灯台下暗し

水涸 木犀

episode5 灯台下暗し [theme5:スマホ]


「うあー調べたい!」


 俺の視界のなかで微動だにせず固まっていた栗毛の女性が、突然天を仰いだ反動で机に突っ伏した。

「ミノリ、どうした」

 個々人のプライベートは確保されているとはいえ、狭い船内だ。クルーの言動には注意を払うべきだと自分に言い聞かせ、スルーしたいのを我慢して彼女に声をかける。

「あ、オウルさん!宇宙船でスマホは使えないんですか?」

 案の定突拍子もない質問が繰り出され、眉をひそめざるを得ない。

「地球の情報を拾う通信システムは、通信衛星の範囲外に出ると使えなくなる。それくらい、わかっているだろう」

「いやそうですけど。ダメ元ってあるかもしれないじゃないですか。通信衛星の微妙な向きの違いで、たまたま電波が通るとか」

「地球から何光年離れていると思ってるんだ」

 思わず小さなため息が出る。彼女はもともとジャーナリストで宇宙工学に携わっていない。いや、取材と称しこの船に乗り込むためには相当勉強したはずだが、その目線はやはり学者というより記者だ。99%の論理に基づく推定よりも、限りなくゼロに近いが耳ざわりの良い理想を求める節がある。

「オウルさん、やっぱり頭が固いなぁ」

 そういって笑われるのは心外だが、頭が固いというフレーズは同業者からも良く言われるので反論が難しい。

「ミノリは、なぜここで通信端末を使いたいんだ」

 ゆえに、理由を問う。彼女もそちらの方が重要だったのか、直ぐ話を戻した。

「この船……NOAH号が飛び立った後の世論情勢が知りたいんですよ。ほら、わたしたちが離陸する前は情報が秘匿ひとくされていたじゃないですか。でも宇宙船の離陸データは官庁のデータベースに載るから、いっぱしの宇宙マニアならすぐ気付くはずです。こんなあからさまな船名ですし」

「「オリーブと鳩」に関係する船だとは思われているだろうな」

「そうです。しかも船長がのミスター・オウルとなると、新星が見つかったのだと教えているようなものですし」

「まぁ、そうだろうな」

 この船が新星探索計画「オリーブと鳩」に関与しているのは紛れもない事実だ。否定する要素もなく頷くと、彼女はむくれて頬をふくらませた。

「オウルさん、あっさりしすぎですよ!今ごろ地球では、新星を開拓する英雄として祭り上げられてるかもしれないのに。今度地球に戻ってくるとき、オウルさんは普通の宇宙移行士ではいられないと思いますよ」

「それは、どうだろうな」

 祭り上げられる自分の姿を想像してから、苦笑を零す。

「まず、俺たちが地球に戻るのは速くても十数年後だ。その間に世間の言動など180度変わる。今の世論がそのまま続くことなどまずありえない。若し祭り上げられるとしても、それは先行して探索したクレインだろうな。おまけに、俺は宇宙船に乗り込んだ時点で、普通の宇宙移行士ではなくなっている」

「まあ、それはそうですけど。……でも、やっぱり今このタイミングの世論が知りたいんです!今この瞬間にしか拾えない言葉もありますから」


 立ち上がった彼女を手で押さえながら、なだめる言葉を考える。

「「今の世論」は確かにこの瞬間、地球で溜めておくしか方法は無いな。宇宙船の上で集められるのは、今この船の中にいる人が持つ情報だけだ」

「オウルさんは、世論は気にならないんでしょうけど……でも地球で普通にアクセスできていた情報に接続したいとは思わないんですか?」

 俺の言葉になだめられなかった彼女は、逆に質問してくる。

「航行に必要な情報は全て船内にある。研究に必要なデータは予め端末に落としてきた。あとは、俺の頭の中と船内の情報で事足りる」

「えー、でもすぐ情報に飢えますよ」

「いや」

 不服そうな彼女に、頭を振って見せる。

「そもそも、世界中の情報につながっていようといるまいと、実際に受け取る事ができるのは人一人の手に負える量だけだ。インターネットにつながるか否かは、得られる情報が広く浅いものになるか、狭く深いものになるかの違いでしかない」

「それって要はアナログな社会ってことじゃないですか」

「まあ、そうなるな」


 彼女のがいうとおり、宇宙船というテクノロジーの塊に身を置きながら、コミュニケーションはむしろアナログ化する。それは一見すると矛盾しているように見えるが、俺はあまり悪いことだと思っていない。

「この船で必要なのは、内情を知らない外野の言葉ではなく、共に生活をするクルー同士の言葉だ。俺は人と接するのが得意ではないし、ミノリについても、―よく話しているほうではあるが―知らないことが多すぎる。これから知るべきことはごまんとある」

 だから、スマホは必要ない。

 そういうと、彼女は僅かにうつむいた。

「……ミノリ?」

「オウルさんが、論理的に考えて話しているのはわかってるんですけど。でも、もっと乙女心をわかった方がいいと思います!」

「は?」


 通路を駆け出すミノリの背を眺め、俺は呆然と立ち尽くした。

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