騎士・デリクも豪快に笑った。魔王の攻撃を防ぎながら、だ。


「魔王を倒す、とっておきの秘策。教えてもらえたのでしょう?」


 大魔法使い・アイリーンは指先で汗を拭いながら、くすりと微笑んだ。


「さっさと魔王を倒して帰ろうよー! 僕、走り回り過ぎて足が棒になりそうだよー!」


 狩人・セシルは洞窟の壁を駆け回りながら、泣き出しそうな声で叫んだ。


「坊主、根性を出せ!」

「坊主って呼ぶなって、何度言えばわかるんだよ! 筋肉バカ!!」


 聖騎士・デリクと狩人・セシルのやりとりに、私と勇者・ロルフは顔を見合わせた。くすりと笑って、頷き合う。

 きっと、もうすぐ、長く辛かった旅が終わる。

 終わらせ、られる――。


「神託です! 聖騎士・デリク、魔王の拳を引っ張ってください!」


「あい……よ!!」


 ――ズゥゥゥ……ン……!!!


 聖騎士・デリクが拳を引っ張ると、魔王は前のめりに倒れ込んだ。巻き上がった土埃つちぼこりに、腕で目をかばう。

 魔王はすぐさま起き上がろうとした。

 でも、狩人・セシルが何十本、何百本もの矢を目にも止まらぬ速さで放ち、魔王の手足を地面に縫い付けた。大魔法使い・アイリーンも最大級の重力魔法を叩き込んだ。


「勇者・ロルフ、魔王のうなじに生えている枝を聖剣で貫くのです! 細く、黒い枝です!」


 勇者・ロルフはもがく魔王の体に飛び乗ると、うなじへと駆け出した。


「聖女・リリス、約束を忘れるな! 魔王を倒したら、君は、私と――!」


 勇者・ロルフが振り上げた聖剣が眩しいほどに光り輝いた。

 直視できないほどの光に目を閉じて、私は手を組み合わせて祈った。


 ***


 初めて神託を授かったのは、二年前――修道院で礼拝の準備を手伝っていたときのことだ。

 修道女シスターだったわけではない。修道院は孤児院を兼ねていることがほとんどで、私も孤児の一人だった。


 勇者・ロルフはどこかの町から引っ越してきたばかりで、礼拝に来るのは初めてだった。

 綺麗な人だな……と、目を奪われた、次の瞬間――。


 ――このこ、ゆうしゃさまだよ!


 私は神託を授かったのだ。


 聖騎士・デリクに出会ったときも――。


 ――でりくだよ、すっごくつよいんだよ! まおうも、ころーんってできるの!


 狩人・セシルに出会ったときも――。


 ――せしるはね、とぶみたいにはしるの!


 大魔法使い・アイリーンに出会ったときも――。


 ――あいりーんはまほうつかい! まおうを、ずしーんってできるの!


 こんな風に神託を授かって、仲間になったのだ。

 もちろん、すんなりと信じてもらえたわけでも、仲間になってもらえたわけでもない。勇者・ロルフと共に必死に説得したり、無理難題を解決するために奔走ほんそうしたり。


 そうやって、仲間が増えていった。

 私たちは、仲間になっていったのだ――。


 ***


 教会の扉が開くと、真っ青な空が広がっていた。

 魔王の出現以来、黒い雲に覆われて、昼も夜もなく暗かった。でも、勇者・ロルフが魔王を倒し、再び、太陽の光が世界を照らすようになったのだ。


 青空は、勇者・ロルフが魔王を倒した証。この世界に平和が戻った証だ。


「さ、リリス」


 名前を呼ばれて、声の主へと顔を向けた。

 銀の髪、色の白い肌、整った顔立ち。聖剣を振るうにふさわしい、美しい青年が私に微笑みかけていた。

 私は微笑み返すと、ロルフの手を取った。

 ウェディングドレスのすそをつまんで、ゆっくりと教会の石段を下りていく。


 魔王を倒して無事に帰ることができたら結婚しよう。

 ロルフと交わした約束は無事に果たされた。


 ――きれいね。りりす、とってもきれい!


「……っ」


 魔王を倒して以来、聞こえなかった神託が再び、聞こえた。私は石段の途中で足を止めて、青空を見上げた。

 私のようすに気が付いたのだろう。ロルフも足を止める。


 ――こうして、りりすも、ろるふも、なかまたちも。みんなみんな、しあわせにくらしましたとさ。

 ――めでたし、めでたし!


 聞いたことのない言葉を最後に、神さまの声はぴたりと止んだ。


 聞いたことのない言葉。でも、それがお別れの言葉なのだということは何となくわかった。

 頭の片隅にいつもあった真っ白な光。初めて神託を授かった日からずっと感じていた光が小さくなって、ついには消えてしまうのを感じたから。


「そんな……神よ……」


 ふらりと青空に向かって伸ばした手を、そっとロルフが掴んだ。


「リリス……?」


 見ると、眉根を寄せて、心配そうな顔で私を見つめている。

 教会の石段の下で待っていた仲間たち――デリク、セシル、アイリーンも駆け寄ってきた。


「どうした、嬢ちゃん」

「ロルフ……何やったの? ロルフってときどき、天然でやらかすからなー」

「ほら、涙を拭いて。せっかく綺麗にお化粧したのに、涙で落ちてしまうわよ」


 みんなの言葉にゆるゆると首を横に振って。アイリーンが差し出してくれたハンカチで目元を拭って。


「神が、去られたようです。……私は聖女ではなくなった」


 私はそう告げた。


「魔王はもういない。リリス……君が聖女である必要は、もうないんだ」


 俯く私を見てか。慰めるように、ロルフが私の背中を撫でた。


「そうよ。泣く必要なんてないわ。あなたが聖女でなくなろうとも、私たちはずっと仲間」

「リリスは優しいし、料理も美味しいからね。仲間でいてあげるよ!」

「坊主~! お前はホント、素直じゃねえなぁ!」

「坊主って呼ぶなって、何度言えば……って、いうか痛いよ! この、筋肉バカ!!


 にぎやかなやりとりに目を丸くして、私はくすりと笑った。


「はい、ずっと仲間です。ずっと、ずっと、私の大切な仲間たち!」


 でも――。


 聖騎士・デリクが魔狼に襲われ、首を噛み切られそうになったときも。

 大魔法使い・アイリーンが人々に魔女と誤解され、火あぶりにされそうになったときも。

 狩人・セシルがあるじだった奴隷商人に歯向かい、鞭で打たれて死にかけたときも。

 魔族との戦いでロルフが生死をさまよう大怪我をしたときも――。


 神はいつだって仲間たちの身に迫る危険を知らせてくれた。


 急いで、頑張れ、負けるな――!

 

 そう言って私を励ましてくれた。

 神託だけじゃない。その励ましがなかったら、弱い私の心は旅の途中で折れてしまっていたかもしれない。


 だから――。


「私は、どこかで……不敬とわかっていながらも親しみを覚えてしまっていたのです。仲間のように感じて……っ!」


 寂しさに泣き出した私を、仲間たちはそっと抱きしめてくれた。

 優しい温もりに目を閉じる。ひとしきり泣きじゃくって落ち着いた私は、仲間たちに抱きしめられたまま、空を見上げた。


「私も、ロルフも、デリクも、アイリーンも、セシルも。みんなみんな、幸せに暮らします」


 舌足らずで喋る、きっと幼いだろう神に向かって。

 そして、私たちの仲間に向かって――。


「めでたし、めでたし」


 私は、笑顔でお別れを言った。 


 ***


「――めでたし、めでたし」


 幼稚園の先生がそう言うのを聞いて、


「「「めでたし、めでたし!」」」


 子供たちは元気一杯の大きな声で言った。

 先生が開いているページには、真っ白なウェディングドレスを着た女の子の絵が描かれていた。孤児だった少女は聖女になり、最後には勇者と結婚して幸せになった。

 彼女のまわりには、王子さまみたいな服を着た勇者と仲間たちがにっこりと笑っている。


「ねえ、おしまい?」

「もういっかい、もういっかい!」


 子供たちがぴょんぴょんと飛び跳ねるのを見て、先生は首を傾げた。


「他のじゃなくて同じの?」


「おなじのー!」

「もういっかい、もういっかい!」

「もういっかい、もういっかい!」


 にぎやかな声にくすりと笑って、先生は頷いた。


「それじゃあ、もう一回――」


 パタンと本を閉じたあと。先生は再び、本の一ページ目を開いた。

 そして、


「昔、昔。あるところに――」


 聖女・リリスと仲間たちの、長く辛い旅の始まりを告げる言葉を唱えたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖女・リリスは神託を授かった。 夕藤さわな @sawana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ