「スマホ」と書いただけなのに

芦原瑞祥

横たわる深い溝

「これ、地の文で『スマホ』って書いちゃってるよ。会話文ならともかく、地の文なら表記は『スマートフォン』でしょ」

 純子が俺の作品を読みながら、若干得意げに言う。


 物書き同士は付き合うな。


 カルチャースクールの延長みたいな小説学校に入学したとき、先輩達から散々聞いた話だ。理由はいろいろある。


 恋人によく見られたいがゆえに、心をえぐるような深い洞察をもってえがけなくなる。

 そもそも執筆とはむき出しの自我をさらすことなので、作品に対する批評がそのまま個人批判に繋がりやすく、争いの種になる。

 片一方が頭一つ抜けた場合、関係が気まずくなる。などなど。


 それでもなお、小説学校では物書き同士が付き合う率は高いように見えた。やはり、同類同士通じるものがあるのだろう。俺と純子もそのクチだった。


 俺はキャラクター文芸、純子は純文学。書いているジャンルが違うから、適度に距離を保って付き合えるだろうと踏んでいた。


 純文といえば、小説学校で純文学を書くオジサンから、キャラ文やラノベを散々バカにされて悔しい思いはよくしてきたけれどさ。あいつら、いつか覚えてろよ。


 純子はどんなジャンルにでもちゃんと敬意を払うから安心していたのだが、彼女の書くものが純文学ジャンルだからか、それとも生来の性格からか、いろいろと本当に細かいのだ。そして厚意から、俺の応募前原稿や小説投稿サイトにアップする前の作品を読み、びっしりと赤を入れてくれる。


「三点リーダーは二マス! 何度も言ってるじゃない。なんで四マスも使うのよ」

「そもそも手書き原稿だった時代に『…』と『三』の区別がつかないから『…』は二マスになったのであって、ワープロソフト使ってりゃ間違えようもないんだから、四マス使って言葉にできない余韻を表したっていいだろ」


「そもそも言葉にならない余韻を地の文で描写するのが文学ってものでしょ? そこをサボるのは感心しない」

「それは一般文芸の話だろ? ラノベやキャラ文はテンポが大事なの! 読者の興味がそれないうちに話を進めなきゃならないから、『……』はアリなの!」


「あと、なんで過去回想のときの会話文だけ『 』を使ってるのよ。約物の使い方が本則じゃないことが多いよ」

「これは過去時制だって一目でわかるようにしてるんだよ。純文学じゃないから、わかりやすさ重視でいいんだよ」


 毎回こんな感じなのだ。

 俺も基本的な表記のルールくらい知っている。知っていてあえて書いているのに。


 今回だって、「スマートフォン」だとテンポがもたつくんだ。もはや「スマホ」表記は人口に膾炙しているんだから、そのくらいいいじゃないか。パソコンをパーソナルコンピューターって書く奴なんて、ほとんどいないだろうが。


「いつもテンポとかわかりやすさとか言ってるけど、言葉に対するこだわりって大事なのよ。自分の作品を愛しているなら、誤字脱字とか表記揺れなんておのずと無くなるはずでしょう?」


「はあ? 自分の作品なんて愛してるに決まってるじゃないか! どれだけ手塩にかけて書いたと思ってんだよ。キャラ文だからってバカにしてんのか?」


「愛情が空回りしてるって言ってるのよ。地の文では『スマートフォン』って書く方がいいってだけの話でしょ? そもそもなんで『スマフォ』じゃなくて『スマホ』なのよ」


 煽ってくる純子の言葉に、俺もついイラッときてしまい、まくしたてる。


「表記に厳しい純文学様の言うこととは思えませんねぇ。文化庁の内閣告示・外来語の表記をチェックされてはいかがですかぁ? 『フォ』は『ホ』と書く慣習があれば『ホ』なんですよ。日本人に『フォ』の発音は難しいからみんな『ホ』を使う、だから『スマホ』でいいんです。はい、論破!」


「は? 論破とかどこのバカなの? だったら『スマートホン』表記が通例になってるはずじゃない。正式名称と略称で表記が揺れてること自体がダメじゃん」


 いや、「スマートフォン」って表記を決めたのは俺じゃないし。

 ヒートアップした純子がさらに続ける。


「そもそも表記だけじゃなくて世界観もおかしいことあるでしょ。こないだの異世界モノ、なんで異世界にジャガイモがあるのよ」

「それは、わかる人にはわかるメタなギャグなんだって」


「中世ヨーロッパ風とか言ってるけど、正直ナーロ……」

「カクヨムでそれ以上言っちゃいけない! そっちこそ、人間をえがく高尚な文学気取ってるけど、愚痴やルサンチマン大爆発してるだけのときあるじゃん。そこから先へ行くのが文学じゃないのかよ」

「なんですってえ!」


 この言い争いは三日三晩続き、別れる別れないまでに発展してしまった。

「スマホ」と書いただけなのに。

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