スマホクーポンにご妖心!

水原麻以

スマホクーポンにつられて逝ってみた

絶叫絶叫というが、果たして平々凡々な人間の日常に一体どれだけ声を張り上げる機会があるというのか。せいぜいクレーマーか娯楽施設でストレス発散する程度だろう。あとは地震に怯えたり、犯罪に巻き込まれたり、親族を看取るぐらいしか考えられぬ。

そんな思いに耽ったきっかけは黒山の人だかりだ。いつもの様に土手を散歩していると枯れた桜並木に行列が出来てる。それはずっと地平線の向こうまで延々と続いている。沿道からジョギングコースに降りる階段はここと舟木大橋しかない。すると4,5キロはある。いったい何の行列だろう。意味もなく群れたがる衝動は日本人の悪い癖だ。否定するそばから好奇心が沸き上がる。私も同類か。いいや、別に構うものか。散歩とは偶然の出会いと発見の旅だ。

「何の行列ですか」

声をかけようとして睨まれた。一種異様な雰囲気がなだれうつ。漂うなどという生易しい状況ではない。誰もが殺気立っている。それでいて寡黙だ。君子危うきに近寄らず。

身の危険を感じてその場を離れようとした。すると、川向うに待ち行列が見えた。こちらとは対照的だ。人々は陽気に語り合い、対岸に呼び掛けている。蟻が党を連呼している。私は思わず立ち上がった。


「あの行列はどこ行くんですか」

声が裏返ってしまった。人々は私を知っているという事だ。それほどに私は無知なのか。

「あれが噂に聞く〇〇スーパーなのですか」

列の一人に声をかけた。心は既に売り場にあるらしく返事がない。

しかたないからスカートのポケットからスマホを取り出して検索してみた。

なるほど。アプリをインストールするとお得なクーポンがとどくのか。

さっそく入れてみた。

スーパー。まさしく有名人である。あの行列には私の言っていることなどお見通しなのだ。それにしても列の先頭に立って並ぶ顧客を目に留めた。それなりの高級品で有名なのだろうか。

「あれ? おかしいな」

私は店のたたずまいに言いようのない違和感を覚えた。強いて明文化するなら甲殻類の紋様に筆記体を連想した際の搔痒感だ。

「おいおい、お嬢ちゃん。ここにいると危ないよ」

見知らぬ老人が警告した。

私はその場で立ち止まった。

「何か気になる事でもあるのか」

男が一歩踏み出す。

私は息を整えた。あまりの緊張感でよく覚えていない。

次に気づくと私は食玩コーナーで商品を見ていた。その時、私の目に飛び込んできたのはよく見かける白い布だった。これは一体。売り場の中央がフローリングになっており何か透けて見える。

「ぜ…全商品おひとり様1個限り無料?…!」

アプリに載ってないサプライズ商品だ。

私は声を殺してその中に歩み込もうとした。そして、「あっ」と声を上げた。

白いテーブルがあった。その周りの椅子は黒く焦げ、そこから下が見えない。私は恐る恐る椅子の下に近寄った。ふわっとスカートが膨らんだ。

私はついに椅子の下に滑り込んだ。

「何やってるんだ!」

さっきのジジイが呼び止める。

「おい、そこは見るな、見るな、絶対に」

とかいいつつ思いっきり見てるじゃん。まぁ下はブルマだしブレザーの中は今絶賛炎上中の直体操服だけど。

「何だ、この”スーパー”という看板はあの看板のあの店じゃない、そういう訳で、俺は見ないから!」

老人は常連客らしく店のルールをわきまえているようだ。

「何の為に自分がやっていると思われたいの、お嬢ちゃん! お化けが出てるんですよ」

袈裟姿の人も忠告してくれる。シミだらけのスキンヘッド。女のお坊さんなんて久しぶりに見た。何を買いに来たんだろう。

声は無視した。そこで私は全商品1点限り無料!を思い出した。何か知らないけどただでくれるもんは貰わなくっちゃ。

見るとテーブルや椅子の間に女の影がチラホラ見える。そして目が合った。女は慌てるように「ごめんなさい、ごめんなさい」と、頭を下げている。

私は少し迷った。この人は顔見知りなんだよな。

あの女だ。

多分、私は明晰夢を見ている。制御可能な非日常空間だ。しかし覚醒にしくじるとリアルと夢のループから抜け出せなくなるという。

それは嫌だ。

私自身の目を覚まさせるために演技をせねば。

男性客や僧侶が「見るな」と忠告したのはそういう理由だったのだ。この世のものでない存在と接触するためには相応のスキルを要する。君子危うきに近寄らずだ。

聖職者はあの世とソーシャルディスタンスを保っている。

あの女にも見せたいからここにいるんだろう、と私は思い込んだ。恐る恐る、テーブルの下から這い出し、その女の様子を見る。

女の顔には見覚えが有った。白くて長いマスクは私の記憶の中にある、あの女だった。それからあの女の肩にかけて、黒のマフラーが巻かれている。あれは何だ。と私は驚いて思わず手に取ると、マスクはそのマフラーの下に、ちょこんと乗っかっていた。なんだ今のマスクは。これが自分を認識してくれるマスクなんだろうかと感心できた。

決めた。無料でゲットすべき商品はマスクだ。

仰夢用不祈布ぎょうむようふおりぬのと書かれたパッケージが山積みになっている。

「おねだん1ライフ」とある。ライフって何の単位だよ。どこかで聞いたような。それはともかく「無料」だというんだから無料なんだろう。迷わず一箱取った。そして箱から1枚取り出してつけた。

私はマスクをしたまま、その女性から目を離さなかった。あの女は椅子に座ったままにゅっと腕を伸ばした。そして、そっと、私の手を握った。

その時、背中から何かに引っ張られるような、不思議な感触を抱いた。背中も、首も、腕も、足も、どこか安心できないような、何かに引っ張られそうな……。



白いテーブルは銀の鎖で囲まれ、香が立ち込めていた。すぐ向かいのカウンターで店員が相談に応じている。

「ええ。変異株で亡くなられた方々の迷い方にもコロナ禍の影響がございまして…」

「対応仏具の売り場は4番、9番、13番となっております」

「仰る通り、制度が変更になっておりまして…初めて憑依なさるお客様ですか? 666番レジにご案内します。」

店員は足のない人や角の生えた客や多種多様な接客でてんてこ舞いだ。


仰夢ぎょうむ超常スーパー魑魅魍魎狐狸妖怪変化プロフェッショナルのお店です。毎日、新鮮なネタがいっぱい。

一般かもの方も大歓迎!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スマホクーポンにご妖心! 水原麻以 @maimizuhara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ